第17話 ユウキ(11)
茂みや木の陰、物陰に隠れながらユウキとコウタロウは走り続けた。
空は赤と青のグラデーションに染まっており、夜の闇はすぐそこまで押し寄せてきていた。
夜になれば、敵にも見つかりにくくなるだろうが、木々の間から、建物の内部から、あちらこちらから絶え間なく響く銃声には夜を待つ猶予は到底なさそうだった。
「……ちっきしょう」
ぎり、とコウタロウは奥歯をかみしめる。
木の陰からちらりと見えたコンクリートの通路の上に、見知った顔の人間がまた倒れていた。
その体の周りには赤黒い液体が水たまりを作っている。
鉄と火薬と砂の擦れるような臭い。
ユウキは、何も言わず、コウタロウの手をぎゅっと握りしめた。
藪を潜り、木々の間をすり抜け、ドスケベアーミーとレジスタンスの――何人もの大人たちの死体と血の跡を見ながら、ふたりは走り続けた。
走り続けるしかなかった。
「もうちょっとだから――」
コウタロウが少しだけ振り向きユウキに声をかけた。
ユウキは小さくうなずく。
木々の間から飛び出すと、そこには真っ黒いペンキをぶちまけたような穴があった。
八景島と横浜をつなぐ、海底トンネルらしい。
「あそこから、海の下を通ったら外に出れる。そしたら――」
二人がトンネルに向け走り出した、その瞬間。
「―――!」
ユウキの頬にかっと熱いものがかすめた。
その衝撃にユウキは思わずつんのめる。
ユウキの転倒に巻き込まれる形でコウタロウが体勢を崩した。
コウタロウが驚いてこちらを見るその肩越しに乾いた破裂音と火花が見え、ほぼ同時にコウタロウのその肩に赤い染みが広がって、コウタロウはそのまま転がった。
「がっ―――!」
痛みと衝撃にうめき声を上げ倒れるコウタロウ。
その破裂音は、今目の前のトンネルの中から放たれたものだった。
そう、二人がここまで走り続けてくる途中散々聞いた、あの音。
ユウキは目の前の世界がすべてゆっくりに見えた。
『動かなきゃ』
近くの木の陰にコウタロウの手を引いて転がり込もうとする。
その足に何かがかすめてまた灼熱に似た痛みが走る。
トンネルの前にはよく見ると、昼間一緒にガラクタをいじっていた男が倒れている。
見開かれたその目はすでにここではないどこかを見つめていた。
足がもつれる。コウタロウが身を起こそうとする。銃声。銃声。
走らなきゃ。走らなきゃ―――
「こっちだ―――!」
ユウキとコウタロウに横ざまから何かがぶつかり、ふたりを突き飛ばすように押した。
その勢いで大きな木の陰に転がるように滑り込む。
砂が口の中に入る。乾いた音は鳴りやまない。
頬が熱くてぬるぬるしている。太ももが濡れている。
コウタロウは肩を抑えて浅く呼吸をしている。
自分たちを突き飛ばし、木の陰に押し込んだ人にコウタロウが声を上げる。
「タカシさん――?」
傷だらけであちこち血にまみれたタカシがそこにいた。
「お前たちは、間に合ったか」
荒い息でタカシが少しだけ笑う。
首に巻いていた布を取るとそれを縦半分に引き裂き、片方をコウタロウに、片方をユウキに渡した。
その女性の裸体が描かれたタオルには古い血のシミがあった。
「それで止血してくれ」
そうしてタカシは、木の陰から体を少し出してトンネルの暗闇に向かって銃を撃った。
「タカシさん、これって」
コウタロウが痛みに顔をゆがめタカシを見る。
「――二手に分かれてたんだよ」
タカシがトンネルの中へ向けて銃を撃つと、暗闇からうめき声がわずかに聞こえた。
それを聞いてさらにタカシはトンネルへ銃弾を叩きつける。
「そんな……」
コウタロウは思わず泣きそうな顔をしていた。
脱出口であるトンネルが封鎖されたということは、つまりこの島から自分たちは出られないということではないのか。
「バカ野郎、お前はユウキを守るんだ」
タカシはコウタロウとユウキの頭をぐしゃりと荒っぽく撫でた。
「トンネルは狭い。島の表側から攻めてきたドスケベアーミーの数を考えても、そこまで兵士はいないはずだ」
タカシはユウキとコウタロウの眼を見て言った。
「俺がトンネルを突破する。お前たちはそこから逃げるんだ」
ユウキの喉がぐっと詰まる。
タカシは二人に優しい声で言った。
「大丈夫、一人でも逃げられたら俺たちの勝ちだ。逃げて――生きるんだ」
タカシは、がしゃり、と銃の弾を装填して駆けだした。
タカシが物陰から飛び出したのを見て、トンネル内から数名のドスケベアーミーが走り出てきた。
タカシは素早く冷静に、ドスケベアーミーの急所を撃つ。
飛び交う銃弾の中、トンネルの外のドスケベアーミーを手早く倒すと、トンネル内部へ銃を乱射した。
それは一見無差別に撃ったように見えたがそうではない。
撃ちこまれた弾はトンネルの壁に当たり火花を散らしてあらゆる方向から内部にいたドスケベアーミーに襲い掛かった。
トンネルの壁に反響した銃声とともにうめき声が聞こえ、やがて静かになる。
タカシの鮮やかな戦闘にユウキとコウタロウは目を見開いて見つめていた。貴は明らかにドスケベアーミーと対等、いやそれ以上の腕だった。
かつてタカシは自分の命を助けられてから、自分の守りたいものを守り、自分の貫きたい思いを守るために血を吐くような鍛錬を積んだ。
それは少しでも自分を助けてくれた『あの人』に近づきたいという、子供じみた夢でもあった。
あれから何度も窮地に陥ったタカシを、それでも立ち上がらせ続けたのは二人に渡したタオルがあったからだ。
ライトをトンネルの中に向け、タカシは二人に手招きした。
「行こう」
「うん」
ユウキとコウタロウが互いに互いを支え合いながら、よたよたと走り出す。
目の前にはタカシがいる。
自分の親でもない、素性も過去も知らない大人なのに、なぜかタカシがいるだけで何とかなる気がする。
痛む足を庇いながらトンネルに入ろうとしたその瞬間、声が聞こえた。
「みいつけた」
夕闇の小道に現れた巨大な影。その口元は厭らしくニタニタと笑みを浮かべていた。
ユウキの全身に寒気がするような恐怖が走った。その時。
コウタロウがユウキをとっさに押し倒し、その上を人の頭ほどの岩が通り過ぎて、トンネルの脇の壁にめり込んだ。
タカシの頬に冷たい汗が流れる。
アーマード倫理観は、二つ目の岩を手のひらで転がしながら、3人を眺めていた。
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