交錯する運命(5/6)

 八月九日、午前九時半のこと。新国立競技場から、信号トラブルの少ない道を選んでどうにか駐車場に車を停めた海人と裕司。二人は今、ノートパソコンとスマートフォン、充電コードだけを持って無線LANのある喫茶店を訪れていた。


 今どき、無料で無線LANや電源コンセントを使える喫茶店は珍しくない。大手コーヒーチェーン店であればほぼ確実に用意されている。二人は数ある喫茶店から、当日に寄るべき喫茶店を事前に選んでいた。


 アイスコーヒーを片手にパソコンの操作を続ける海人。そんな彼の様子を眺めながら、のんびりとアイスレモンティーの口に含む裕司。店内のBGMの影響もあり、ゆったりとした時間が流れている。


「なぁ、裕司」

「なに?」

「……巻き込んで、ごめんな」

「いいんだよ。僕こそごめん。二人に任せっきりだったね」


 裕司と会話している間も、海人は液晶画面から目を離さない。現在表示されているのはメール受信画面である。多くのメールが受信されており、その件数は百件前後。広告メールの他に、個々でやり取りしている者からも連絡が来ている。


 海人は広告メールには見向きもしなかった。差出人が確実にわかる個人からのメールばかりを閲覧していく。時折メールに添付されていたファイルを開いてその内容を確認する。小さく頷くのは海人の癖だろうか。


 メール閲覧の合間にオリンピック関係者のサイトを開いてログイン。新しい情報がないか確認を怠らない。一つでも得られる情報が多ければ、それだけ計画が進めやすくなる。そのためなら多少の危険は顧みない。


「ねぇねぇ、海人」

「なんだよ」

「サイバーテロ対策チーム、だったかな。僕達のこと、見つけてくれると思う? 捕まえてくれると思う?」

「そんなの、その時にならなきゃわからないっての。まぁ、お前のことがわかんなきゃ無理だろうけどな」


 ようやくパソコンから視線を逸らした海人が裕司に笑いかける。裕司がそれに応じ、太陽のように眩しい笑顔を見せた。




 同時刻、モニタールームでは一つの動きがあった。良亮のパソコンに新たなウインドウが立ち上がったのだ。それに気付いた良亮が思わずガッツポーズをする。


「晃一さん、バックドアが空いたっスよ。よかった。偽装メール、ちゃんと見てくれたみたいっス。ってなわけで、バックドアから犯人のパソコンに侵入して、このマルウェアをばらまいてください。あと、必要そうな情報で盗めるものはなるべく抜いてほしいっス」

「お前、バックドア型のマルウェア仕込んでたのな。というかおい、今起動したってことは絶賛使用中じゃねぇか」

「ここで気付かれるかは晃一さんの腕次第っスね。口の悪い晃一さん、楽しみにしてるっスよ」

「いや、そこじゃないだろ。よくもまぁピンポイントにマルウェア仕込めたな、良亮。こっちは犯人のメールアドレスすらわからないってのに」


 晃一は良亮のしたことに疑問を抱きながらもキーボードを叩く。理由はどうであれ、せっかく作り出されたチャンスである。ここを逃せば次はないかもしれない。その思いが晃一を突き動かしている。


「何って、犯人がよく使う恵比寿さんのアカウントを使ったんスよ。犯人の動きを知るためにって放置されてた、恵比寿さんしか使ってないアカウントなんで、それを利用したっス。と言っても、普通に恵比寿さんのアカウントにマルウェア仕込んだ添付ファイルとメッセージを送り付けただけなんスけどね」


 良亮が言っているのは、オリンピック・パラリンピック関係者専用サイトのことである。犯人のメールアドレスがわからないため、犯人が頻繁にアクセスしているとされる専用サイトのアカウントに、サイト経由でメールを送った。


 幸か不幸か良亮の送り付けたメールは無事に開かれ、一台のパソコンがマルウェアに感染することとなった。マルウェアのプログラムによるものだろう。感染したパソコンのIPアドレスが良亮のパソコン上に表示されている。奇しくもそれは晃一が突き止めた犯人のそれと同じもの。


「晃一さんが失敗した時に備えて、スパイウェアの要素も持たせたんスよ。ちなみに、恵比寿さんのパソコンじゃないですからね。恵比寿さんのIPアドレスは、ちゃんと本人に許可取って事前にメモしておいたっス」

「最初からそれくらいやる気だったら、ここまで事態が悪化することもなかったと思うんだがな」

「……そ、それについては反省してます。俺だって、今なら昔の俺が信じられないっスよ」


 言葉をかわしている間にも、液晶画面に表示される内容が変化していく。それは晃一が犯人と思わしき者のパソコンにハッキングを仕掛けているから。ある程度侵入を終えた所で、晃一が良亮からUSBメモリを受け取った。今、晃一の最後の攻撃が始まる。

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