第10話


「はい!それじゃ瀬能さんを復帰させる会を始めます!」


 元気に宣言するが、使われていない移動教室の真ん中に鎮座しているのはたった三人だけだった。


 目の前には東田。 そして奴の正面に俺、そして東田の左、近藤恭介である俺自身の右には緊張気味の二人とは対照的にニコニコ笑う大隈先生が居た。


「うん~?声が小さいわよ、二人共……ガッツが足りないんじゃないかしら」


 困ったように頬に手を寄せて首をかしげる。


「は、ははは……すいません」


 ジェネレーションギャップを感じる大隈先生のノリに東田が気を使うように笑う。


「……すいません」


 俺は無難に返すことにする。


「まあいいです……私たちの目標は瀬能優香さんをもう一度学校に登校してもらい、演劇部に復帰してもらうことです、いいですか?」


「はい!」


「……はい」


 大きい声で返す東田。


 一拍置いて返事する俺。


「うん!東田君、気合が入ってますね……やっぱり主役にとってはヒロインは瀬能さんの方がいいのかしら~?」


「い、いや……そ、そういうこうとじゃなくて……」


 冗談っぽくからかう大隈先生に東田が少し赤い顔をして否定するが、その反応がわざとらしいようで、この眼鏡の女教師は過ぎた青春時代を思い馳せるようにニヤニヤと笑う。



 ムキに否定すればかえってこの人を喜ばせるだけと理解したようで、静かにひと呼吸して、


「俺は……逃げた自分が許せないだけです……あの時に俺が……ちゃんと説明しれてれば……」


 苦渋に満ちた表情からは真剣味が感じられる。


 やはり東田のイケ面指数は人並み外れている。


 俺に優香のような存在がおらず女だったら惚れていたかもしれない。 


 ありえないことではあるが……。


 一方そんなクソ真面目な結論が気に入らなかったようで、大隈先生はブスっとして「つまらな~い」と呟いていた。


「それじゃ近藤くんはどうして協力する気になったのかしら?」


 当然のように性格の悪い女教師は俺へと標的と顔の向きを変えて問いかける。


「……幼馴染の為、あとは俺も東田と一緒だよ」


「近藤……お前ってやつは……」


 少し涙ぐんだ東田が熱い両手で俺の右手を握り締める。


 気まずそうに視線を左に向ける。 


 なぜなら右に向ければ、さらにぶすりとした表情の女がそこにいるからだ。


「オーケイ……先生、貴方たちの気持ちよくわかりました。でも東田君はもうじき演劇の練習でしょうから先に行っててください、あなたには部内での情報収集をしてもらいますから」


 きりっとした表情の女教師に東田は、


「はい、わかりました」


 とさらにきりりとした表情で部屋を出て行く。 







 あとに残されたのは俺と女教師だけだ。 


東田が去った後の沈黙に耐えかねて俺から声をかけることにする。


「流石に本人目の前にしてつまんな~いはないんじゃないですか?」


「だって本当につまんない理由なんですもの……でもね?」


「グアッ……!」


 くぐもった声を出して椅子ごと後ろに倒れる。


 眼鏡の女教師が全力で机を蹴り飛ばしたせいだ。


 それが俺の腹にしたたかに当たり衝撃で倒れる。


「あんたのはつまらないを越して虫唾が走るわ……なんなの?あの無難な答え方、単純馬鹿なガキは騙せても私は騙せないわよ?」


 床に倒れる俺を見下ろしながら大隈がメガネを取る。


 レンズという遮蔽物で隠れていた心底震えるような冷たい瞳が俺を見据えている。



 あの女の正体は大隈だった。


 よくよく考えてみれば、俺や優香の家が近いことを知り、東田のことも知っていて演劇部の中の状況をしっているなら該当する人間は一人しかいない。


 だがあの日、決意した俺に彼女がそれを言うまで間抜けなことに気づくことができなかった。


 それは俺自身の鈍さもあるが、『普段の大隈』と『例の女である大隈』のイメージがあまりにもかけ離れていてイメージできなかったのだ。  


 そしてその結果がこの体たらくだ。


「べ、別に嘘なんかついていな……い、俺もあの時に何もしなか……ガァッ!」


 俺と大隈の間を隔てていた机を踏み台に乱暴に着地する。


 片足を俺の腹の上に墜落させて……。


「違うわよね?あなたは僕の可愛い可愛い彼女をイケメン東田君に取られないか心配だから来ました……でしょ?二人で喫茶店に行くように仕向けて自分は変装して二人の会話を盗み聞きしようとする……ああ、なんてゲスな男なのかしら」


