第3話
ゴキブリを見たらその十倍はいると思え。 格言めいた言葉が俺の頭の中で響く。
どんなに用心をしても避けられないこともある。
安っぽいビジネス書にあるような標語も浮かんだ。
そうだ完璧に対処したとしてもわずかな綻びから全てが瓦解することがある。
だからこそ油断しないように、期待を抱かずにただ最悪を思い浮かべて対応していかなければならない。
そして俺はその最悪を、微塵の油断も幼馴染への信頼も考慮せずに認識した。
体育館でステージ上で、秋のコンクールに向けた新作劇への稽古がはじめられていた。
台本を手に持ち、場違いのパーティに来てしまった少女のような顔で稽古をする優香の横には男が立っている。
優香よりも頭一つ抜き出た長身と爽やかな笑顔、そして舞台上で圧倒する存在感をかもし出す。
東田宗助が縦横に台詞を飛ばし、また疾駆する。
彼は同じだ。 瀬能優香と同じ空を飛び、地を這う虫けらたちの情景を受けるべき人間だ。
だからこそ俺は危険視するのだ。 せっかく落とした蝶をまた綺麗な空へ引っ張り上げかねない彼のことを……。
「ねえ、瀬能さんは何でいつも困った顔してるの?」
稽古が終わり、ステージからそそくさと降りようとした優香に東田が声をかける。
「えっ…そん…な…ことないよ」
「うーん、そうかな?なんか瀬能さんは変にビクビクしてる気がするんだよね、なんか小動物みたいで可愛いんだけどさ」
「しょ、小動物って……それ、失礼だよ」
予想外の例えに優香が抗議すると、
「え~、だって瀬能さん可愛いじゃん、なんかリス?みたいな感じ?」
ああまずい、こいつは非常にまずい男だ。
なかなかに失礼なことを言っているが、そんな事を言ってもまるで嫌味ではなく、むしろ好感が持たれるようなタイプだからだ。
案の上、優香もどう反応していいのかわからないでおろおろとしている。
「あ~、ゴメン…調子乗りすぎちゃったわ。ほら俺、転校してきたばかりだからさ、早いとこ打ち解けようと思って…ちょっと調子に乗りすぎちゃったわ」
後ろ頭をポリポリとかきながら、ペコリと頭を下げる。
一つ一つの仕草が爽やかに誠実な人間だと思わせる。
この東田という男は、つい先週この高校に転校してきたばかりだったが、人当たりの良さに加え、長身と決して悪くないルックスである以上人気者にならないはずが無い。
すでにかつての優香のように演劇部を意識的か無意識かはわからないが掌握しつつある。
「ああ…私、ちょっと着替えてくるからまた後でね」
わざとらしい芝居をして更衣室に駆けていく優香を見送って、
「やべえ…嫌われちった」
と憎めない仕草で笑う東田に全員が笑った。
さてと…どうしたものか。
笑う集団の中で一人俺だけが天井を見上げて思案していた。
「きょ、今日も疲れたねえ…」
瞳に怯えと媚びを込めて優香がぎこちなさ気に自転車を押している。
「ああ、そうだね……」
簡潔に返す。
俺は基本的に優香の言葉にはやや冷淡に返すようにしている。
別に嫌いなのではなく、こういう会話をすることで彼女が俺に対して慣れ、昔に戻らないようにするためのささやかな努力だ。
もちろん優しくするときもあるし、情熱的に抱きしめることだってある。
要はバランスなんだ。
本来は蝶であることを優香に気づかせない為に醜い蜘蛛な俺はまるで毒を注入するように色々な努力をしている。
「と、ところで東田君ってお、面白い人…だよね?」
チラリとこちらを伺うように優香が視線を動かしたのを感じ、俺は内心で大きなため息を吐く。
ああやっぱりだ。
優香は俺を試している。
演劇部の面々の前で交わされた反吐の出そうな会話を俺も聞いているのを知っていて、ある種の反応をすることを期待しているのだ。
「そうだね、面白い奴だね。それに演技も上手いし、なんというか華があるっていうのかな?今まで見たことない人間だね」
ニコリと笑って東田を賛美する。
「え?う…うん、そうだね。転校してきたばかりなのにもう主役になってるんだもん…ね」
がっかりしたような、困ったような表情で優香が同意する。
期待していたような反応では無かったのだろう。
当然だ。
誰が期待通りになんかしてやるものか!
