第8話

 誰も居ない教室の片隅に立ち、窓から外を見ていた。


 外はまるで洗い流すかのような大雨で、たまに思い出したように雷が遠くの空でピカピカ光っている。


 数日前のことを思い出して、ぎゅっと胸を押さえる。 


 あの十分に用意された公開処刑の場で優香が見せた表情が、涙が思い出され、 そしてそれらが自業自得ではある俺の心に傷を負わせ続けていく。


 あの時俺は恐怖と救いを求めるようにこちらを見た彼女に駆け寄るべきだったんじゃないだろうか? 


 あの恐ろしい絶望と理不尽に襲い掛かられ、誰も助けてくれない孤独に退路を断たれた彼女の側に立って恥じも外聞も無くただただ優香を抱きしめてあの悪意の矢面に立ち、手を取って自分がいるよと言えば……あるいは……。


そこまで考えたところで首を振った。 


 そんなことは出来なかった。


 確かにあの場で彼女の手を取って件の先輩である女生徒を喝破してその場から立ち去ることは出来ただろう。


 そしてそれが優香にとっての救いであることも確かだ。


 それでも……ああそれでも……!


 それは優香の幸せであって俺の幸せではない。  


 俺の幸せは優香が自分自身の価値に気づかず、俺を、どうしようもなく駄目な俺を唯一の人間として俺以外に惹かれず、媚びず、心を開かないで一緒に過ごすことなのだ。


 そう、あの追及の場で優香を助けることは彼女にとってのナンバー1の幸せかもしれないが俺にとってのナンバー1の幸せじゃないのだから。


 ダカラアエテカノジョヲタスケナカッタ


 俺の一番の幸せを持って優香にはオンリー1の幸せ(それ以外の選択肢を与えない、考えないようにして)を甘受してもらいたかった。


 そしてそんなエゴ丸出しの自分自身の所業を反省はしても後悔はせずにまるで自己満足のようにあの時の情景を思い浮かべながら一人俺はこうやって傷ついているのである。


 それは何の意味も無い欺瞞であるけれど、そうやって少しでも自分自身に罰を(この場合は果たして罰になるかはわからないが)与えつづけるんだ。


 優香が立ち直って学校にやってくるようになるまでは……。


 大きな光と同時に雷鳴が耳をつんざく。


 まるで世界が光で包まれたような錯覚に陥るほどに視界が白く包まれた。 


 ああ大分近くに落ちたな。 無関心にそう呟く。


「雷雲が大分近づいてきたわね」


 振り向くとピンク色のカーディガンを着て髪を後ろに縛った眼鏡の女性が俺に話しかけていた。


「ああ大隅先生、こんにちわ」


「ええこんにちわ……ええと近藤……君、だったかしら?」


 自信なさ気に問いかけてくるその答えに俺は少し口角を上げて、


「ええ、そうです……近藤です。どうしたんですか?こんなところで」


 精一杯の笑顔を向ける。


「部活の連絡があるから貴方を探しに来たのよ、一応全員そろってからじゃないと話できないですからね、一応副とはいえ顧問ですから」


 そういってぎこちなく笑う。


 今年新任として赴任してきた大隅先生は演劇部の副顧問として五月に任命された。


 本来の正顧問は授業の担当もあり、また増えすぎた演劇部を一人でまわすことは大変だと校長に直訴してまだ担当教科の無い彼女を副顧問にねじ込んだらしい。


 真面目でおっとりとしているが、言い回しが上手く、やや不良の生徒でさえ彼女の言うことは聞くらしく、生徒間の評判では話もわかり人柄も良いので人気は高いようだ。


「ああ、すいませんちょっと小道具の調整をしていまして……」


「そうなの、それは悪いことをしてしまったわ。ただ噓はいけませんね。先生は数分前から近藤君のことを見ていましたけどずっと屋外観察をしていましたよ」


「いえ、屋外観察をしながらどういう風に調整するかを考えていたのです」


 大真面目に冗談を言う俺に先生は一瞬呆気に取られたような表情をしてからニッコリと笑い、


「そうですか……それでは歩きながらも話を聞きながらも調整出来るでしょうから先生と一緒に体育館に行きましょう。まさか雷鳴轟くなかでも調整できる貴方がそれが出来ないわけはないでしょう?」


