第2話
俺が優香に付き合い始めた日から一ヶ月がたった。
優香の立場はあれから下がりもせず、もちろん上がりもしないで、ただ誰もが無視するように彼女に接していた。
彼女はそれでも引きつった笑顔を絶やさずに、伺うような顔で周囲と話をする。
俺はというと自分の仕事をしながら、哀れな優香の姿を愛しく見つめている。
ほんの少し前が嘘のように彼女は変わり果てていた。
「はっ……あっ……いいよ~」
くぐもった高い声で優香が俺の身体の下で喘ぐ。
付き合った日から三日と開けずに俺と優香はこうやって身体を重ねている。
最近になってやっと破瓜の痛みが抜け、こなれてきたようで、少しずつとだが色っぽく薄桃色に肌を染め、声を上げるようになった。
愛する二人の営み……常套句をつければそんな言葉が浮かんでくるけれど、あいにく二人にとって……いや少なくとも俺にとってはセックスそれ自体には高尚な意味など持っていない。
もちろん歳相応に性欲はあるので性欲処理という部分もあるが、媚びるような表情で『俺を受け入れる優香』を見ることが俺にとってのセックスの大部分の目的なのだ。
慣れない快楽と他の人間のように俺に拒絶されることを恐れる感情がない混ぜになった表情。
おずおずと、でも離れないようにしっかりと背中に回された両腕の締め付け、拒否されることを怖れて緩められる腕の力、それを繰り返しながらも彼女自身は貪欲に俺のモノを包み込んでいる。
全身で矛盾と葛藤を表現する優香の姿が、俺の背中に走る電気じみた快楽と頭をしびれさせる高揚感を味わせてくれる。
きっとこれ以上の快感を味わうことなんてできないだろう。
いま俺は最高に幸せだ。
幸福だ。
満ち足りた世界を全身で味わっている。
「あ……あ……きょう君……ああ……ん……」
優香の声が一層高くなる。
精神とは対照的な肉体の快楽を登りつめる音声。
それを合図に体勢を変え、優子の柔らかなぬくもりを感じる部分の角度を変える。
「ふあっ!……いやあ……ああっ!」
乱暴にかつ遠慮なしに全身を使って動かす。
そのたびに優香が跳ねるように上体を動かして口をだらしなく開き、悦楽の声を上げる。
自身の意思とは無関係に出るそれが恥ずかしいようで口を手で覆って出ないようにするのを予測し、俺は彼女の両手首を持ち、それを支えにしてさらに激しく優香を攻め立てた。
「い……ああっ!……だ……」
俺の行動の意味を理解しているのかはわからないが優香は「嫌だ」とは決して言えない。
言える筈がない。
何故なら俺しかいないのだから……彼女には。
やがて優香がここ何回かでやっとたどり着くことの出来る終点が近いようで、彼女の全身が染まり、うっすらと汗がにじみ始めてくる。
俺の方は市販の安物の厚いゴムをしているせいかまだ達することは無い。
子供なんか欲しくない、欲しいのは優香一人だけでいいから……心をボロボロに折られた優香だけが俺はただ欲しいんだ。
「ああっ、ああああっ!きょう君!あい……し……んん!」
優香が俺の手首を掴んでいた手を振りほどいて口を押さえつける。
「愛してる」なんてとても言えないんだろう。
もしそれを言って拒絶されたら?
