第5話

翌日の昼休み、俺は購買のパンを買って屋上へと向かっていた。 すれ違った女子達がチラリとこちらを振り向いて輝いた目で見てくる。 まるで映画スターを見るかのように。


 もちろんその視線を受けているのは俺じゃない、隣で何か照れくさそうな、でも熱っぽい言葉で語りかけてくる東田の方を見ているのだ。


 何とも面倒くさいことになってしまった、俺はチラリとどうでもよい話を繰り返す東田を見る。


 サラサラとした髪に手足が長く長身に甘いマスク、改めて見るまでもなく東田は良い男だ。 そしてこいつは顔だけではなく性格もなかなか良いと来ている。


 孤立した瀬能優香を助けたいと言う気持を強く抱き、彼女の幼馴染である俺に何のてらいも無く頼み込んで協力を仰がせる。 嫉妬する気力もなくなるほどにこいつは男としても人としても尊敬すべき奴だ。


 だが俺にとっては、人生を全て賭けるほどに努力し、どうにか優香を苦労して陥れたのを不意にしようとする悪魔のような男だった。 だが俺はそんな男の協力の要請を断ることが出来なかった。 


こいつは俺の予測を遥かに超える程に行動的で実力を持った人間である以上、離れて何をやらかすかわからない状態にしておくのは得策ではなく、それならば近くにいてどうにか東田の企み(客観的に見れば孤立した優香を救うことなんだが)を阻止あるいは諦めさせなければならない。


 そのために俺は自分自身の矮小さを強制的に認識させられながらも、あるいは敵を隣に立たせながら屋上へと向かうはめになってしまっているのだ。


 そして屋上へと通じる扉を開くと、すでにそこには先客が待っていた。


「おお、待たせちゃったかな?悪い悪い」


 ニカっと笑って東田が歩み寄る。 そして俺も仕方なく東田に続く。


「う、ううん…い、いま…来たところだから」


 落ち着かない素振りで自分もいま来たことを優香が告げる。 しかしその足元にはビニールシートがしかれており、チラリと確認した時計では昼休み開始から20分が立っている。


 友人からの昼飯の誘いが多い東田や混雑する購買のパンを買いに言った俺とは違って優香は孤立しているのですぐに屋上へと向かえたはずだ。


 それらから考えるとおそらくは最低15分くらいは待っていたと思われる。 それが今来たところと言えるかどうかは微妙だが、少なくとも決して長いとは言えない昼休みの時間を考えるとそうとは言えない気がする。


「それじゃ皆で食べようとしようか」


 内心の不愉快を隠しながらも俺は淡々と昼食会とやらを始めるように促した。


 東田のアクションは実に早かった。


 朝六時に再度メールをしてきて計画を語り、そして登校してきたばかりの俺を下駄箱で待ち構えて計画の説明とすでに優香と約束していることを宣言してきた。 その迅速さに閉口しながらも、


「二人っきりではなくて近藤と三人で食べようと言ったらなんとかOKしてくたぜ」


 自身の目標の第一歩が成功したことに機嫌が良いのかこちらに親指を立て向けてくる東田に親指を下げて地獄に落ちろと言ってやりたかった。


 というわけで優香と約束していた学校内では基本的に絡まないというのを俺側から破ることになってしまい心中不機嫌ではあるのを隠しながらも昼食会自体は比較的穏やかに進んでいった。


「とりあえず今日の俺は昨日のおかずを適当に詰めてきた残り物デラックスだ!それで近藤は購買のパンで、瀬能さんは…弁当?」


 パンにかじりつきながらチラリと優香の弁当を見る。 可愛らしいというか女の子らしいというかカラフルな感じの弁当だった。


 孤立する前の優香は料理が苦手だった気がするな、そうするとこれは彼女のお母さんが作ったものなんだろうか?


「おお!なんかファンシーで良い感じだな!瀬能さんが作ったの?」


「う、うん…料理…最近ハマッてるんだ」


 少し頬を染めて恥ずかしそうにチラっとこちらを見る優香を無視して俺はパンにかじりつく。

 

