第18話 ユウキ(12)

黄昏の中、大きな巨体が見える。そして、いつの間にか周りには何人かのドスケベアーミーが半円を描くようにタカシたちを囲んでいた。

「――くそっ!お前たちは走れ!!」

タカシがドスケベアーミーを、アーマード倫理観を撃つ。

コウタロウは残ったありったけの力で、トンネルの中にユウキの手を引いて走ろうとした。

しかし唐突にそのコウタロウが横ざまに吹き飛び、ユウキの手からその手が離れる。

アーマード倫理観は握りこぶしほどの石をコウタロウに投げたのだ。

いや、もはやそれは投げたというよりも、大砲を撃ったというほうが正しいかも知れない。

凄まじいスピードで投げられた石が身体に当たったコウタロウは数メートル転がり、そのまま動かない。

ユウキは言葉にならない声をあげた。

ほぼ同時にタカシは全身を血に染めながらもドスケベアーミーに吼え、銃を撃ちながら走る。

あれほどいたドスケベアーミーたちは、すでに半数が倒れており、残った半数もその気迫に気圧されていた。タカシはがら空きになったアーマード倫理観の腹部に銃弾を叩き込む。が。


ギィン!


鉄と鉄が擦れる不快な音を立てて、その銃弾は跳ね返される。

一瞬あっけにとられ、しかしそれならと今度は頭に狙いを定めた瞬間、タカシの身体は宙に浮いた。

そのまま、ボールのように跳ね、転がる。

腹部には、人の頭ほどの岩が投げつけられていた。

タカシの肋骨がみしりと折れる音が聞こえ、血が口からあふれる。

「タカシさん――?!」

ユウキは傷ついた足を庇いながらも転がったタカシに向かって駆け寄ろうとする。

「……ぐ……!」

タカシはそれでも懸命に体を支え起こし、そして銃を構えた。

「お前ら、にげ……ろ……」

ユウキにタカシが、残った力で叫び、銃の引き金に指をかけ足を動かしながら撃つ。

残ったドスケベアーミーが放つ銃声はタカシの身体を跳ねさせ、真っ赤に染めていく。

全身が血にまみれたぼろきれのようになりながらも、すでに足は動かず這いずりながらも、タカシは銃を離さず、撃つ。

自分の仲間を奪った、自分たちの未来を奪おうとするアーマード倫理観とドスケベアーミーへ。

タカシの弾にドスケベアーミーの何人かは倒れた。だば。

「―――汚いなあ、ドスケベは」

アーマード倫理観はそうつぶやくと、タカシの元へ歩み寄る。

タカシはそれに向かって銃を撃ち、撃ち、撃ち、血で霞んだ眼でアーマード倫理観に一矢報いようと撃つ。


しくじったなあ、とタカシは思った。

自分は何もできなかった。

あれほど鍛錬しても、ドスケベを奪う暴力からユウキとコウタロウのような子供を守れない。

目の前のアーマード倫理観への恐怖よりも、ドスケベアーミーたちへの怒りよりも、あの日『あの人』に助けられてから何も自分が変えられなかったのではないか、という後悔。

がちり、と撃鉄が鳴り弾切れを告げた。

コウタロウはまだ息があるだろうか。あるならユウキと今のうちに逃げてほしい。

ただの一人でも、逃げて、自分らしく生きてほしい。

だが、自分は―――


ユウキは動けなかった。ユウキは、アーマード倫理観の拳がタカシの身体を貫いても、動けなかった。

銃を持つタカシの手から力が抜け、地面に落ちた。


「―――うああああああああああ!!!」

ユウキは叫んだ。叫んで、叫んで、叫んで、足の痛みも振り切ってアーマード倫理観に向かう。

体当たりをしようとした直前、アーマード倫理観はユウキの身体を片手で止め、まるで蠅を払うかのように平手で薙いだ。

その軽々とした動作にも拘わらず、ユウキの身体は横に吹っ飛ぶ。

全身が痛い。でもまだだ、まだ走れる。ユウキは立ち上がろうとしたが、それより早くアーマード倫理観がユウキの頭を掴み、ニタニタと厭らしく笑いながら引き起こした。