きっと優香は生きていくことが出来ないだろう。
俺がそうなるように仕向けた以上に優香は期待を超えた反応を見せてくれている。
幼馴染で恋人で現在唯一の存在である俺にも言えない、言うことの出来ない「愛している」という言葉を発しないように無理やり抑えつけてまで努力している。
優香が俺の計画でどんなに傷つけられていたかが理解できてますます興奮し、愛おしくなった。
ただこれだけじゃ駄目だ!最後の仕上げが待っている。ここまで九割達成しているが最後のそれが無ければ意味が無い。
セックスをする意味が無い。
「きょう……くん……あああああっ!…………あっ……ああ……んんん…………」
やがて達したのか優香の全身から力が抜け、ベッドの上にぱさりと腕が落ちる音がする。
俺自身もいつの間にか達したようで彼女の中でビクビクと放出している。
「……ああ……出てる……ビクビク……」
うわ言のようにぼんやりとした瞳をする優香に俺は優しくキスをする。
全身を火照らせた彼女の身体は熱い。
唇も同じように熱くなっている。
互いの唇と唇が触れ合った瞬間の優香の瞳の中は誰かに見捨てられるような恐怖と媚びは一切無く、全てが剥き出された彼女自身がうつっている。
ただただ虚ろな瞳をした優香、瀬能優香という感情が剥がれた素の姿も俺は愛おしく思っているのだ。
ここまででやっと九十九パーセントまで到達したことを理解する。
最後の一%はわからないが、今はこれで……満足……だ、俺は……。
そのまま疲れきって彼女の横に身体を落として俺は眠りこける。
右腕に優香の腕が絡みつくのを感じながら……。
休日の朝、予想外のことが起きて我ながら少し狼狽してしまった。
俺は演劇部で使用するための道具を整理するため、他の部員よりも早めに道具室を訪れていた。
かつての優香と違い、俺は裏方が主な仕事であり、道具の整理という面倒なことを任されるほどに不器用だった。
それを顧問から任された日の放課後、優香は手伝いたそうな素振りをしていたが、先んじて俺が一人でやるから大丈夫と言って来るのを禁止していた。
学校内では優香と必要以上の接触はしないようにしている。
何故ならそれが原因でうっかり優香の立場が少しでも上がってしまうのを防ぐためだ。
他人に好かれやすく、急激に下がるということは上がるときも急激な可能性がある。
ほんの少しでも優香の位置が元に戻るのを防ぐための当然の措置だった。
もちろんそんな本音は言わず、適当にごまかしておいたが、優香は悲しそうな表情を浮かべて「うん……わかった」とだけつぶやいた。
その姿はすごく美しかった。
「あの……聞いてる……かな?」
三郷さんの問いかけに気づいて俺は現実に戻ってくる。
「ああ……それでなんだっけ?」
先ほどの言葉をもう一度聞き返す。
彼女は赤い顔をして優香とはまた違う可愛らしさで、
「だから……好きなの、近藤君のことが……」
モジモジとしながらはっきりと俺のことが好きだと言ってくる。
「そう……」
無感動に返事をした。
彼女は俺の答えを聞かずに自分がどうして俺のことが好きになったのかを聞いてもいないのに語ってくれた。
ぶっきらぼうに見えるけど優しいところとか、他の男の子と違って常に色々なことを考えて作業しているところとか……。
要するにそういうところで俺を好きになったらしい。
正直自分にはどうでもいいことだった。
確かに顔はそこそこ可愛いし、性格も悪くない。
優香ほどでもないが、それなりに他人に好かれる子だ。
ただ残念ながら俺は彼女に興味が無い。
なぜ無いかといえば、うまく言えないが彼女が瀬能優香ではないと言うことだけだろう。
どうやって告白を断ろうかと考えていると、ある事に気がつき俺は一つ思いついた。
もしかしたらもっと面白いことになるかもしれないという期待をこめて、三郷さんに答えを返す。
「告白、本当に嬉しいよ……実は俺も三郷さんのこと良いなと思ってたんだよね
三郷さんの告白から一週間後、俺は演劇部の部室内の掃除用具ロッカーに隠れている。
あの告白の時に感じた期待は予想以上に実っている。
今日はそれを収穫する日なのだ。
胸が強く高鳴って、しびれるように股間は屹立している。
音を立てないようにすでに二時間待っているが、必ず今日やってくるはずだ。
そしてその予想は当たる。
部室の扉が不自然にゆっくりと開く、まるで盗人が開けたように……。
そして扉を開いた人間はゆっくりと、でも慎重にあたりの様子を探りながら、ある人物の荷物の前で何かをしていた。
ここからでは何をしているのかはわからないが、予想はできたので俺は乱暴にロッカーの扉を内側から開けて飛び出した。
人物はビクっとした仕草で振り返り、出てきた人物が俺だとわかり、明らかに狼狽していた。
「そこで何をしていたんだい?優香」
俺の問いかけに大きな瞳をまん丸に開いて、彼女は