俺はぎゅっとポケットの中に入れた拳を握り締める。
ひんやりとした焦りが胸をわずかに刺激する。
優香はおそらく俺に嫉妬してほしかったのだろう。
部で孤立していた自分を、破滅しそうだった自分を助けてくれた幼馴染…そして己が依存している存在である俺が東田との会話でわずかにでも嫉妬してくれたらということを期待しているのが態度で見て取れた。
優香は欲しかったんだろう、証拠を。
近藤恭介という人間が自分と同じように愛し、依存してくれているということを。
『好意とは一方向ではなく常に相方向なのだ』という言葉が昔に読んだ本に載っていた。
一方向の好意の発露は何も無い空間にボールを投げるだけのただただ不毛な行動であり、投げたボールを返してくれる存在がいなければやがては狂気に落ちてしまうほどの孤独をもたらす。
愛情依存も同じことだ。
優香は俺に依存しているが、同時に俺が優香自身に依存しているという確信が無ければ、自分が不毛なボール投げをしているのではないかという不安がいつまでも消えないのだろう。
だからこそ優香は婉曲に俺を試したのだ。
ボールを投げたのだろう。
そしてだからこそ俺は優香から投げられたボールをあえて無視した。
「今日は用事があるから、また明日ね」
「えっ?で、でも…その…」
口ごもった様子で今日は離れたくないというのを優香は全身でアピールしていたが、それに気づかないフリをしてさっさと自宅の中へ入る。
さすがに付き合い始めて二ヶ月近く立って、ほぼ毎日していた身体の触れ合いは全盛期の三分の一位になっていたが、それでも何だかんだと俺の部屋でまったりと毎日過ごしていた。
玄関のカギを閉めてそっと郵便受けから覗くと、恥ずかしがりな子供のようにモジモジと玄関前に何分か立って、何度も呼び鈴を押そうするポーズをとるが、それも止め、やがて諦めたように帰っていった。
部屋に戻ってベッドの上に寝転ぶ。
何度も優香を抱いた、二人分の体液が交じり合って独特の香りがするベッドの上で俺は深呼吸をする。
正直に言って優香と東田との会話に嫉妬はしなかった。
むしろ当たり前のようにそれを感じている自分がいたのだ。
そう、蜘蛛よりも蝶は蝶同士で重なり合うのが似合うのだと言うことを改めて認識した。
俺は蜘蛛…、蝶を騙してその身体を食らっている愚かで下劣な……。
蜘蛛が蝶に嫉妬するだろうか?
「そうだ…俺は…所詮…」
ブツリと途切れるように視界が暗転する。
生まれて初めて寝る瞬間を実感した。
夢を見た。 おそらく悪夢だろう。
何故そう思うのか?
