ドッペル

T_K

ドッペル

私の身に異変が起きたのは、つい一か月前の事だ。


いや、私の周りに、と言った方が正しいかもしれない。



私は元来の出不精で、自分から望んで外出する事は殆どなかった。


友達に誘われれば行くけれども、可愛いワケでもないし、


メイクが上手いワケでもないし、


何より、人付き合い自体が凄く苦手だった。



友達に言わせると、気を使い過ぎているそうなのだけれど、


気を使い過ぎない様にって簡単に言われても、一体どうすればいいかわからない。


何を話せばいいのか、この話を聞いて相手は嫌な思いをしないだろうか、


そもそも私なんかと話して楽しいのか、そんな事ばかり考えて、


結局自分から話す事は殆どなかった。



そんな私だからか、友達から遊びに誘われる事は極稀で、


ましてや自分から遊びに行こうなんて言えるワケでもなく、


一人でネットサーフィンや絵を描いたりして休日を過ごしていた。



そんな私に、1ヵ月前だったか、


SNSに全く知らない人からダイレクトメッセージが飛んできた。



「この前は有難う。凄く楽しい時間でした。またお会い出来たら嬉しいです」



よくあるフィッシングサイトへの誘導か何かだろう。そう思って返事はしなかった。


今思うと、どうして登録した覚えがない人から


直接ダイレクトメッセージが飛んできたのだろうか。



6日後、また同じ人からメッセージが飛んできた。


文面には、私の下の名前、レストランの名前、食べたメニュー、


話した内容が断片的に書かれていた。



私はSNSの名前を本名ではなく、


好きなマンガの主人公の名前にしていたので、心底驚いた。


どうやって私の名前を知ったのだろう。


そもそも、この人は何で


レストランの名前や話した内容までを私に送ってくるのだろう。


最近のネット犯罪はここまで手の込んだものになっているのかと、


逆に感心する程だった。


多少恐怖も感じたけれど、個人情報の漏洩なんて、最近はよくある話だし、


きっと私を電話帳に登録している友達の誰かが何かに引っかかって、


電話帳のデータが流出したんだなと思っていた。



翌日の夜遅く、


今度は会社の同期のミドリからメッセンジャーにメッセージが届いた。


ミドリからメッセージが来るなんて何か月ぶりだろう。


会社で話す事はあっても、それ以外で話す事なんて殆どなかった。


同期だからという理由で、


同期会の時に連絡先を交換して以来のメッセージだったかもしれない。


メッセージを開いて、私は漸く、事の重大さに気付いた。


ミドリからのメッセージはこうだ。



「今日は本当に有難う。お陰で私は彼と付き合う事になりました。


今度何かお礼しなくちゃね。また明日、会社で!」



私はスマホをベッドに放り投げ、混乱した頭をどうにか落ち着かせようと、


お気に入りのブレンドティーを震える手で淹れた。


カップからは湯気と共に心地良い香りがしてきたのだが、


私にその香りを嗅ぐ余裕等なく、


両手で包んだカップを口元に運んで一口だけ飲み込んだ。


身体中で暖かな液体を感じる様に努め、心を落ち着かせた。


手の震えが漸く止まり、改めてベッドに横たわるスマホを拾い上げる。


何度読んだところで内容が変わるワケでもないのに、


私はその文章を穴が開く程に眺めた。



何かのイタズラだろうか。イタズラだとしたら趣味が悪過ぎる。


でも、ミドリがそんなイタズラに手を貸すだろうか。


私が言うのもなんだけれど、ミドリも大人しいタイプで、性格も悪いワケではない。


ミドリに問い詰めればきっと話してくれるはず。


直接メッセージを送ろうとも思ったけれど、どのみち、明日になれば判る事だ。


もやもやした気持ちを抱えつつ、私は眠りについた。



翌朝、デスクにつくと、私が話掛けるよりも先にミドリが抱き着いてきた。


予想外の出来事で、目を白黒させている私に、ミドリは矢継ぎ早に、


今日のランチを奢らせて欲しい事、また困ったら相談に乗って欲しい事を話し、


自分のデスクへと戻っていった。


すっかり問い質すタイミングを逃した私は、


ランチの時もメッセージの内容について聞けるはずもなく、


ただミドリの話を


「うんうん」と聞き続けていた。



ミドリの様子から察するに、明らかにイタズラなんかではない。


ミドリは本当に、私に対して心からの感謝を伝えていた。


いよいよ私の頭は混乱の極みに至った。



そしてその日の夜、あの知らない人から久しぶりにメッセージが届いた。



「先日も楽しかったです。もしよければなんですが、


今度の日曜日、好きだと言っていた映画を見に行きませんか?


