第19話 ユウキ(13)

「な――!?」

男の名乗りにドスケベアーミーたちの空気が凍る。

アーマード倫理観すらも残った右目を見開き驚愕していた。


「お前、いい女だなあ」

ドスケベマンと名乗る覆面の男はユウキに振り返り、マスクから見える目を細めた。

「あと10年……いや5年したら最高の女になるぞ」

そう言いながら、夕暮れの赤紫の光を背にドスケベマンはユウキの頬の乾きかけている血をそっとぬぐって、その手に落としたはずのナイフをそっと握らせた。

おとぎ話のようだ、とユウキは思った。


「どうやって来た!どうやって!!」

アーマード倫理観が叫ぶ。

「東横線も東海道線も――京浜東北線も封鎖していたはずだ!」

声の主に振り返りドスケベマンは高らかに言い放つ。

「――京急で来た!」


京急――京浜急行電鉄遺構。

それはところどころの廃墟と崩れかけた高架を持つ朽ちた路線だ。

かつて高速で電車が行き交っただろう線路は、その大部分を占める高架橋の劣化や崩落により輸送路としては使用できず、せいぜい駅の遺跡が物見台として利用されている程度であった。

……しかし、現在アーマード倫理観たちが立つ八景島――及び横浜市より南、海岸線においては地上から身を隠し移動するには確かに最適であろう。

もっとも、その高さへ駆けあがる超人的な身体能力があれば、の話であったが。


がきり、とアーマード倫理観の手の中で握りしめた石が悲鳴を上げ砕けた。

ドスケベマンの名乗りと、アーマード倫理観の投げる岩を受け止めたその力を見て、わずかに残っていたドスケベアーミーたちは戦意を喪失し散り散りに逃げ出した。

「……そうか、そうか、あたしの見落とし、そうか―――」

ぐつぐつと不気味に笑いながら狂った眼でアーマード倫理観はドスケベマンを見る。

「――ちょうどいいじゃないか。ドスケベの根絶やしだ。全員殺せばいいんだ。全員殺して、そうすれば」

アーマード倫理観は無意識に舌なめずりしていた。

「ドスケベを虐殺し、全員殺してやる」

その顔を見てユウキの身体が、脳が本能的な危険から震えだす。

指が白くなるほど握りしめなければナイフを取り落としそうだ。

怖い。怖い。純粋な暴力・悪意・殺意。

「――虐殺、か」

あたりに満ち溢れた殺意は、ドスケベマンの声で切り裂かれた。

「お前だって――人を殺して興奮してるじゃねえか」

アーマード倫理観の顔色が赤を通り越してどす黒く変わっていく。

「……お前らと一緒にするな!!」

食いしばった歯の音が、ユウキの耳にまで聞こえた。

「あたしは!ドスケベを!根絶やしにするんだ!」

アーマード倫理観の巨体が跳ね、ものすごい速さでドスケベマンへ突進する。

さながらそれは戦車か何かがフルスピードで突っ込んでくるようなものだった。

ユウキは思わず目を閉じる。だが。

「――お前、いい体してるじゃないか」

その巨体をドスケベマンはがっちりと抱きしめ、アーマード倫理観に囁く。

その体に突き刺そうとした鉄の拳は、ドスケベマンが上から握りしめしっかりと受け止めていた。

「焦らなくてもいいぞ」

抱きしめた巨体がふわりと宙に浮く。

ユウキはドスケベマンの身体越しにアーマード倫理観の驚愕の表情を見た。

「――楽しもうじゃないか」

ふわりと浮いたアーマード倫理観の身体が、そのまま元いた方向へ投げ返される。

投げ返され宙を舞う身体を追うようにドスケベマンはそのまま同じ方向へ走りながら、素早くその鎧に奇妙な当て身を繰り返した。


当て身のような何かをさばきながら、アーマード倫理観は大地にアンカーを立てたかのような足跡を残しながらその投げられた勢いを殺し、体勢を立て直す。

ドスケベマンの攻撃は鎧越しには蚊が刺すほどでしかなく、先ほどの己の拳を受け止めたのがウソのようであった。

「――怪力かと思えばなんだその攻撃は……?!」

アーマード倫理観が大きく体勢を戻した瞬間、アーマード倫理観を覆う鉄の鎧がまるで魔法のように音を立ててその場に剥がれ落ちた。

「ほう――色は白いし胸も大きい。むっちりしたエロい身体だ」

一歩引いて距離を取ったドスケベマンが言い放つ。

「な――な――」

普段鎧に覆われたその体は透き通るように白く、その巨体は引き締まった体の上に脂肪が乗っているが、腰はしっかりとくびれ、そこから下着越しに尻、太ももにかけて大きく張り出している。

腹の脂肪すらもその体にとってはエロスのスパイスとなっている。

また腰から上、乳房は大きくもっちりと膨らんでおり、それを布で巻いて無理に押しつぶしているのがはっきりとわかる。

太い二の腕と肩の筋肉から布を巻いた乳房に掛けるほんの少しの丘陵は潰されながらもその柔らかさを物語っていた。

アーマード倫理観自身が忌み嫌ってきたその顔ですら、そのアンバランスさが色気を際立たせていた。

「あたしは――エロくない!!」

怒りからか羞恥からか、全身が赤く染まり、そして大地を蹴ってドスケベマンへ跳ぶ。

しかしその渾身の拳は流れるような所作で受け流された。

「お前が殺した女たちも、そう思っていただろうよ」

その背中にドスケベマンの肘が入り、アーマード倫理観の背中が大きく反る。

「が――!」

アーマード倫理観は呻きながらもそのまま大地を蹴って体を跳ね起こし、その勢いでドスケベマンへアッパーパンチを振るう。だがそれは空を切り、がら空きになった胸部に掌底が入ってまたアーマード倫理観は身を捩り、それでも拳をドスケベマンへ向ける。

「ころしてやる!ころして!やる!」

噛みしめた唇からは血泡が立っていた。

「――ドスケベは、すべての人間の心の中にある」

「あたしは!ドスケベじゃない!あたしは!」

静かに言うドスケベマンに半ば悲鳴のように叫びながらアーマード倫理観は鉄の拳を振るおうとするが。

「お前は殺人と支配に憑りつかれた、ドスケベだ」

ドスケベマンは穏やかな声でそう返し、腹部に膝蹴りを入れた。

「ぐあ――」

その体は一度宙へ浮かび、そのあと大地に叩きつけられる。


ユウキは二人の戦いを呆然と見ていた。

あれほど自分を蹂躙したアーマード倫理観はまるで子供のようにあしらわれている。

何故だろう――ユウキにはその表情すらも駄々をこねる子供のように見えた。

その巨体は何度も波打ち、何度もドスケベマンに受け止められる。

アーマード倫理観は何度攻撃を食らっても巨大なロボットのように立ち上がった。


幾度目に立ち上がった瞬間だったろうか。

「――!」

アーマード倫理観とユウキの目が合った。その瞬間、白い巨体は弾丸のようにユウキのほうへ向かった。

「ぎいいいいい!!!」

食いしばった歯の隙間からもはや言語ですらない言葉を放ってアーマード倫理観はユウキへ突進する。

美しい少女。自分にないものを、自分がけして手に入らないものを持った女。妬ましい。嫉ましい。ねたましい。殺す。殺す。殺す。

アーマード倫理観の脳にはただひたすらに殺意だけが渦巻いていた。

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