交錯する運命(4/6)

 八月九日、午前九時。モニタールームでは一つの動きがあった。パソコンを前にした晃一がその指の動きを止める。視線の先には、ウインドウに表示されたとあるパソコンのIPアドレスがある。作業を終えた晃一は大きく息を吐いた。


 今液晶画面に表示されているのは、信号トラブルを起こしたとされるパソコンのIPアドレスだ。新国立競技場近辺の無料無線LANのアクセス履歴、信号トラブルの大元であるパソコンのアクセス履歴、などから割り出した犯人のIPアドレスである。


「問題は、ここからなんだよな。良亮もそう――っていねぇし! あいつ、どこに消えたんだ?」


 作業に熱中していた晃一は、作業がひと段落するまで良亮の不在に気付けなかった。ようやく目処がついた今でも、警察からの連絡に備えて数秒に一度はスマートフォンを確認している。それは彼が一人の警官であるが故。


 晃一が席を立とうとすると、モニタールームの扉が開いた。両手に缶コーヒーを握って現れたのは、晃一が待ち望んでいた人物である。無糖のブラックコーヒーの缶が晃一に手渡される。


「良亮、お前どこに――」

「大変っスよ、晃一さん! 新国立競技場内の監視カメラの映像、誰かが差し替えてるっス」

「それ、本当か?」

「嫌な予感がしたんで、中央管理室に行ったんスよ。で、試しにこの部屋の映像みたら、晃一さんが映っていなくて。急いで調べたら……全部の監視カメラの映像が別のものに差し替えられてたっス。おそらく犯人の仕業っスね」


 監視カメラの映像が差し替えられる。この行為自体は真新しいものではなく、想定されていた事態である。しかし今回は事が起きたタイミングが良くなかった。


 映像の差し替えにより、会場内の不審な動きを確認することが出来ない。新国立競技場の近くで大規模な信号トラブルが発生している今、犯人が裏で動いている可能性が高い。監視カメラの映像は、手がかりとなりうる瞬間を記録してはいなかった。


「先回り、ありがとう。となると……タイミング的に、映像差し替えと信号トラブルは同一犯の可能性があるな。で、この騒動の裏で犯人が動いて、爆発物なりウイルスなりを仕込んでるわけだ」

「わかったところで、動けないんスけどね。爆発物は処理班が来るまで下手に手を出せない。俺も晃一さんも他のみんなも、ネットのことなら得意だけど、現実に起きてる事件には弱い。せめて手がかりでもあれば――」

「見つけたぞ、ついさっき」


 困惑する良亮に真顔で言葉を返す晃一。手がかりがあると知り、良亮の動きが止まった。開けようとしていた缶コーヒーが、派手に音を立てて床に転がる。だがそれを拾い上げる気力もない。


「マジっスか?」

「ああ。酷使したせいか、パソコンがかなり熱くなったけどな。IPアドレスの特定までは出来た」


 晃一が弱々しく笑う。表情こそ弱々しいが、その琥珀色の瞳の奥には強い光を宿している。晃一の言葉に良亮が小さく笑った。


 犯人はこれまでIPアドレスを偽装し、辿られないようにしてきた。そんな技術に長けた犯人のIPアドレスを特定するということは、犯人への足がかりが出来たことを意味する。


 IPアドレスから様々なことを調べることが出来る。IPアドレスは言わば「パソコンの住所」のようなもの。警察の権限を利用すれば、犯人のさらに詳しい情報が掴めるかもしれない。


「どうするんスか。晃一さん、上司に連絡するんスよね。待ちますか? それとも予定通り、独断で動きますか?」

「許可なんて待ってたら間に合わない。処罰覚悟で、予定通りに動くぞ。良亮、手伝え」

「了解っス。もう、事前に準備は済ませてあるっスよ。マルウェアに感染してるはずっス」

「そんじゃ、やられた仕返しに……こっちもハッキングするとしようか。良亮、パソコン借りるぞ」


 意味深な二人の会話から、何を企んでいるのかを察することは難しくない。ただし、二人のやろうとしていることは本来であれば良くないこと。晃一に至ってはその立場上、無断でその行為をするのは責任問題に関わってくる。


 リスクを理解した上でその行為に挑むのは、なんとしてでも犯行を止めるため。サイバー攻撃以外に犯人の手がかりがない現在、ハッキングをしてでも犯人から情報を奪う必要がある。犯行阻止と自らの責任を天秤にかけた結果が、今の決断である。


「爆発物処理班、しばらく来れないっスよね、信号トラブルがあったから。それにしても、犯行阻止のためとはいえ、こんなことをやるなんて……」

「事情が事情なんだ、今は犯行阻止を最優先する。必要な情報はお前が来る前に調べたからな」


 晃一が良亮のパソコンを立ち上げ、キーボードの上に指を乗せた。良亮は晃一のパソコンを使い、新国立競技場近辺の交通情報について調べている。時折、晃一が構築したアクセス履歴監視用プログラムを立ち上げ、様子を確認する。


「侵入したら、お前の考案したマルウェアを放つから、準備しとけよ」

「了解っス。……あ、信号トラブルに変化っス。交通整理が始まったのと、交通事故の処理が始まったのとで、ゆっくりだけど車が動き出したみたいっスよ」

「なら、到着まで待つしかない、か。東新から連絡が来たら知らせてくれ。今から……犯人に侵入する」


 晃一の指がピアノの鍵盤を叩くように滑らかに動く。叩かれたキーボードに従って、液晶画面にプログラミング言語が打ち込まれていく。良亮はその様子を横目で眺めることしか出来ない。その手にはいつの間にか用意されたUSBメモリが握られている。

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