そうか…それで俺の弁当を作ると言ってきたのか、それにしても優香が手作り料理とは、卵焼きでさえ時々焦がしてしまうときがあったあの優香がね~。


「マジで美味そうだな~、ちょっと一つもらっていい?俺の煮物と交換してくれよ」


 返事も聞かずに優香の弁当箱にハシを突きたて鮮やかに黄色く焼きあがった卵焼きを口に運ぶ。 


「おお~、マジで美味いな。ちょっと大葉かな? その香りが良いのと甘くてそれが絶妙に合わさっているな」


 変てこだが一端の美食家のようなことを言って上機嫌の東田を見て、勇気がわいたのかクルリと弁当をこちらに向けて、


「あ、あの…きょう…近藤…君も一つ…どうかな?」


 小首を傾けて遠慮がちに言う。 俺の顔をまっすぐ見つめながら、そして東田もまっすぐに俺を見てくる。  


 諦めて東田が食べた卵焼きを一つ指でつまんで口に放り込む。 モグモグと噛んでいる間も二人の視線はこちらか離れない。 実に食べづらい状況だ。


「……うん、美味いね」


 ボソリと一言だけ呟いてそっぽを向く。


 小さく優香の「よかった」という言葉が聞こえた。


 その言葉は東田には聞こえていないようで、しきりに大げさに美味い美味いと騒いでいる。 よく晴れた昼下がりの屋上は結構な人がおり、その中で俺達は注目されていた。


たまに東田に親しげに話しかけてくるやつがいて、知らない人間から見れば俺達は仲の良いグループに見えるのだろう。 


 醜い蜘蛛と華やかな蝶の二人、全くお似合いの二人に挟まれた俺は惨めなものだ。 だがどんなにこの状況がプライドを傷つけられ、心をざらつかせるものだとしても俺はそれに耐えなければならない。


 耐えて耐えて耐え続けて、俺の隣に立つこの華やかでたくましい蝶が優香を連れて行かないように、美しく粉を吹く羽を広げて二人が飛び立つ瞬間に強く掴んで放さないようにしないと。


 和やかな雰囲気の中で俺は油断無く虫けらの性根を隠してただただ時間が過ぎるのを待ち続けた。


 やがて昼食は終わったが、その後もなんだかんだと残り続け、東田のよくわからないモノマネシリーズを延々と見させ続けれていた。


 まあそれなりに面白くはあったけどさ。 そして放課後は劇練習の台本読みの間、いつも以上に東田は積極的に優香に話し続け、その合間にも他の部員達とコミュニュケーションを取って部活内の雰囲気を良くして行く。


 本気を出した東田は持って生まれた愛嬌と人を和ませる才能を持って、部活内の雰囲気をどんどん良くして行く。 つい数日前とは大違いに雰囲気は文字通り劇的に良くなっていき、ポツリポツリとだが優香と会話をする部員も出てくる始末だ。


 俺はその状況を見ていることしか出来ない、ただ確実に外堀は埋められ続けおり、真綿でじわじわ締め付けられるような嫌な焦燥感が胸を騒ぎ立てる。


 体内から侵食されるような痛みを隠しながら俺は無表情で裏方作業を続けていく。 


 我慢だ。 今はまだ耐えるしかないんだ。 東田は急速に状況を変えていっているが、まだ本丸である優香自身は変わっていない。


 ただただ目の前の状況の変化についていけず曖昧な顔をしてやり過ごしているのだから……まだ焦ることは無い。


 そうだ焦るな! 今は深海に潜む魚のようにあるいは獲物が落ちるのを待ち続ける食虫植物のように機会とそれを呼び込む瞬間を待ち続けるしかない。


 そしてそのための努力も。 考えられる全ての最悪の状況を考え、優香の心変わりすらも想定した根本的な作戦が必要になる。


 いざとなったらもう一度嵌めなければいけないことも覚悟しなければ。


 直後のダメージや現状を考えると出来れば避けたいが、それすらもタブーにせずやり遂げなければならない。 


 焦るな、焦るなよ、今はただ土の下で眠る蜘蛛のように、感情も情緒も全て捨てて、シンプルな目的、優香をいつまでも俺の元に捕らえ続けるために……。




例えるなら外からカギをかけられた地下室にいるような、そしてさらにその地下室の壁の隙間から大量の水を入れられ続けているようなそんな心象風景が浮かび上がる。


 部活終了後、俺、優香、そしてなぜか東田と三人でファミレス内でまるで仲良しグループのように席に座っていた。例によって東田の好意(俺にとっては悪意だが)でおごるからと言われ、またしつこく誘われてしまったため、しぶしぶ二人で了承したのだった。


「それにしても今日の練習は大分熱がこもってたね」


 何を話すわけでもないので、あえて優香、東田に問いかけてみた。


「う、うん…そ、そうだね。東田君もすごいはりきっ…ってたね」


「まあな、俺なんかこの学校に入ってから演劇始めたのにいきなり主役に抜擢されて内心テンパってんだぜ?でもせっかく皆でやってんだからいい演技したいし、後はコンクールで優勝した女優さんが相手なんだから気合も入るってもんさ」