それは俺の目の前で優香が東田とセックスをしているからだ。
俺はそれを淡々と見つめている。
なぜか「ああそうか」という言葉を発してこの状況に納得している。
優香は東田の身体に組み敷かれ、俺のときとは違う声を上げる。
それは淫欲を貪るような声ではなく、幸せそうな、本当に幸せそうなあえぎだった。
東田は優香に優しくキスをし、優香も照れたように笑ってキスを返す。
それは俺が彼女を罠にはめた日から見たことの無い、とてもかわいらしい笑顔だった。
そこでまた「ああそうか」という言葉が出てきた。
これは現実だ。
夢の中で見ている現実なのだ。
不思議に納得して俺はその場に座り込んで彼らを見ている。
恋人たちの甘い、愛情にあふれたセックスというやらを俺は見させられている。
そしてこれが東田と優香が付き合った先の未来の現実なのだということを確信した。
東田と付き合った優香はきっとこんな風に奴に抱かれ、幸せをかみ締めるのだろう。
俺の時とは違う。
段違いの愛を感じ、愛し愛される普通で、理想的な生活を……。
「なんてこった…」
目が覚めて発した最初の一言はまさにそのとおりだった。
優香と俺の匂いが混ざったベッドの上で目を覚ました俺は泣いていたのだ。
あんな夢をみただからだろうか?
しかし別に俺は悲しいという感情は抱かなかった。
ただただ、太陽が東から昇るのを見たような無感動な何かをかみ締めていただけなのだ。
まぶたが少し腫れぼったいまま何気なくポケットに手を入れると携帯が震えた。
優香からのメールだった。
内容は単純に一言「おやすみ また明日ね」だけだった。
朝になって登校すると、下駄箱のところで後ろから声をかけられる。
「お、おはよう…恭介」
「おはよう」
学校内では優香には恭介と呼ばせている。
元々入学当時からそう呼ばれていたので、今更苗字にするのも変に疑われると思ってそのままにしているのだ。
ただし二人っきりの時には恭君と呼ばれているが……。
俺は特に名前を呼ぶことはない、優香と呼ぶことはあるが、それも稀だ。
「それじゃ…」
靴箱に靴を入れると足早にその場から立ち去ろうとする。
「えっ?あっ…そ、それよりもちょっとお願いが…」
「なんだい?」
「そ、その…きょ、今日一緒にお昼…食べない?わ、私、お弁当作って…きたんだけど」
右のつま先をトントンと落ち着かなく床でたたきながら、上目遣いでこちらを見上げる。
「悪いけど…今日は自分で持ってきてるから、それに優香は主役だから昼休みも部室にいかなきゃだろ?」
有無を言わさず断る。
瞳に失望の色が滲んだ優香が視線を下げたところで、
「おはよう!瀬能さん」
元気で爽やかに東田が声をかけてくる。
「あっ…おはよう、東田君」
振り向いた優香を見て、一瞬東田が驚いた顔をする。
「どうしたんだよ?目が超潤んでるぜ」
顔を近づけて覗き込むように優香に近づく。
「な、なんでもないの!ちょっと目に…ゴミが入った…だけだから」
「…それじゃ俺は教室に向かうよ、また部活で」
ゆっくりとその場を後にする。
後ろに強い視線を感じながら…。
放課後、俺は部室へと向かうために帰り支度をする。
気が早い奴はすでに教室から出て行き、チラホラと何人かが楽しそうに雑談をしていた。
ちなみに俺のクラスには演劇部に所属している人間はいない。
反面、三クラス程離れた優香のクラスには同学年の演劇部員殆どが所属している。
コンクールで優勝した時には大して多くなかった演劇部員は優勝後、主に優香のクラスの人間がこぞって入部したため、高校の演劇部としては中々の人数になったのだそうだ。
そのため、人が余りまくっており、雑用くらいしかすることの無い俺が遅れたところで誰も気に留めないので、ゆっくりと考えながら帰る支度をする。
何を考えているか? もちろん優香とのことだ。
今まで優香から積極的に恋人らしいことを求めてくることはなかった。
それは俺がそういうことを嫌っていると言うことを暗に明に主張(とはいってもせっかく騙して作り上げた関係にわずかの歪みが発生しないためという保険だったんだが)していたので、互いに親しいそぶりを見せないようにしていた。
だが今回、優香は俺を昼食に誘い、あまつさえ手作り弁当さえ作ってくるというまるで恋愛の熱に浮かされたかのような変化を見せた。
その行動が俺が維持することに腐心し続けてきた関係に綻びが発生したことを示す証拠だと言うことに気づいてため息をつく。
急に変わった優香の行動、その証左は彼女にわずかな迷いが生じてきている。
いやここで言うならば惑わされると言うべきか、それとも惹かれているというべきなんだろうか?