「――お前が逃げた女だろう?」

アーマード倫理観は顔を近づけてユウキに言葉を続ける。

「――美しく生まれたお前は、存在がドスケベなのだ。いるだけで害悪なのだ。ここの奴らは全て、お前のせいで死んだんだ」

ユウキの顔にその生臭い息がかかる。

「この男も、そこの坊主もかわいそうになあ。お前のせいで、ドスケベのせいで、みんなこうなったんだ。お前がドスケベだったから」

「―――ちが、う」

「は?」

ユウキは振り絞るように、だが射るような眼差しで言った。

「私は、自分で、自分らしく、生きたい」

アーマード倫理観が眉を上げる。

「――農奴のお前が?自分らしく?」

ユウキのその目にアーマード倫理観はあの母親の憐れむような笑みを、H06号の最期の顔を、かつて自分を『友達』と呼んだ女の顔が重なり、どうしようもない苛立ちが湧いた。

何故、こいつらは自分の力に恐れ、怯え、服従しないのか。

「そうやって見た目のいいお前のような女が、男どもにドスケベを覚えさせるのだ。そうやって性的な魅力を振りまいて!男たちを誘うからだ!愚かなお前たち民衆をドスケベから救うために!あたしはお前のような!ドスケベな女を!排除してきたんだ!」

苛立つアーマード倫理観にユウキは全身の力を振り絞って吼える。

「ドスケベかどうかを選ぶのは!私自身だ!」

アーマード倫理観に掴まれた頭がみしみしと音を立てている。

気を抜くと全身の痛みで意識は途切れそうになる。

だが、ユウキは叫んだ。

「私は、私自身のもんだ!!」

アーマード倫理観の顔が赤黒く染まった瞬間、ユウキはその右手をアーマード倫理観の眼のほうに突き出す。

その右手には、あのコウタロウに渡されたナイフが握られていた。

ナイフは、ずぶり、と鈍い感触とともにアーマード倫理観の左目に刺さった。「――がああああああああああ!!!!!!!」

アーマード倫理観は雄たけびを上げ、ユウキを振り払い、ユウキの身体は勢いよく投げ出された。

「ああああああ!!!!殺してやる!!!殺してやる!!!殺してやる!!!!」

狂ったように叫び、だらだらと左目から血の涙を流したアーマード倫理観は、刺さったままのナイフを引き抜いて投げ捨てた。

「――ぶち殺す、ぶち殺してやる」

ユウキが必死に体を起こし、アーマード倫理観を見た。

それは、その顔にゆらゆらと狂気を浮かべたアーマード倫理観がまさにユウキに向かって全力で岩を投げようと振りかぶった瞬間だった。


ああ、もうだめかな。

ユウキはぎゅっと目をつぶる。

自分の母親が、タカシが、コウタロウが、自分に逃げろと言ってくれたのに、逃げられなかった。あれほど生きろと言ってくれたのに自分はここで死ぬんだろう。

アーマード倫理観に傷を付けることはできたが、倒すことはできなかった。

ハルカからもらったこの制服も、血や泥でボロボロになってしまった。

そのハルカはどうなったんだろう。

悔しくて、悲しい。

奥歯を噛みしめ、その衝撃に身をすくめた。


「―――あ、れ?」

強張った体に、いつまでも衝撃は来ない。ぎゅっと閉じていた目をそろそろと開いたユウキの目の前には。

「……いい球投げるじゃねえか」

大きな背中が、アーマード倫理観の投げた球を受け止めていた。

「――なんだ、貴様は……」

大きな背中の向こうに、己の渾身の一撃を受け止められ、あっけにとられた顔のアーマード倫理観が見えた。

「俺は」

ユウキの前に立っていたのは。

「ドスケベマンだ」


それは、ドスケベマンであった。

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