 大隈は俺が変装して優香と東田の会話を盗み聞きしていた理由を勘違いしている。


 当然ではあるだろうが、これだけが大隈と俺との間にある唯一のアドバンテージだ。


 ……いや、果たしてこれがアドバンテージだと言えるのか?


 歯噛みする俺を虫けらのように踏みつけながらまるで歌劇の女優のように罵倒する。


「ぐっ……う、うるさ……い」


 容赦なく体重をかけてくる大隈に反論しようとするが、足を乗せている場所が的確で圧迫されて声が上手く出てこない。


 まるで図星のように絶句してしまう。 


 そんな俺に大隈はニコリと笑った後、足を除ける。


 呼吸困難になっていた俺は壊れた機械のように横向きで反吐混じりの咳をして悶絶する。


「仕方ないから許してあげるわ、貴方みたいな凡人でも瀬能さんの大事な彼氏だし、数少ない味方だしね……あの時少しでも躊躇していたら遠慮なく潰してあげられたのに……残念」


 演技じみた動きでクルリと踵を返して俺の顔の横に椅子を持ってきて座る。 


「ところで貴方、村瀬佑里恵って知ってる?」


 質問の意味がわからない。


「だ、誰だよ……それ」


 そう返す俺に、大隈はじっとこちらを見つめる。 


それは無表情ながらも、本能的に危険を感じさせる姿だった。


「まあいいわ……、とりあえず役割をはっきりさせておきましょう」


 椅子から立ち上がり、黒板の前へと移動する。 


 くそっ! 落ち着きの無いやつだ。


 どうせ黒板に何か書くのなら椅子になんか座らなければいいじゃないか!


 そこまで毒づいた(もちろん心で)ところで俺に対する嫌がらせと脅しも考慮していたということに気づいた。 


 かつて俺はこいつのことを優香と東田と同じ人間だと評価したが、勘違いだった。


 こいつはあの二人とは根本的に違う……優香にしても東田にしても基本的には明るく、歪んではいなかった。


 だがこの女はその点に置いて決定的に違う……どちらかといえば俺の側に近い人間だ。 


 だがこいつと俺との差はそんな二人以上だ。


 その差が一体なんなのかを未だに見つけることはできない……はっきりしていることはこの大隈という女教師は決して味方ではなく敵だということ。


 それも東田や他の演劇部員達とは比べようもない程に。


「いつまでも横になってないで起きなさいな……現状で出来ることなんてこんな単純なことしかないんだからね」


 その瞳には『貴方程度でもこれくらいはできるでしょう?』という侮蔑がこめられていることを知りながら俺はまだ痛む腹を抑えてゆっくりと起き上がる。


 黒板には東田、大隈、近藤の名前が書かれていて、東田は演劇部内での情報収集、大隈は情報収集、その他活動。 そして俺はお姫様のケアとお世話とだけ書かれていた。


「…………」


「あら?何か問題でもあるかしら?」


 挑発的な笑みに自嘲気味に返す。 


「いや、ホッとしたよ……俺も東田みたいに情報収集やらそれともあんたにこき使われるのかと思ってたからさ」


「いまは……ね、だいたい道具係の貴方が彼女のこと聞きまわってたら怪しまれるでしょ?それに東田君みたいにコミュ能力があって上手く立ち回れるタイプでも無いでしょうしね」


 率直な物言いには苦笑してしまうが、かつて優香の周りを蠢いていただけの男だった自分にとっては彼女の的確な評価は痛快ですらあった。


「まあ、いずれそのときが来たら動いてもらうわよ……嫌でもね。貴方も東田君もね」


 そう怪しく笑う表情にゾクリとした悪寒が走り、俺と大隈の違いの一端を理解できたような気がした。

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