それと、食事の時に撮った写真、送りますね。では、また」



メッセージの下から現れた写真を見て、心臓が止まるかと思った。


そこに映っていたのは、バッチリメイクを整え、


いつか着てみたいと奮発して買ったパーティ用ドレスに身を包んだ、


紛れもなく私だった。


その隣には、私好みの整った顔立ちをした優しそうな男性が、


照れた笑顔を浮かべ一緒に写っている。



一体どういう事?


何か大掛かりなテレビ番組のドッキリにでも、私は巻き込まれているのだろうか。


非現実的な事を考え、


今直面している現実から逃れようとしていた私に追い打ちを掛けるかの様に、


スマホがメッセージの着信を告げた。


恐る恐る画面を見ると、親友のミホからだった。



「夜遅くにごめんね。この間相談したの覚えてる?


明日買い物に付き合って欲しいんだ。お願い!」



渡りに船とはこの事だ。今は少しの時間でも一人で居たくない。


すぐに「大丈夫だよ」と返し、布団を被って眠りについた。



翌朝、起きてからすぐに準備をして、家を出た。


待ち合わせの時間より1時間も早く着いてしまったけれど、


そんな細かい事はどうでもいい。


ただ、一人で居たくないだけ。渋谷のハチ公前は、


相変わらず雑然としているけれど、


その喧騒が今の私には凄く有難かった。俯き加減でスマホを弄り、ミホを待つ。


しかし、その喧騒は一瞬にして静寂に変わった。



「やっと会えた」



あれだけ騒がしいハチ公前にも関わらず、ただその一言が私の耳に届いた。


私はその声に心臓を直接握られた様な気持ちになった。



その声は、私だ。



恐怖に震えながら顔をあげると、メイクをバッチリ決め、


オシャレな服に身を包んだ私と瓜二つの女性が、目の前に立っていた。


たまらずに叫ぼうとするが、おかしな事に声が出ない。


もっとおかしな事が目の前では起き続けている。



「私はあなた。あなたは私。怖がらなくていいの。これはあなたが望んだこと」



そう言うと、目の前のもう一人の私は、私を優しく抱きしめた。



「ドッペルゲンガーって知ってるわよね。出会うと死や災いをもたらすって。


あんなのただのフィクションよ。私が言うのはおかしいかもしれないけど」



もう一人の私はそう言って私に微笑みかける。


もう一人の私は、私と全く同じ顔なのに、凄く綺麗に見えた。


いつの間にか私の震えや恐怖は治まっている。



「私はあなたの偽物。本物はあなた。


でも、誰も私を偽物だとは思ってない。


あなたの周りの人、誰一人、私を偽物だと見抜く人はいなかった。


勿論、あなたを知らない人には、私は本物にしか写らない」



私は漸く理解した。この1ヵ月の出来事の顛末を。



「私があなたに伝えたいのはただ1つ。あなたも偽物になってみない?私みたいに。


きっと、何か変わるわよ。この私が出来たんだから、あなたにも出来るでしょ?


それに、こう考えれば楽よ。私は偽物。


本物じゃないんだから、何も恐れるものはない」



そう言い残すと、彼女は私の前から霧の様に姿を消してしまった。



周りの人達は目の前から人が一人消えたにも関わらず、


何のリアクションもなかった。


私だけにしか見えていなかったのだろうか。


駅の改札からミホが出てくるのが見えた。



日曜日、私はもう一人の私が仲良くなった男性と待ち合わせをしていた。


緊張して手に汗がジワリと滲む。


目を閉じて、ゆっくりと息を吸う。


ふと、声が聞こえた気がした。



「失敗を恐れないで、あなたは偽物なんだから」



地下鉄の出口から彼が出てきたのが見えた。私は笑顔で彼を出迎える。



「初めまして。この間は有難うございました」



私は偽物。その言葉が私を少しずつ変えはじめていた。

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