09 協力しないと天罰ですよ

 赤毛の勇者スサノオは、拳を固めてクラーケンに殴りかかった。浅瀬で見ていたソラリアは、素手の攻撃でタコにダメージを与えられるのか疑問に思う。


「我が魂に潜みし天魔よ、顕現せよ、うおりゃあああっ!」


 しかし、その心配は杞憂だった。スサノオの拳から波動が放たれて、衝撃でクラーケンの上半身が大きくのけ反る。


「すごい……これが噂に聞いたタコ殴りというものでしょうか」


 予想外の威力にソラリアは息を呑む。

 攻撃は効いているように見えたが、横倒しになったクラーケンはすぐに起き上がると、風船のような上半身にある口を突きだして墨を吐いた。


「ぐあっ、目が」

「スサノオ?!」


 まともに墨を浴びたスサノオが目をこする。

 その隙に起き上がったクラーケンは、ざわざわと触手を揺らめかせながら、スサノオに接近しつつあった。


「見えなくても、感じとれば……」


 スサノオは墨で見えなくなった目を閉じて、両足を肩幅に広げて拳を前に構えた。息を吸い込んで意識を集中する。十分に溜めた後、勢いよく踏み込み、クラーケンに向かって掌底を打ち出した。

 触手を伸ばして近付いていたクラーケンの顔のど真ん中に、スサノオの拳が炸裂する。

 重い打撃音と共にスサノオの足元から波が広がった。

 クラーケンはゆっくり仰向けに倒れる。巨体が海面に叩きつけられて、盛大な波しぶきが飛び散った。

 少し待って、クラーケンが動かなくなったことを確認すると、スサノオは拳を降ろす。墨に汚れた顔を海水で洗うと、浜辺を振り返った。


「皆は大丈夫か?」

「ええ、あなたのおかげです、スサノオ」


 結局、出番が無かったソラリアが赤毛の勇者を労う。

 スサノオは浅瀬を歩いて、街の人々が避難している砂浜に戻る。怪物を倒した英雄の帰投に、しかし、人々は静まりかえっている。

 感謝ではない視線に出迎えられて、スサノオは困惑しながら立ち止まった。


「どうしたんだ、皆……」

「スサノオ、お前、天魔を持っていたのか」


 人々はスサノオを避けるように退いた。


「あ、ああ。俺は勇者になったんだ。だから……」

「近付かないで!」


 宿屋の娘のモモが制止の声を上げる。


「天魔は危険なモノだって、おじいちゃんが言ってた」


 自分を見る視線の中に混じる恐怖を見つけて、スサノオはそれ以上動けなくなった。ソラリアは唇を噛む。辺境の人々にとって天魔とは、海の怪物と同じくらい危険で正体不明の化け物なのだ。

 だから勇者になった者は故郷に帰らない。

 帰れないのだ。

 呆然と立ちすくむスサノオ。その光景を、浜辺に近い海岸でリヒトは遠くから見ていた。溜め息をつくと、しゃがみこんで羊のメリーさんに抱きつく。


「メリーさん、普通って難しいねえ。どうして皆、仲良くできないんだろ……」

「メエー(羊とは仲良くできるのにねえ)」


 珍しく羊のメリーさんとリヒトは意見が一致した。が、メリーさんの羊語はやっぱりリヒトには通じていない。羊のモコモコした毛に顔を埋めて、リヒトは少しの間、考えこんでいた。




 タコ焼き合戦はハプニングにより中止となった。

 宿屋に戻ってきたリヒト達は、思い思いに休憩する。

 リヒトは幼馴染みのレイルを追いかけていった顛末について、アニスとソラリアに話した。


「レイル……フレッド?」

「うん、どっちがどっちだか、よく分からなかったよ」


 気弱でお調子者のレイルを知る、同じ幼馴染みの少女アニスは、二重人格と説明されて首を傾げている。確かに、実際にフレッドを見なければ、何を言っているかよく分からないだろう。

 ソラリアは眉をひそめた。


「魔王信者に付いていくなんて危険です。多少無理やりでも、連れ戻すべきでは?」

「うーん」


 リヒトは腕組みして唸った。

 正直、リヒト自身も幼馴染みの豹変には混乱気味だった。

 しかし魔王信者が仲間をどう扱うかは知らないが、今すぐ危険ということはないだろう。

 ところで、リヒト達の部屋は二階にある。

 窓際で夕方の風に吹かれて涼んでいたカルマが、窓の外を見て声を上げた。


「あれはなんだ?」

「どれどれ……」


 リヒトは立ち上がって窓際に寄った。

 窓からは夕闇に沈む海が見える。

 暗い海岸線には赤い光がポツポツと灯っており、ちょうど徐々に増えていくところだった。


「海岸で焚き火でもしてるのかな」

「それにしては数が多い」


 窓に乗り出して海を眺めていると、宿屋の前に立った体格の良い赤毛の男が手を振った。


「おおい!」


 スサノオだ。

 彼は二階のリヒト達を見上げて叫ぶ。


「歌鳥の勇者はそこにいるか? 彼女に、これからクラーケンの群れが襲ってくると伝えてくれ」

「クラーケンの群れですって?!」


 部屋の中にいたソラリアが、リヒトとカルマを真ん中から押し退けて窓から身を乗り出した。


「いったいどういう事です?」

「この地方は、百年に一回くらいの周期でクラーケンの群れが人を襲う。その前触れで、タコが大量発生するのさ。俺はそれを知っていたから帰って来たんだ」

「まさか、聖剣無しで戦いに行くつもりですか?!」

「そのまさかさ。教会はクラーケンのような大型の魔物の群れには、勇者を派遣しようとしない。一人や二人の勇者じゃ、戦っても無駄だからだ。ソラリア、あんたは街の人を山手へ避難させてくれ!」


 早口で怒鳴ったスサノオは、身を翻して海岸へと駆けて行った。

 後に残ったリヒト達は顔を見合わせる。

 どうしようかと口を開く前に、背後でゴトリと物音がした。振り向くと、リヒト達の部屋の扉を開けた宿屋の娘のモモが、木製の盆から茶の入った器を床に落としたところだった。


「クラーケンが……襲ってくる? スサノオは、あいつは一体何を」


 真っ青になって唇を震わせるモモに、リヒトは静かに答える。


「彼はクラーケンを倒しに行った。けど、敵の数が多すぎる。スサノオさんは……死を覚悟していると思う」


 モモは口元を押さえて絶句した。

 窓際から部屋の中に戻ったソラリアが、荷物から聖剣を取り出す。布の間から現れた眩い銀色の剣のつばには、教会のシンボルである翼の意匠がある。


「それ、その剣……あなた達はまさか」


 聖剣を持ったソラリアに気付いて、モモは目を見張った。

 彼女は聖剣を携えてリヒト達を見回す。


「勇者の義務としてではなく、この街で知り合った友人を助けに行きたいと思います。アニス、リヒト、カルマ……協力しないと天罰を下しますよ」

「聖女様の天罰か。おっかないなあ」


 協力しろと脅されたリヒトは、よいしょっと窓際から腰を上げた。

 羊のメリーさんが足元で鳴く。


「メエー(やっとタコ食べ放題だね!)」


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