どだい釣り合わない俺と優香を結び付けているものは孤独と孤立への恐怖以外にほかならない。
あとはわずかに幼馴染としての親しみくらいか。
そんな薄っぺらい関係なんてものは仲の良い友人が一人でもいればあっさりと突き破られてしまう。
それこそ水に溶けるティッシュペーパーよりも儚く、脆弱なものだ。
まあ所詮は地を這う虫と美しく舞う蝶の無理やりな関係だからな。
自嘲気味に笑い、外を見る。
夏が近いためかまだまだ夕日は西の空にあって鮮やかなオレンジ色を見せている。
だがそれもあと数時間で完全に沈み、当たり前のように暗い夜がやってくる。
俺と優香の関係もやがてはそうなるのだろうか?
煌々と照らし照射される光が教室内をただ染め上げていた。
結局、結論は出ないまま俺は演劇部の部室へと向かっている。
さすがに部活を丸々サボルことになるのは不味いのでやや重い足取りを感じながら廊下を歩く。
部室の前まで来ると、どっとした笑いが聞こえた。
特に意識せずに扉を開けると、
楽しそうに笑う部員たちと彼らを笑わせている東田が目に飛び込んでくる。
「……何の話をしてるんだ?」
ちょうど一番近くにいた後輩に質問する。
ちなみに名前は覚えていないし、向こうも俺の名前など知らないだろう。
「ああ、東田先輩が昔、嘉納姉妹は三人いたって話を出してきて、皆がそれを否定したらそんなはずは無いってエキサイトしちゃって…あんな感じになってます」
後輩が指差した先には東田が大げさなヂェスチャーで、
「だからまずオカマが整形してキャタピラをつけたのが長女で、ガンタンクみたいなおっぱいをしてるのが次女、ここまではわかるよな?そんでもってその下にもう一人いたんだよ。タイの石像みたいな姉ちゃんがさ」
それらを説明するために東田がそれぞれのモノマネをするが、それがあまりにも似ていない上にどれが長女で次女で三女なのか違いがわからないため、さらに必死でやるからみんな大笑いしている。
チラリと確認すると優香も少し離れたところで座ってクスクスと周囲に気づかれないように笑っているのが見えた。
一瞬だけ視線が合う。
ぱあっと明るい顔をして周囲に気づかれないようニッコリ笑って手をこちらに振ってくれた。
俺も表情を変えずにほんの少しだけ手を振り返した。
それを見て、顔を赤くした優香が視線をすぐに戻す。
ああまったく完全に完膚なきほどに最悪の気分だ。
学校からの帰り道、優香は久しぶりに楽しそうに色々な話をしていた。
部活のこと、授業のこと、テレビのこと。
それら全てを明るく話すその姿はかつての優香のように見えて美しかった。
それら一つ一つに丁寧に俺は受け答えていく。
やがて話が部活時の東田の話になった。
慎重に東田の話を出しながら優香が俺の様子を伺っているのを感じる。
「全く本当に東田は凄い奴だね」
正直な感想を口にする。
実際に彼は有能で、他人から好かれ、そして苦労して作り上げた優香と俺の関係にあっさりとヒビを入れることまでしてくれたのだから…。
もちろん東田がそう仕向けたわけでもなく、ましてや俺は自分の卑怯さと汚さ、ゲスであることを十分に理解しているし、それが最低な人間であることを認識している。
だがそれでも、ああそれでも!