 最後の言葉は彼一流のいやらしさも無いただ好意だけは伝わる台詞だった。 嫌になるほどにこういう言葉がさまになる奴だ。


 そして優香の反応は、


「べ、別に…大したことないよ。前の時だってぐ、偶然だっただけだし」


 優香は俯いて、顔色を少し白くしている。 おそらくはトラウマを思い出しそうなんだろう。 ぎゅっとテーブルの影で彼女の手を握ると少し持ち直したようだ。


「そういえば瀬能さんと近藤は幼馴染なんだろ?俺って転校が多いからよくわかんないんだけど幼馴染ってどうなんだ?やっぱり毎朝起こしに言ってあげたりとか、喧嘩ばかりしたりとかするのか?」


 優香の様子を察した東田が話を逸らす。 それにしても言うにことかいてそれか、何とも単純と言うかアニメの見すぎと言うか、


「わ、私達はけ、喧嘩なんてしなかった…ただいつも私が…」


「特に喧嘩なんかはしなかったな~、それに毎朝起こしに来るってアニメじゃないんだからそんなわけないだろう?幼馴染とは言っても別に普通だよ、家が近所だからたまに行き帰りが一緒になったりするくらいさ、今は特にお互いの家族同士で行き来があるわけでもないしね」


 何か優香がムキになっているようなので、口を出して発言を止める。


「なんだ~、やっぱり本当の幼馴染でもそんなもんか、そういえばこの間さ」


 優香の発言に気づかず、急速に興味をなくした東田が別の話を始める。


 どうやら誤魔化せた様だ。 急に話を変えられてしまったため何か言いかけていた優香は俯いて何かを耐えているように見えた。


 そんな彼女の状態を気づかせないために俺は自分から積極的に話を続けていく。 そんな俺が珍しかったのか、残念なことに東田と俺の会話は客観的に見て大分盛り上がってしまった。


 時間が遅くなったのでファミレスの入り口で東田と別れ、俺達二人は少し遅い時間の道路を何を話すわけでもなく歩き続けていく。 


 隣に居る優香は何か考えこんでいて黙りこんでいる。


 先ほどの東田と俺との会話の間も彼女は同じように何かを我慢するように黙りこんでいた。


 さてと…どうしようか? 優香が一体何を考えこんでいるのかは見当もつかない。 予想してみるに、東田に幼馴染について聞かれたときに俺が止めたことだろうか? しかしそれくらいのことで果たして優香がこんなふうになるのだろうか?  

 どこか痒いのだけれど、その何処かがわからないで困っているような状態だ。

 

手当たり次第に聞いてみればあるいはヒットするかもしれないけれど、どうも今日は胸騒ぎがする。 ジクジクとわけのわからない何かがそれを警告するので、余計なことを言わずに黙っていることにしたのだが、どうも落ち着かない。 


 すでに東田と別れて二十分。 その間俺達は全く会話をしていない……、まるで冷め切った夫婦のように俺達は互いを認識しているはずなのにまるでそこに居ないかのように振舞っている。 


 まるで無声映画のように、まるで操り人形のように、俺達は喋れないかのようにトボトボと帰路をそれこそ芝居のように淡々と歩き続けていた。


「…ね、ねえ…」


 恐る恐るという表現が似合いなほどに優香が落ち着き無く視線を動かしながら初めて声を発する。 


「うん?なんだい?」


「あ…なんでもない…の」


「なんでもないってことは無いだろう?さっきからずっと考え込んでいるじゃないか、どうしたんだ?」


 俺の問いかけに黙って俯く優香。


 なんだろう?凄く気持が悪い。 ジクジクとした嫌な予感はすでに腐り落ちそうな確信に変わっている。 明らかに、明白に、この話は俺にとって悪いことだろう……という確信が……。


「ど、どうして…わ、私達が付き合っていることはひ、ひみ…秘密にしているの?」


 たどたどしく、幼児がしゃくりあげているかのように上手く言葉を発せられないのがもどかしいように上目遣いでこちらを見上げる。


「……前にも言っただろう?優香は残念なことに悪い意味で注目されている状態なんだからあまり浮ついた話は皆に見せないほうがいいんだよ?」


 俺の言葉に納得いかなげにう~、う~と唸りながらやはりたどたどしく彼女は返す。


「で、でも…もうに、二ヶ月近…く…立つし、み、みんな私のことなんて気にしてないと思う…って言ってるよ?」


 ……どうしてそんなことを言うんだ。 心中で呟いた。


 俺の心を悲しみが包み込む。 それは普通の悲しみではなくグツグツとした煮えたぎるような怒りにも似た悲しみだ。 


 優香の言い分はわかる。 心を開ける人間が一人しか居ないというのに、その人間とは一日の大半を占める学校の時間に手を繋ぐことも話すことも出来ず、他人のように振舞えと言われているのだから…それは納得いかないだろう。


