第20話 ユウキ(14)

口の端から血泡を吐きながら、アーマード倫理観の巨体がユウキに向かって突進する。

勢いよく拳を振り上げるのを見たユウキがとっさに後ろにのけぞると、その突きだされた拳は風を切ってユウキの鼻先をかすめた。

「殺して、やる」

振り下ろされた拳とは別の手がユウキの頭をがっしりと掴んだ。

「お前の顔を、体を、めちゃくちゃに壊して―――」

小さな村にいたユウキの母親と、バリケードの前に立ったハルカと、今まで屠った美しい少女たちと同様にそのまま大地にその頭を、その顔を叩きつけようとアーマード倫理観は嗤った。

美しい女の顔が無様に変形し、腫れあがり、壊れていくとアーマード倫理観の心は安安らいだ。ドスケベマンにこのような恥辱を味わうことになったのも、この美しい女たちのせいだとアーマード倫理観は思った。


力があればバカにされない。

力があれば支配できる。

力があれば美しい女を殺すことができる。

力があれば愛されなくとも生きていける。

力があれば。


アーマード倫理観が手に力を込めたまさにその瞬間、ユウキの耳に声が聞こえた。

「――ウキ!!」

その叫びはドスケベマンではなく、タカシでもない。

身を起こしたコウタロウが銃を構え、そして。

「うあああ―――ッ!!!」

コウタロウの全身が悲鳴を上げる。

恐らくどこかのいくつかの骨が折れており、どこかからは血が流れ出ている。だが。

『――男は女を守るんだ』

そうタカシに言われたのがずいぶん昔のことのように思える。

やらなければ、そうでなければ自分は自分に胸を張れないのだ。

自分が、自分の道を選ばなければならないのだ。


銃声が響き、反動でコウタロウは後ろにそのまま転がった。

コウタロウの全身が鼓動とともに脈打つように痛みを訴える。

だが――その弾はアーマード倫理観の白い肌に刺さり、その肩の白い肌に大輪の薔薇を咲かせた。

「ぎひ―――ッ!!」

アーマード倫理観は信じられないという顔のまま肩を押さえた。

それはすべての動物が痛みを感じたときに行う反射的な―――だがアーマード倫理観が長らく忘れていた、肉体の痛みに対する防衛行動だ。

だがそれによってユウキからその手は離れ、ユウキの目の前にその胴がさらされた。

そこへ向けて、ユウキは体ごと全体重をかけてぶつかる。

その手にはしっかりとナイフが握られていた。


「――あ……?」

アーマード倫理観は自分の身に突きたてられたものがナイフであると、それが己の心臓に深々と刺さっていることを気付くのに少し時間がかかった。

「……あ――あ。」

そのままユウキの身体を巻き込みながら倒れ、その口からはとめどなく血が溢れる。

「――言い残すことはあるか?」

倒れたアーマード倫理観をドスケベマンは見下ろしていた。

そうか、とようやくアーマード倫理観は理解した。

自分は死ぬのだ。

巻き込み自分の体の上に乗っていたユウキを突き飛ばして、体を引きずりながら、それでも立ち上がろうとする。

しかし、指先から、つま先からどんどん力が抜けていく。

指先から、つま先から冷たい感覚が這い上がる。

唇から、胸から嗅ぎ慣れた臭いの液体が溢れる。

「――あるものか」


―――リョウコの声が聞こえる。

『アキちゃんはかわいいよ』

『アキちゃんはすごいなあ』

『アキちゃんは努力家だから』

―――その胸をこの拳が貫いたとき、それでもリョウコは。

『アキちゃん』


「そうか―――」

アーマード倫理観は虚空へ手を伸ばした。

「―――あたしは」

その手から力が抜け、どさりとその場に落ちる。

ユウキとコウタロウはそれをただ見ていた。

悪魔のような怪物だったはずなのに、自分の家族や仲間を殺した憎い敵のはずなのに、その死に顔はまるで子供が泣きじゃくっているかのよう見えた。


びゅうと強い風が吹いて木が揺れ、そこでユウキははっと我に返った。

「あの――!」

しかし、自分を救ったドスケベマンと名乗る男は消え失せていた。

まるで最初からそこには何もなかったかのようだった。

「ユウキ」

荒い息を吐いてコウタロウがよろよろと立ち上がる。

「コウタロウ」

ぐらりとコウタロウがバランスを崩したのを見て、ユウキはそれを支える。


大人たちは誰もいない。誰もいなくなってしまった。

これからどうすればいいのか、ユウキには全くわからなかったし、これからどうなるのかも全くわからなかった。

やるべきことも、やらなければいけないこともわからない。

でも一つだけ思ったことがあった。

「生きよう」

「うん」

二人はどちらからともなく手をつないで、支え合いながら歩き出した。

いつの間にか空に昇っていた月の光が二人を照らしていた。

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