失敗したら全てを失うほどのリスクを犯して作り上げた砂の城をあいつはあっさりとしかもごっそりと失敗することなく確実に崩し始めている。
「…うん、そうだね。面白かったね、東田君」
肯定する優香の瞳を見つめるが、いまいちどう思っているのかわからない。
「うん?どうしたの?」
その大きな瞳をパチクリと動かして小首をかしげる。
媚びと愛くるしさの混ざった可愛い仕草だった。
だがやはり確実に優香の態度というか様子にわずかながら怯えが消えていっているのを感じる。
不快な気持ちが胸の中で踊った。
「そういえば部活来た時に、なんでこっちに手を振ったの?」
「えっ?あっ…恭君が…遅かったから…その…うれしくて」
「それはわかったけどさ、学校内ではああいうことはしないようにしようって約束しただろ?特に優香はいま微妙な位置にいる……ごめん」
言いかけてあえて謝る。
それだけで優香はトラウマが刺激されたようで落ち込んで視線を下げて、
「ごめん…なさい、今度から気をつけ…ます」
やや震えた声で謝ってくる。
よし、これで少しは持ち直しただろうか?
まあ気休めだろうが、少しは優香が自信を回復させない為の役に立っただろう。
しかし油断も隙もあったもんじゃない!
早急に何とかしなければ俺と優香の関係は瓦解してしまうだろう。
まあ、優香にとってはその方がいいかもしれないけどな。
それにしても……ん?
左腕に重みを感じて振り向くと、優香が泣きそうな顔で俺の左の袖口をちょこんと掴んでじっとこちらを見上げていた。
しまった、考え込んでフォローするのが遅れてしまったか。
俺は遅ればせながらそっと優香の頭の上に手を置き、残った片手で身体を引き寄せる。
「あっ…」
声を上げて俺に身体を預ける優香の耳元で、
「大丈夫、俺の方こそ言い過ぎてごめん」
「ううん、いいの…私ってほら、そういうこと気がつけないから…なんというか…無神経っていうのかな?はは…ごめんね、恭君…んんっ!」
尚もネガティブな言葉を吐き出そうとする優香の口を強引にキスで塞ぐ。
優香は急なことで一瞬身体を強張らせたが、すぐにそれは緩んで、自らも俺の身体に腕を回してキスを返してくる。
誰かに見られていたら問題だったが、周りには誰もいないことはすでに確認済みだ。
それにしても優香もそうだが、俺自身もかなり東田にやられているようだ。
普段なら、あえて落ち込ませたところですぐに優しく抱きしめて言葉をかければ効果は抜群だったはずなんだが、考えこんで遅れてしまった。
優香の自信を回復させないことも大事なんだが、あまり落ち込ませてしまうと関係に悪影響が出てしまうのでその辺の調整もしっかりしておかないと、上手く彼女を騙せない。
唇を離すと、少し上気した顔の優香が恥ずかしそうに俯きながら、でもトロンとした瞳をしていた。
何とか機嫌は取れたようだ。
念のため、袖口を掴む手はそのままにさせておいた。
せっかく心地よく騙されてくれているんだから駄目押しをしておくのも保険として悪くないだろう。
やがて俺の家の前に到着した。
優香は相変わらず俺の袖口から手を離さない、むしろぎゅっとさらに力を込めて掴んでいるのがわかる。
このまま俺と離れたくないようだ。
本当は東田対策を考えたかったんだが仕方が無い、袖口を掴んでる手を解いて彼女の手首を掴む。
そして強引にでも優しく玄関に向かった。
チラリと見た優香は嬉しそうな、思惑が当たったような、そんな顔をしていた。
「エヘヘ、久しぶりだね恭君の部屋来るの」
「この間来たばかりじゃないか」
ベッドに座り込んで、リモコンでテレビをつける。
昔やってたドラマの再放送がやっていたが、つまらないので適当にチャンネルを変えていく。
「…なんかひさしぶりに来た…気がするんだもん」
俺と少し距離を開けてちょこんと優香が隣に座る。