 小首を傾げて問いかけるその仕草に少し笑ってしまいそうになりながら俺はコクリと頷いて先生と一緒に演劇練習している体育館に向かう。


「そうそう、先生……近藤君に聞きたいことがあったのですけど」


「……はい、何でしょうか?」


 ここから体育館まではざっと五、六分かかるだろう。 あまり人と話をするのは苦手なのだけれどそれくらいなら何とか耐えることが出来るだろうから適当に相手するとしよう。


「瀬能さんは一体どうしたのかしら?」


 ギクリとして一瞬立ち止まってしまう。


「……何でそんなことを俺に聞くんですか?」


「あら、だって近藤君と瀬能さんは幼馴染なんでしょう?」


「ど、どうしてそれを……」


「私、変なこと聞いたかしら?部活の連絡網に書かれている連絡先を見たら貴方と瀬能さんの家が近かったからそうなのかと思ったのだけど……」


 小首をかしげて不思議そうにこちらを見る大隅先生の態度に自分自身の反応にバツが悪くなってそっぽを向く。


 気持ちを落ち着けてから出来るだけ冷静に、


「確かに幼馴染ですけど最近はあまり付き合いが無いんですよ、ああそれなら同じ主役を張っている東田君の方が詳しいんじゃないんですか……まあ仲がいいかは今はわからないですけど」


 とりあえずこの話題を避けるためにあえて東田の名前を出した。


「うーん、東田君ね~、確かにルックスが良いから女の子の人気はありそうだし、実際に仲は良さそうではあったんだけどね~、どうも彼に話しかけると部員の子達がね」


 少し困ったように頬に手をつけて考え込む。

  

 ああ嫉妬の感情に生徒も先生も、年齢も関係ないのだろう。


 兎にも角にもあの感情をむき出しにしても恥ずかしいとは思えない図太さは素晴らしいとは思う。 

  

 真似したいとは思わないけどね。


「それでも近藤君は瀬能さんのことが心配なんでしょう?」


 当たり前のように問いかけられるが、驚いた顔で、


「えっ?そんなことは無いですよ、まあ急に来なくなったからどうしたのかなと思ったことはありますけどね」


 意外そうに答えておいた。 


「う~ん確かに最近はふさぎこみ気味だったから心配はしていたんですけど、急に学校をお休みするようになるなんて思わなかったわ」


 ええ僕もこんなことになるなんて想像もしていませんでしたよ


 喉まで出掛かった言葉を飲み込んで曖昧に返事をする。


 あの魔女狩りのようなおぞましい糾弾の場から逃げ出した後に優香は学校どころか部屋から出なくなってしまっていた。


 しかしそんな状況になっても教師達は原因を把握しておらず、むしろ例のあの彼女をもっとも強く非難した生徒の女子特有の底意地の悪さと彼女自体のずるがしこさを持って、部活にやる気の無い瀬能さんを注意したらふてくされて来なくなってしまったという真実からは程遠い説明を聞いて、瀬能優香と言う人間を誤解したままでいた。


 部活仲間からはその説明に対して反論は出なかった。


 確かに優香の消極的な態度はやる気が無いように見えていたし、何より彼らが所詮は他人の優香の為に積極的な擁護に動くはずが無かった。


 唯一、東田だけはそのような誤解を解こうとしようとしていたが、あいつ自身生まれてはじめての悪意を全身に浴びせ続けられ、一種の心理的外傷になったようで、表立って例の彼女たちに逆らおうという素振りは見せられないでいる。


 瀬能優香の味方は誰一人として居なくなってしまった……というよりも中立的な人間すらいないのだ。


 入部当初からは信じれないことに彼女の存在は禁じられた悪魔か何かのように不自然なまでに部員達の口から発せられることが無くなった。

  

 有名な少年漫画の台詞から言わせれば人間は人々がその人物を忘れ去らなければ決して死ぬことは無いとあるが、逆に言えばまるで居なかったかのように最初から扱われている優香はこの彼女自身の栄光の場であったこの部室、部員達からは死んだということになるんだろう。 


 あるいは殺されたというのが正解か?


 主役が来ない以上ヒロインである役はあの扇動家の女生徒が当然の如く代役となった。  


 おそらく彼女自身もまた俺自身も思うとおりに代役ではなくそのままヒロインを演じ続けることになるだろう。


 大隅先生の部員全員集めての連絡はヒロインの交代といくつかの瑣末な連絡事項だった。


 つまりどうでもいい話だ。


 ただ満面の笑顔で白々しい台詞を並べ立てて意気込みを皆の前で語る女の姿と苦渋の内面を知らずに出して本人としては歓迎の表情を出しているつもりの東田の表情だけが印象強く残った。

 

 ああそうそう、そのときになってやっと件の扇動女の名前が柳井奈美だと言うことを知った。 これもどうでもいい話だけれども。



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