孤軍
バラフミアより漏洩した、テュタリニアのカミラース星系に関する航宙記録。
帝政クラルデンに対して流れ出たこの情報によれば、カミラース星系に対しバラフミアは少なくとも300隻以上の艦隊を派遣している。
テュタリニアを巡りアストルヒィアとの交戦状態に入ったことで、サメット艦隊を失っていたバラフミア王朝は、物量において圧倒するアストルヒィアを相手に国防戦力も十全に確保できていない状況にある。
それでも帝政クラルデンに対する情報漏洩があった。
まともに戦っていても、現状のバラフミアにはアストルヒィアとの戦局を挽回できる戦力はない。
このままではテュタリニアを失うどころか、このフォトンラーフのネットワークの一大拠点として活用している自由浮遊惑星に集積してある航宙記録を失い、本格的なシャイロン星雲に対する侵攻を許すことになる。
バラフミア王朝にとっては、カミラース星系の超兵器の発掘は、その戦局を挽回できる一つだけの手段である。
だからこそ、クラルデンの派遣される艦隊に対してカミラース星系の戦力を貴重な国防戦力を割いてでも増員させる。
レギオはそのように想定を立て、ルギアス艦隊を上回る戦力を展開していると予測していた。
実際のところは四つの艦隊からなる311隻の戦力しか展開しておらず、そのうち二つの艦隊がルギアス艦隊との交戦で壊滅している。
カミラース星系に派遣されているバラフミアの艦隊は、その戦力の3分の2を既に喪失ている状況にあった。
そんなことは知らないレギオは、目の前に出てきたアストルヒィアの拿捕艦を転用した艦艇ばかりで構成される艦隊に対し、それが残る二つの艦隊のうちの一つではなく、先遣と見ていた。
だが、それでもこの場に至ってはその戦力差は圧倒的となっている。
マクスウェルの率いる艦隊は80隻。
対して、この隔絶された空間にいるルギアス艦隊の戦力は、タルギアただ1隻である。
いくら個艦性能で勝るとはいえ、彼我の戦力差は明らかである。
動かなくなったツラファントに対してソルティアムウォールを展開する右舷を向けながら横につき、攻撃すれば無防備なツラファントが犠牲になるようにして、タルギアはその場に停止した。
これでいきなり攻撃を加えられるということはなくなるだろうが、マクスウェルの率いる艦隊はタルギアとツラファントを完全包囲する形をとった。
「完全に包囲されています」
「どうすれば……」
現状、援軍は望めない。
タルギアの乗組員たちの中に動揺が広がるのを感じ取り、レギオは彼らを宥める。
「落ち着け。お前たちはクラルデンの臣民だ、絶対に殺させない。シーラと次元転移機構を格納庫に用意しておけ。離艦後、貴様らは他の艦隊と合流してその指揮下に入れ」
レギオの命令に、タルギアの乗組員たちに広がっていた動揺が消える。
同時に、彼らは動きが止まった。
タルギアには亜光速誘導弾を次元転移を用いた攻撃に使用するため、アストルヒィアの技術を転用して搭載した次元転移機構が備え付けられている。
次元峡層を利用した次元転移ならば、この空間の外に出ることが可能なことは判明している。
祖父の名を継ぐこのルギアス艦隊の旗艦を失うことになっても配下を生かすことを優先させるレギオは、タルギアに搭載されている乗員輸送機兼脱出艇に使用される輸送機『シーラ』を用いて、乗組員たちだけでもこの状況から脱出させようとしていた。
レギオが彼らだけでも生かそうとしていることは、その命令の内容と過保護軍帥と揶揄されるその性格を知る乗組員たちにも、すぐに伝わる。
「軍帥、それは–––––」
「命令だ。従え」
そんな上官だからこそ見捨てられない。せめて共に散りたい。
たとえレギオの信念を踏みにじることがあっても、それでも自分たちを命がけで救おうとしてくれる軍帥を犠牲にして生きながらえたくない。
そう思い彼らは口答えをしようとしたが、それをレギオは収集させるためのものではない、有無を言わせぬ強い口調で制した。
だが、命令をされてもタルギアの乗組員たちは頷かなかった。
「
「それだけは従えません!」
「この艦に乗る誰よりも、あなたが生き残るべきです!」
だが、その彼らの訴えに、レギオは滅多に変わらない表情に明確な怒りの感情を湛えて、普段ならば決して配下に向けない怒鳴り声を叩きつけた。
「陛下の臣民を犠牲にし生き延びるなど、祖父より続く我が一族の誇りに泥を塗る気か! 次元転移を行えばアストルヒィアの艦艇を用いる敵にはすぐに知られる。タルギアはその足止めに使う必要があるが、お前たちだけでこの艦艇の何を動かせる!? 命令だ、直ちに離艦準備に移れ!」
長らく彼の指揮の元で戦ってきた将兵たちでも、初めて見るものも多いだろう、本気でレギオが感情を表に出して怒りをあらわにした姿。
雑兵の1人に至るまで彼にとっては己の命以上に大事だからこそ、それを自ら粗末に扱おうとするものに対して向けた怒り。
今度は、誰1人として口答えしなかった。
「……邪魔だ、出て行け」