何度も俺の部屋に来て、何度もこのベッドで抱かれているのに変に気を使うところがある。
でもいきなりすぐに密着するように座ってきたらそれはそれで問題か……それは調子に乗ってきているということだからな。
「……テレビ、面白いの…ないね」
押し黙るように優香が話しかけてくる。
「そうだね、つまらないから消すかな」
ポチリとリモコンでテレビの電源を消し、体勢を動かしてテーブルの上に置く。
優香もなぜか…というよりわかりきっているが、同調するように体勢を動かして密着するように俺の隣に座りなおし、そして服の袖口をちょこんと掴む。
つまりはそういうことなのだ。
遠まわしな言い方や行動が優香の自信の無さと怯えを表しているようで何とも可愛らしいと思う。
俺はあえて無表情を作って、
「うん?どうしたの?」
あえて気づかないふりをする。
自分からは中々言い出せないようで、優香は真っ赤な顔をしてモジモジと身体を密着させてアピールするが、それでも俺は気づかないふりをし続ける。
「だからどうしたのさ、優香?」
「……………」
さらに顔を赤くして俯いてるが、やがて覚悟を決めたように、俺の片腕に自身の腕を絡ませてさらに頭を俺の肩に乗せて身体を預ける。
顔だけではなく胸元も袖口から見える手もスカートから出ている魅力的な足、それら全てを真っ赤に染め上げて優香は目をつぶって必死にアピールし続けている。
いい加減可愛いそうになってきたので俺は目をぎゅっと閉じたままの優香の口元に優しくキスをして少し体重をかけてやると、そのまま優香は人形のように後ろに倒れこんで…俺のなすがままに成っていった。
始める前までは恥ずかしがっていたが、いざ始まってしまえば存分に楽しもうとする本能とやらが楽しい。
それは俺も一緒なのだけれど、優香の変わり方はそれ以上に面白い。
他の女の子もこんな感じなんだろうか?
まあわざわざこんなどうしようもない奴を好きになる奴なんかいないだろうからする機会なんかないだろうが……。
「ふっ、はあっ…はあはあはあ…ふぁっ…あ、ああ…ん」
彼女の色々なところにキスをするとその度に反応が違う。
そして酸欠になりそうな程に息を荒げていてもキスをすれば、自分からは決して離れようとはしない。
何度体験してもセックスという行為は興味深い。
性行為自体に性欲処理という以上のことを見出せない俺でも優香の身体や反応はとても楽しく夢中にさせるものだった。
少し汗ばんだ優香の胸元に軽くキスして舐め上げる。
ビクリと電気を流されたような反応をするが、そのまま続けているとやがて悩めかしい声が出す。
続いて彼女の背中に手を回してブラのホックを外してやると 白い肌とピンク色をした乳房が出てきた。
それを優しくさするように触って口に含み、弱くかじる。
「はっ、あっ!」
一際甘い声を挙げて、手の平からじんわりと熱が伝わってくる。
刺激が性的興奮を高まらせ続け、彼女の性器はじっとりと準備をとっくに終わらせていた。
指を優しく秘所に侵入させ内壁の形を確かめるようになぞらせると背中を仰け反らせて溺れる人のようにしがみつく。
何度も確かめ合った結果、優香が弱いところもどういう風にされるのかが好きなのもわかっている。
熱く締め付ける秘部に指を暴れる蜘蛛のように縦横無尽に蠢かせ弱点を重点的に何度も攻め立てて強烈な快楽を与え続けていくと、恥ずかしさも嫌われるのではないかという怯えもすっかり忘れて大きな声であえぎ声を上げる。
「ああああっ!い、いいよ~…そ…そ…こ…気持……いい…んんっ!」
あまりに大きいため近所に聞こえる可能性があるので右手で口を塞ぐ。
それすらも何かが刺激されるのかトロンとした目をして押え込まれた口から嬌声を出し続けている。
優香がシャツを強く握って引っ張ったのを頃合に俺自身を優香の身体に重ねる。
