8. 交錯する運命

交錯する運命(1/6)

 二〇二〇年八月九日午前七時。東京オリンピック閉会式が行われる本日、空は清々しいほどに晴れていた。日曜日というだけあって、この時間はまだ外に出ている人はごく少数だ。静かな街中で、朝早くから慌ただしく荷物を運ぶ若者達がいた。


 筋肉質な体を持つ若者が自らの背丈の半分程はあるであろう大きな段ボールを運ぶ。段ボールで正面を見ることは叶わず、その重量に数歩進む度に小休憩を挟む。朝でも多少の暑さを伴うこの時期。暑さと荷物運びのせいで、若者は汗だく状態だった。


「裕司、大丈夫か?」


 筋肉質な若者――裕司の名を呼びながら、別の男性が背後に近寄る。その手には二台のノートパソコンが大事そうに抱えられていた。その上に載せられたパソコン用コードとUSBメモリは、今にも落ちそうだ。


 彼らが向かう先には、一台の乗用車がある。窓ガラスからは、すでに後部座席に積まれたいくつかの段ボールが確認できた。今裕司が運んでいる段ボールを積めば、後部座席に人が乗るスペースは無くなるだろう。


「うーん、とりあえず大丈夫ー」

「それ、絶対に落とすなよ?」

「わかってるってば! もう、海人は心配性だな」

「お前の運び方が危なっかしいんだよ!」


 海人に心配されながらも裕司は無事に荷物を後部座席に乗せた。シートベルトを使って段ボール箱をある程度固定すると、自らは運転席に着く。裕司に続いて海人が、パソコンを抱えたまま助手席に乗り込んだ。


「ナビのセット良し、荷物良し、車の確認良し。ガソリン良し。そっちは?」

「パソコン良し、コード良し。今から自分のパソコン立ち上げるわ」

「了解。じゃあ、出発しちゃうよ?」

「どうぞ。着く頃にはパソコンも使えると思うから、とりあえず安全運転で頼む」


 海人の返事を聞くと、裕司は素早くエンジンをかけた。道路の安全を確認すると慣れた手つきでハンドルを操作し、交通の波に乗る。車に設置されたカーナビが機械的な音声で道案内を開始した。



「目的地周辺に着きました。ルートガイドを終了します」


 車内にはカーナビの音声が響く。それに続くように、パソコンの起動音が鳴る。彼らの車は今、国立競技場駅の近くに停車していた。ここから新国立競技場までは徒歩で五分もかからない。しかし、車に積んだ全ての荷物を運ぶとなると話は別だ。


 海人がキーボードの上にそっと両手を乗せた。ゴクリと息を飲む音がやけに大きく聞こえる。チラリと裕司の方を見れば、その顔が小さく頷いた。


「じゃあ、やるよ? ターゲットは代々木公園及び新国立競技場周辺の信号。ただし一部区間は除く。……本当に、いいんだね?」

「ここまで来たらもう、引くに引けないでしょ。じゃあ僕、一応関係者だし、堂々と関係者口から荷物運ぶね。台車で運ぶし、セッティング入れても一時間位だと思う。くれぐれも無理しないでね」

「それは無理だろ。今の時点で十分危ない橋渡ってるからな。そんじゃ、あらかじめ用意しといた踏み台を使って、信号トラブルを起こしますか」


 裕司が車から降り、台車に段ボール箱を積んでいく。全て積み終えると、歩道を使って新国立競技場へと向かった。助手席に残された海人はハッキングを仕掛けるべく、液晶画面を睨み付ける。その指先は不自然に震えていた。




 新国立競技場には多くの関係者達が出入りしている。本日二十時から行われる閉会式に向け、最後の調整をしているのだ。関係者で溢れた会場内に、裕司は臆することなく踏み込んだ。台車で大荷物を運ぶ裕司の姿に、自然と関係者の目が集まる。


 関係者の一人と思わしき男性が裕司の元に歩み寄ってきた。少し色が抜けはじめた明るい茶髪に、クールビズに則った正装をしている彼に、裕司の眉がピクリと反応する。わざとらしさのない爽やかな笑顔を向けられ、慌てて笑顔を浮かべた。


「あれ、恵比寿さんじゃないっスか。どうしたんスか、その大荷物?」

「どうって、今日搬入予定だった荷物の一部です。これから中身を確認して、閉会式に備えて最終準備をするんですよ。京橋さんこそこんな時間にどうしたんですか?」


 裕司に話しかけてきたのは、サイバーテロ対策チームの若きチームリーダー良亮。東京オリンピック開催後の様々な騒動を経て、すっかり面構えが変わった。仕事にも真面目に取り組んでいるらしく、今や晃一と共に率先してサイバーテロへの対策を行っている。


「俺っスか? 俺は、晃一さんと一緒に朝から準備っすよ。『用意周到な犯人だから、当日は朝から動くに違いない』って晃一さんが言ってて、じゃあ朝一で動くかなーって」

「お互い、頑張りましょう。なんとしても無事に終わらせたいですし」

「っスね。恵比寿さんも俺も、みんなで頑張るっスよ!」


 良亮の声掛けをなんとかやり過ごした裕司は、やや急ぎ足で会場内を移動。重たい荷物を台車で運びながら、目当ての場所へと向かう。足を進めるたびに滝のような汗が一滴また一滴と足場を濡らした。

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