 だがそれこそが俺と優香が一緒に居るためだと言うことが理解されていないことが悲しい。


 なぜならば俺は美しき蝶を蜘蛛と思わせているだけの哀れな一匹の毒蜘蛛なのだ。 


 安易に学校でそれを見せてしまえば、周囲の人間はきっと気づくだろう。 蝶が蜘蛛に騙されて巣に捕らわれていることを……、そして東田のような人間が絡みついた糸を取り除いて蝶は俺の元から去っていってしまう。 


 そして蝶に気づいた蝶は絶対に蜘蛛の巣に留まることなどしない……美しい燐粉を巣に少しだけ残し、蝶は青い空へと帰っていくんだ。


 なぜなら蝶は蝶の世界に生きることしか出来ない、そして蜘蛛も蜘蛛の世界でしか生きていくことが出来ない運命。 きっと彼女が飛び去ってしまった後の蜘蛛は巣に残った僅かな残滓の粉を愛でながら哀れに分相応にいつまでも巣の中で立ち尽くすのだろう。 


 誰かがそれを笑ったとしてもきっと俺はそこから動くことが出来ない……。


「いいかい?それは確かに俺だって優香と学校でも一緒に居たいし、部活中だって離れたくないさ……でもさ残念ながら優香の言うことはかなえることは出来ないんだ…悲しいことにね、優香はみんな私のことを気にしないっていっているだろうけど、それは勘違いなのさ」


 たしなめるように喋る俺を優香が真面目な生徒のようにしっかりとした目で見てくる。


「なぜなら今だって優香は皆に注目されている。コンクールで優勝した主役なんだから当然さ…」


「そ、それだったら私、演劇辞める!主役じゃなければも、問題ないでしょ?」


 唐突な叫ぶような悲鳴のような宣言を無慈悲に否定して俺は首を横に振る。


「それをすれば今度は皆が逃げたと思われる…口の悪い人間ならきっと面倒くさくなったから自分勝手に辞めたとか言われるだろうね…結果、ますます優香の立場は悪くなってくる」


 暗い夜道でもはっきり判るほどに優香が目を見開いて呆けているのがわかる。


 進むことも引くことも出来ない状況だということを理解して彼女はその残酷さに心が離れていってしまっているんだろう。 


 だから俺は彼女を自分の手元に引き寄せる。そして呼び込むように優香の耳元に優しくキスをして耳元で囁くのだ。


「大丈夫、俺がいるから…何も心配は要らないよ」


 一瞬困ったような目をする優香に気づかないフリをしてきゅっと抱きしめる。 

 目を瞑った彼女が言う。


「うん、私を守ってくださいね」


「ああ、約束するよ」


 当初の話とは全く別の話になって俺達の会話は終了した。 優香も気づいただろう、自分がもはや身動きが取れなくなってきていることを。 


 そして気づいていないだろう、俺の考えたレールに強引にまた戻されたことに。


 星空も見えない暗い屋外で俺達は何か釈然としないものを互いに感じながらもただ黙って何も不安などないかのように強く抱きしめあっていた。



 だが俺の心の中には疑惑が生まれてしまった。


 それは一体誰が優香を誑かしたのか?ということだ。


 優香は言った……誰も私のことを気にしてないと思うって言ってたと言った

 誰が?一体誰が優香に誰も彼女のことを気にしていないと思うと言ったのか?


 東田か? 可能性が無いではないが、あの口ぶりでは中々親しそうなニュアンスを感じる。 そうすると彼は除外だ。 東田と優香の間にはまだまだ距離があるので仮に東田があんなことを言ったところで信用しないだろう。

 

 よくよく考えればここまでが上手く行きすぎだったんだろうが、ここまで上手く行ったところでおじゃんにされるわけにはいかない、早く優香を誑かしている人間を排除してしまわないと……。


 なぜなら優香を騙していいのは、誑かしていいのは俺だけなのだから。 他の誰にもどんなことがあっても彼女に嘘をついていいのは、喜ばしていいのも、傷つけていいのも悲しませていいのも全て俺だけが許される特権なのだ。  


 強く抱きしめ、心中で決意して俺は心の中で叫び続ける。 美しい蝶をいつまでも騙し、唆せ続けることを……。

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