熱く柔らかい感触が俺自身を包む。
シャツを掴んでいる手と同じかそれ以上の力で強くそこは俺を掴み、締め付けてくる。
あまりにも強く包まれたので思わず俺の口からも声が漏れる。
しまったと思ったときに身体の下にいる優香と目が合った。
いやらしく濡れそぼった瞳の中にじりじりと燃えるような何かを宿らせて本能のままに快楽を貪る優香はとても淫らで男の嗜虐心を焚きつけるような姿をしているんだろう。
だが俺はその優香の姿を見た瞬間、急激に頭のどこかが冷めていくのを感じた。
本能はその姿に激しく興奮している…間違いなく。
ドロドロと冷たい何かが広がってくるのを忘れようと俺は激しく彼女に腰を打ち付ける。
何度も。何度も。
何かに追い立てられるかのように激しく優香の中を攻め続けた。
「えっ…ああっだ、駄目!そっ…れ…激し…すぎ…る…イ、ク…イクイクイク!ああああああ!」
押え込んだ右手を超えて大きく叫んだ声は部屋中をに響き渡った。
それでも俺は動くのをやめず、壊れた機械のように動き続ける。
その間、優香は同じように声を挙げ続け結局それは俺が達するまで叫び続けていたのだった。
「な、なんか…その…凄かったね…きょ、今日は…」
照れて、シーツで顔半分隠しながらはにかむように優香が俺を見ている。
「ああ、そうだね…嫌だった?」
「う、ううん…その…嫌じゃなかったよ…き…気持…よかった…し…ね」
それだけ言うと恥ずかしそうにシーツを頭の上にして隠れてしまった。
俺は正直楽しくなかったけどね。
心の中でつぶやいた。
あんな夢なんか見るんじゃなかった。
俺はゴロリと仰向けに転がって天井を見上げる。
そう、俺は気づいてしまった。
俺の『悪夢』の中で優香が見せたあの幸せそうな顔、
あんな顔を俺は見たことが無い。
身体を何度も重ね続けた結果、優香を絶頂までに導くことは出来るようになったけれど、俺とのセックスの時にはあんな表情を見せたこともさせたことも無い。
あんな愛される幸せに満ちた優香の顔を。
我ながら何てあほなことを気にしているんだろう。
無理に笑い飛ばそうとするが、上手く笑えない。
あくまで『悪夢』の中で見た姿じゃないか。
実際の優香はまだ俺としかセックスをしていないし、あの表情だっていつか見せてくれる可能性だってある。
表情? あの『愛し愛される喜びの顔』を?
「はははっ」
空々しい笑いがこみ上げた。
……自分で言って空しくなる。
そんな表情を見れるはずが無いじゃないか。
だって俺はあくまで醜い蜘蛛で、優香を罠に嵌めて、騙しているに過ぎない。
どうしようもない俺が愛されるはずも無く、ただ優香は他に誰もいないから俺といるに過ぎない。そんなことは判っていることじゃないか……
それに、まず第一にというより前提として俺が果たして優香を愛しているのかという事が自分のことだって言うのにわからないということだ。
優香は俺の横で小さく寝息を立てて寝ている。
そっと顔までかかったシーツをどかして寝顔を見る。
安らかに寝ているように見える。
寝ているときにしか安らかな時は無いのだろう。
そしてそういう風にしたのは他ならぬ俺だということを知ったときに優香はどうするんだろうか?
分かりきっている事を考えてもしょうがないな。
俺は寝ている優香の唇に優しく自分の唇を重ねる。
「う…うん」 という寝言を発した優香はさらに気持よく寝息を立てる。
眠り姫にキスをというロマンチックなキスをしているように見えるが、実際は寝ている相手に無理やりキスをしたというクズな情景にしか思えない。
触れた唇は柔らかく暖かかったはずなのに俺の心の中を寒々とした何かが強く吹くのだった
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