第七章

01 メリーさん緊急着陸

 メリーさん気球は鳥達を引き連れ、空と海の間をゆるゆると剽軽ひょうきんに進む。

 まんまるに膨らんだ超巨大な真っ白い羊が、お腹に籠をぶら下げて飛んでいく光景は例えようもなくシュールだった。だが幸か不幸かメリーさん気球を目撃する者は少なく、今のところ旅は平穏そのものだ。

 空の旅は順調に進むかに見えた。

 しかし、段々気球の高度が下がってきていることに、リヒトは気付いた。


「海面が近くなってきてない?」

「メリーさんが小さくなってきていますね」


 リヒトとソラリアは顔を見合わせる。

 そういえばメリーさんの浮力はいつまで持つのだろう。途中で海に落ちたりしないだろうか。

 心配している内に、どんどん気球は高度を下げていった。

 予想以上に時間切れが近い。

 着陸できる場所を探してリヒトはあちこち見回した。

 見覚えのある海岸の地形、元いたバブーンの港町が遠く見えてきているが、そこまで辿り着けるか危うい。しかし、その港町の手前の海中に、白いお腹を見せて巨大な生き物が寝そべっていることに気付く。

 魔王信者が操っていたセイウチに似た海獣が、海面にぷかぷか浮かんで日向ぼっこしていた。


「あそこだ! メリーさん、あそこに緊急着陸して!」

「メエー(了解)」


 ぷしゅーっと音を立てて小さくなっていく羊は、リヒト達を乗せた籠と共に海獣のお腹に着陸する。

 海獣の腹が弾力でボヨンと跳ねる。

 通常の羊のサイズに戻ったメリーさんは、海獣の腹の感触を確かめるように足踏みした。

 メリーさんと一緒に気球を引っ張っていた鳥達は、慌ててバタバタと空に舞い上がり、散り散りになって逃げていく。


「ふうー、助かった」

「どうやらそうでもないみたいですよ」


 籠から降りて額の汗をぬぐったリヒトの肩を、ソラリアがつついて前方に注意を促す。

 顔を上げると海獣のギラギラ光る赤い目と目があった。

 勝手にお腹に着陸したリヒト達に、どうやら大層ご立腹のようだ。


「グオオオォォ!」

「ごめん。けどほら、僕達もわざとじゃないんだ。冷静に話し合えば分かり合える……」

「リヒト、時には拳で語り合うことも必要です」


 ソラリアは静かに言って拳を固める。

 彼女は牙をむいて吠える海獣に向かって飛び掛かると、固めた拳を海獣の鼻づらに叩きつけた。天魔の力も使っているのだろう。小柄な女性の攻撃とは思えないほどの力がこもった一撃に、海獣がもんどりうった。上に乗っているリヒトは「うわわ」と慌てながら跳躍して体勢を整える。

 みるみるうちに海獣の鼻づらが赤く腫れあがる。とても痛そうだ。


「私達は陸に行きたいのです。分かっていただけましたか?」

「ヴゥーン(はい)」


 涙目になった海獣は、リヒト達を乗せたまま、大人しく陸に向かって泳ぎ始めた。


「脅迫じゃ……」

「説得です。きっと神の御心が通じたのでしょう」


 今のどこが説得だったのだろうか。しかし、リヒトはそれ以上は何も言わなかった。下手に突っ込んで、自分が説得される側になったら怖い。

 砂浜に辿り着いたリヒトとソラリアと羊のメリーさんは海獣から降りた。

 そこはバブーンの港町に近い場所だった。

 海岸を歩いていけば港町に着くだろう。


「帰ってきたんだ……」


 カーム大陸に帰ってきたことを感慨深く思いながら、リヒト達は港町に向かって歩き出した。

 クラーケンの群れに襲われていた街は幸いにして被害が少なかったようで、人々が生活している賑わいを見て取ることができた。懐かしい景色に目を細めながら、二人と一匹は街に足を踏み入れる。

 目指すはお世話になった宿屋だ。

 あの後、どうなったか、あそこにいけば何か分かるだろう。

 宿屋の扉を開けて中に入ると、店員らしい給仕をしている青年が振り返った。


「いらっしゃい……って、お前ら」

「カルマ?!」


 青年は、一緒にクラーケンと戦った仲間のカルマだった。

 彼は特徴のある白い髪を隠すためか、バンダナで頭部をぐるぐる巻きにしている。作業用のエプロンを身に着け、手に皿やジョッキを抱えていた。すっかり食堂の店員の恰好である。


「やっぱり無事だったのか」

「そっちもね。アニスやスサノオさんは?」

「あいつらは……ハイ、水ですねただいまお持ちします! リヒト、席に座れ。話はその後だ」


 仕事中らしいカルマは、客に呼ばれて去っていった。

 リヒトとソラリアは食堂の隅の席に座って一息つく。

 しばらく待っていると客が少なくなり、カルマが食事と飲み物を持ってやってきた。店内には、宿屋の娘のモモの姿もある。彼女はリヒトに向かってウインクして見せた。モモが給仕を引き受けてくれたらしく、カルマはリヒト達のテーブルに歩み寄ると、そのまま椅子を引き出して座る。

 食事をしながら、リヒト達は情報交換を始めた。


「……スサノオとアニスだが、あいつらは連れ立って教主国ジラフへ向かった」

「ジラフへ?! いったいなぜ」

「歌鳥の勇者ソラリア、あんたの聖剣を預かったから教会に返さないといかんと、スサノオが言っていた。アニスに関しても教会に連れていって、きちんと修行を付けてもらった方がいいと」

「真面目な彼らしい選択ですね。私はそのままでも構わなかったのに」


 どうやらスサノオは、ソラリアが海に飛び込んで行方不明になったのに責任を感じて、教主国ジラフに聖剣を返して事情を報告しようと考えたらしかった。

 ソラリアは柳眉をひそめて溜息をつく。


「俺はこの外見だ、教会に行くと面倒なことになるから残った。お前らがここに帰ってくる可能性も考えて、しばらく宿屋で働かせてもらいながら、待っていたのさ」

「待っていてくれてありがとう、カルマ」

「どういたしまして。それで、お前らはどうする? スサノオとアニスを追いかけるか?」

「……」


 白い指で唇をなぞりながら、ソラリアは何か考え込んでいる様子だ。


「ソラリア?」

「……少し、考えさせてください」


 彼女の浮かない顔に、リヒトとカルマは何か躊躇する理由があるのか、疑問に思った。



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