誰1人口を開かなくなった指揮所。
普段通りの無表情と静かな口調に戻ったレギオが一言命令を出す。
その再三の命令に、タルギアの乗組員たちは黙って従った。
乗組員たちが格納庫の脱出艇に乗り込んだことを確認したレギオは、次元転移機構を起動させる。
乗組員たちに伝えたのは、一部嘘もある。ソルティアムウォールで隠せば、アストルヒィアの艦艇の索敵システムに次元峡層の発生は感知されない。
レギオがタルギアに残ったのは、それでも見つかった場合にタルギアを操作して敵艦隊を足止めするためである。
悠長に包囲しても呼びかけをして来ない敵艦隊のおかげで、脱出準備の時間はある。
レギオは念のために次元転移の際に注意が逸れるよう、敵艦隊に向けて向けて回線を飛ばしてみた。
それに応答したのは、敵の旗艦と思われる空母戦艦の形状をとる艦艇、アストルヒィアにおける識別艦級では[σ艦]と称されている艦艇だった。
応答した回線に接続する。
映像に出されたのは、壮年ながらも年齢を感じさせない力強い光を瞳に輝かせる1人のオルメアス人だった。
『賢明な判断だな、トランテス人。そちらから呼びかけをしてきたということは、降伏宣言ということでいいのだろう?』
「……マクスウェルか」
画面の向こうで勝者の気分に酔いしれるような笑みを浮かべるオルメアス人の顔に、レギオは見覚えがあった。
向こうは知る由もないだろう。
小声だったため、レギオのつぶやきも聞こえていなかった様子である。
格納庫の方で進む乗組員たちの脱出準備の工程が完了しつつあることを一瞬画面から目をそらして確認し、レギオは再び回線をつないでいる画面に向き直る。
包囲しただけで相手からの回線を待つなど、交渉ごとに関してはまともな脳を携えていないらしい面は相変わらずの様子である。
戦術家としての面は評価するべき点が確かに多い高い能力を持つものであることは間違えないだろう。
だが、配下の戦死を嫌うため砲火を交わすこともあまり好ましく思っていないレギオと違い、マクスウェルはその戦術家としての優れた才覚を試すように避けられる戦闘も好んで飛び込む気質がある。
それに部下も飛び込ませ、その部下たちから優れた戦術手腕で一種の信仰に近い忠誠を得ているマクスウェルのことが、レギオはそりが合わないと感じている。
降伏宣言と決めつけているその驕った顔に対して、レギオはため息まじりに言った。
「……降伏をするつもりはない。その似合わない艦艇もろとも沈むか?」
『……ほう、この状況でその物言い、なかなか気骨があるやつだな』
レギオの挑発に、マクスウェルは乗ることなく受け流すどころか、逆に人質がいるとはいえ完全包囲を完成させている中でも敵に対してその物言いができるところを気に入ったようで、笑みを深くした。
他勢力から野蛮、蛮族、戦闘狂という評価を受ける好戦的な種族であるトランテス人の中ではおとなしい部類に入るが、それでもレギオとしては貴様の方がよほど気狂いだと感じている。
圧倒的優勢の中で愉しむ素振りも見せるマクスウェルはともかく、敵艦隊にツラファントが近くにいる中で砲撃を仕掛けてくる様子はまだみられない。
マクスウェルがこの回線を飛ばすまで余裕綽々と待ってくれていたおかげで、タルギアの乗組員たちの脱出準備は完了している。
レギオは死角になる箇所で、視線をマクスウェルの方に向けたまま次元転移機構を起動させる。
そして、ソルティアムウォールで隠しているとはいえ敵に感知されるリスクは可能な限り減らしたいので、気をそらせる為にマクスウェルの方に今度はレギオの方から声をかけた。
「包囲するだけということは、人質としている艦艇が有効か、それとも俺に要求することがあるのか? あらかじめ言っておくが、バラフミアの軍門に降れというならば断る」
脱出艇の次元転移による離脱を確認。
バラフミア軍に把握した様子はなく、レギオとタルギアを残してこの空間からクラルデンの人員の退避は完了した。
レギオにとって配下を守るのは義務であり、彼らの無事が確保できたことに関して誇ることでも喜ぶこともない。それに、彼らはこの空間からの脱出を果たしたというだけであり、安全が確保されたという保障などどこにもない。
変わらず無表情を貫くレギオに、マクスウェルは余裕の笑みを浮かべたまま答える。
『いや、構わんとも。白旗を上げるというなら別だが、バラフミアの軍門に降れと要求するつもりはない』
「………何だと?」
配下の脱出を果たした今、レギオの意識は完全にマクスウェルとの会話に向けられている。
そして、マクスウェルが放った予想外の言葉に、レギオは疑惑のこもった目を向けた。
『バラフミアの軍門に降れと要求するつもりはない』
その言葉の真偽ではなく、なぜそのようなことを言ってきたのかというマクスウェルの考えに対する疑惑の念からくるものだった。
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