交錯する運命(2/6)

 新国立競技場のモニタールームでは、良亮と晃一が一台のパソコンを睨みつけていた。他のサイバーテロ対策チームの構成員はまだ来ていない。良亮と晃一が朝早くからモニタールームで作業をしているのは、閉会式で何かを仕掛けるであろう犯人に対抗するためだ。


 パソコン上では一つのソフトが開かれている。いくつもの企業が採用しているとされる「PC監視ソフト」に似たようなソフトではあるが、その用途は本来のものとは大きく異なる、今開かれているソフトは、既存のものを参考に晃一が一から組み立てたものだった。


「本当にこれでアクセス履歴が分かるんスか?」

「要は監視ソフトの改造版だからな。印刷とかの履歴を見れなくして、代わりにアクセスされた履歴と接続したサイトとかの履歴を見れるようにした。と言っても、あくまで新国立競技場周辺地域限定だ。他に踏み台が用意されてたら……」

「ここは賭けってやつっスね」


 今回の犯人はコンピュータ技術に長けており、何らかのサイバー攻撃を仕掛ける可能性が高い。悪意のあるクラッカーなどでは、身元を特定されないために踏み台を使用することが多いとされている。その踏み台は大きく二つに分けられると、晃一は考えていた。


 一つはあらかじめ目星をつけておいた、いつでも出入り自由なパソコンを踏み台とする一般的な方法。そしてもう一つは、室外で複数の無線ルーターを切り替えながら侵入する方法。これらは単独で使われることもあれば、同時に使われることもある。だからこそ、晃一はここで宣言をする。


「無線ルーターにアクセスしている機器のIPアドレスもすぐにわかるようにした。一種のアクセス履歴だしな。その分手間がかかったけど。もう同じ手はやりたくないな。このプログラムも、パラリンピックが終わったら消す」

「でも、無線ルーターを使う保証なんてないっスよ?」

「いいや、俺の予想だが、犯人は間違いなく室外にいる。となれば、近くのフリーの無線ルーターを使うのが一般的だろ。接続機器も多くて誤魔化せるしな。失敗しても、まだ次の手はある」


 晃一が自慢げに言うも良亮はまだ不安そうだ。無理もない。サイバー攻撃は犯人特定が難しいとされている分野であり、犯人を必ず見つけられるという保証はない。見つからなければ今夜、閉会式で事件が起こる。


「無線ルーターだけでよかったかもな。他のパソコンはいらなかったか? いや、警戒して損は無い。定期的に更新して、アクセス時間が近いものを常に表示して……」

「俺、全然見方わかんないっスけどね」

「覚えなくていいよ。悪用されたくない。それに、お前には内通者を見つける方を頑張ってくれないと困るからな」


 本来の「PC監視ソフト」は企業側が、社員が社用パソコンを使って何をしているのかを調べるためのものである。今回、一定範囲内で擬似的とはいえ似たような機能を持たせるのにかなり苦労していた。やっていることが上司にバレれば、間違いなく何らかの罰を与えられるだろう。しかし、それだけのリスクを負ってでもやる価値はある。




 八月九日午前七時半。モニタールームでパソコンを監視しているだけの晃一。その胸元から、軽快な着信音が鳴り始めた。発信者を確認すると、すぐさまスピーカーモードにして良亮にも声が聞こえるようにする。


「大変です! 今、新国立競技場の近辺で、交通事故が多発してます! どの現場も信号が全て青くなっているらしく、人手が足りません。おそらく、何者かが信号を乗っ取ったのかと――」

「今からアクセス履歴を知らべる。ありがとう、東新。また連絡頼む」


 発信者は晃一と同じサイバー犯罪捜査官である東新。東新の声とは別に人の悲鳴や怒鳴り声、大きな物音、救急車のサイレン、車のクラクションが聞こえていた。信号が意味をなさなくなった今、現場は大きな混乱に包まれているようだ。怪我人が出ているのはまず間違いないだろう。


 交通機関、特に会場周辺の信号機が犯人に狙われるのは晃一の想定内だった。こういう時にどうすべきかは事前に決めてある。晃一は良亮の目の前で誰かに電話をかけた。コールを数回と聞かないうちに、相手がそれに応じる。


「こちら、サイバー犯罪捜査官の五十嵐です。寺田さん、やはり信号機の乗っ取りが起きました。予定通り、交通整備のための人員を回してください。……はい、すでに先方に指示は伝えてあります。手信号に変わり次第対処してもらう予定です。……はい、よろしくお願いします」


 寺田は警視庁における晃一の上司である。犯行予告を受け、オリンピック閉会式では緊急時に人を回すように話が通っていたらしい。晃一が電話で話しながらパソコンに向かって何度も礼をする様子を、部外者である良亮は見守ることしか出来ない。


 外の信号機トラブルに起因してだろうか。モニタールームと扉1枚挟んだ外側がやけに騒がしい。状況が状況なだけに、騒音として無視することは出来なかった。晃一が通話中なのを確認すると、良亮は素早く席を立ち上がり、モニタールームから飛び出す。


「千駄ヶ谷駅近くの交差点で事故が起きたらしい。東京体育館でも、か」

「信号機が全部青になってるらしい。あちこちで事故が発生して通行止めされてるよ。新国立競技場に来るはずだった警官は大丈夫か?」

「車がまともに動けないそうだ。閉会式の最終リハ、できるか?」


 朝早くに新国立競技場に来ていた関係者達は、状況を知って不安がる。嫌な予感がした良亮は、周りの声に耳を済ませながらもスマートフォンを使って可能な限り情報を集める。


 SNSではすでに、異常を示す信号機の写真が挙がっていた。それだけではない。新国立競技場近辺の道路で起きた交通事故の状況、信号機の異変に対する意見、オリンピック関係者や警察を避難する声。あるSNSでは「信号機トラブル」のワードがトレンド入りしてしまっている。


 一度ネット上に流れてしまった写真や発言は消すことが難しい。匿名掲示板ではすでに、オリンピック運営に対する誹謗中傷が書き込まれ始めている。中には犯人を賞賛する声もある。大きく動き始めた現実に、良亮は成す術なく立ち尽くすことしか出来ない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る