「う、ううん……なんでもないよ?恭君」
手を後ろに隠した優香の隙をついて持っているものを奪う。
それは一枚の紙だった。
そしてその紙には新聞の字を切り抜いて文字が張られていた 。
ある人物の誹謗中傷の文字が……。
「これはどういうことだい?」
あくまで優しく俺は問いかける。
「うう……ああ……グスッ……ヒック……」
とうとう泣き始める優香に、
「泣いてちゃわからないだろ!」
語尾を強めてさらに強く問いかける。
そこで観念したのか
「ご、ごめんなさい……でも……わたし……わたし……」
泣きじゃくる優香を優しく抱きしめながら、諭すようにゆっくりと聞き出していく。
「だ、だって……恭君が……三郷さんに…グス…好きだって……言われてるのを聞いちゃって……私……あの時……あの場に居て…ヒック…聞いちゃったの……」
うん、知ってるよ。 あの時こちらから道具室の扉から一瞬優香が顔を出すのが見えたからな。
「きょ…う…君が…告…白…ヒック…断らなかったから……三郷さんと……のこと……良いなと思ってたって…言ってたから…」
要領を得ない優香の言葉の意味を俺は十二分に判っている。
そう、こういうことになるのを期待して俺は三郷さんの告白を断らなかったんだ。
「わ、わたし…きょ…う…君に…捨てられちゃう……んだと……思ったら…怖くて…だって私には…あなたしか…いないから…だから…だから」
泣き顔ですっかり崩れてしまっている優香を黙り込んで真剣に見つめながら、俺は快楽でこの場でのた打ち回りたかった。
ああやっと見つけた最後の一%。
「それで…これをやろうとしたのか?」
ビクリと跳ねて、次いで絶望を浮かべた泣き顔をする優香…ああなんて美しいんだ。
紙に張られている文字を指先をつけて読みあげる。
「ふうん…近藤恭介はレイプ魔か」
「ち、違うの…これは…」
言い逃れできない状況ですがりつく優香を前にして無表情を維持するのが大変だ。
「どうして三郷さんじゃなくて俺だったんだ?」
声が上ずるのをなんとか抑え、低い声で質問をする。
「だ、だって…三郷さん…を…書いても…きょ…う…君は…こんなこと…信じないだろうし…」
そう、俺の体内で歓喜が走り回っている理由はこれだ。
つまりなぜ三郷さんではなく俺を選んだか?
「俺…なら…他の人間が…信じる…と思ったのか?」
「…………コクッ……」
子供のようにコックリと頷いたところで我慢が出来なくなってしまう。
「ふふっ…ふふふふ…ふふはははははは」
今まで抑えていたそれが噴出して、留めることができない。
歓喜、快感、狂喜、ありとあらゆるプラスな感覚が俺の体内と脳内でぶつかり合う。
そうだ!これが最後だったんだ!欠けた1ピース…最後の一%!
これこそが完璧な最後の望みだったんだ。
「京君…?ごめんね…わたし、馬鹿だから…恭君しかいないから…許して…ううん 許してください、私を許してください!お願い!許して!」
笑い転げながら、命乞いをするように土下座するようにすがりつく優香を力強く抱きしめる。
そうだ!うっかり自分だけ楽しんでしまった。
最後まできっちりとやらないと!
「許すも許さないもあるもんか!優香みたいな駄目な女の子、俺が見捨てるわけないだろ?」
「本当に?本当に許してくれるの?わたしを?」
卑屈と歓喜の入り混じった顔で見上げる優香。
計算して自分がもっとも可愛いと思える角度にしているのが見てとれて、再度俺は大笑いした。
そうだ優香は今日この日になって、やっと俺のところへ落ちてきた。
今までは運悪く落とされただけ、彼女の内面はまだあの綺麗な蝶のままだった。
だけど今日、優香は俺を陥れようと行動した。
こんな稚拙な脅迫文を、外見のように綺麗だった心を汚してでも、俺という唯一の存在を……。
自分と同じように嫌われ者の仲間にしようと足を引っ張ったんだ!
それは何のため? 俺と一緒さ!
俺が優香という美しい蝶を空から落とすために卑劣な策を弄したように、優香も俺が自身から離れて行かないために自分の降り立つ穴に引きずり込もうとした!
そうすることで俺と優香はたった今、同じ人間になれたんだ!
この記念すべき日に俺は笑う。 全てに感謝するように大笑いする。
優香も許されたことにほっとしたのか追従するように笑う。
でも控え目に、下品にならないように……
自身が俺から嫌われるのを避けるための計算づくなその笑い方……愛しくなる。
「愛してね?瀬能優香はもう彼方にしか愛されないの。こんな最低な私を愛してね」
最後は懇願するような優香に俺は誓うようにキスをする。
「ああ約束するよ、優香みたいな最低な人間を愛せるのは俺くらいなもんさ」
そして俺を愛せるのも優香だけなのさ。
心中でつぶやきながら俺はもう一度優香と口付けを交わした。
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