野球の神様に愛された少女 「東雲雅」

課長ニッキー

東雲雅の思い出

大切なあなたへ


前略


お元気でしょうか。

いま、わたしは異世界で旅をしています。

九人の仲間たちに恵まれて、幸せに過ごしていますよ(ニコ

「雅ちゃーん、そろそろ行くっすよ〜」

「うん!わかった!」

そんなやりとりをしながらゆっくりと旅をしています。

ここの世界に連れてきてくれたのも、今の旦那さんである神崎勧さんがいてくれからなの、あなたはもう知ってると思うけど、今回はその日の思い出をここに書かせてください。

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小学校に入るまでのわたしは何にもやる気のない子供でした。世間ではお嬢様といわれるほど裕福だったので、様々なお稽古をさせてくれましたが、才能がなく飽き性だったのですぐに辞めてしまいました。

小学生になった時に橋を車で走っていると、河川敷でちょうど少年野球の試合をしていました。

「彼らはなにをやっているのだろう」と思ったわたしは、車を止めさせその試合を観戦しました。今考えれば乱打戦でキャッチャーのリードどころか、変化球すら投げてない試合でしたが、わたしは心を惹かれました。

そして、チームの中で人一倍小柄というか、、、とても小さな人が打席に立ちました、当時その時の打席を今でも忘れていません、なんてったって、わたしの顔に当てたのですから、今となっては笑い話になりますが、当時その時、「2度ときてやるもんか!」と思ってしまいました(笑)。

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そして、翌日少しだけ怒りながら昨日試合のあった河川敷に行って、顔をぶつけたバッターに謝らせに行こうと向かいました。

すると彼は人一倍静かに練習をしていました。もしかするとこの時点からおかしかったのかもしれません、そしてずかずかとコーチに断りもせず、「ちょっと昨日はどういうことよ!わたしの顔にボールを当てて、怪我でもしたらどうするのよ!」と、練習が止まるくらいの大声で言いました。

すると彼は、「ごめんね、怪我はなかった?」と、鉛筆で大人も顔負けなくらいの綺麗な字で書かれていました。わたしの怒りは多分その当時最強クラスに怒りました。「声を出しなさいよ!」と張り倒しました、するとどこからか「勧は声を全く出せないんだよ」と聞こえてきました。

事情を聞くと彼、、、神崎勧は生まれた時から声が出なく、そこから親も嫌っていったそう。それを聞いたわたしは子供ながらかわいそうと思ったんです。多分捨て犬と同じような感覚だと思いますけどね(笑)。

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そして、わたしは、親になんとかこの子を救いたいと親に頼んだんです。そうしたら、彼の両親が麻薬をやっているということがわかったので、警察に通報して、その子供を引き取ることにしました。

初めは恐怖心を抱いていましたが、やがて慣れてくればよく手伝いをするようになりました。

頭も良く、気がきく勧をお父様は勧を使用人にならせたかったそうですけど、彼はまっすぐに野球に突き進みました。

彼のメモ帳にはいつも【野球では弱音を吐かない】と書かれていました。

そんな彼がまっすぐにやるような「野球」とはどんなものなのかと彼に聞いたら彼は、「やったほうがよくわかるよ?やってみる?」

と言われたのでやってみると、わたしの才能

が開花し、めきめきと上達していきました。

この時初めて自分自身で「もっとやりたい!」と思えるようなスポーツに出会えた気がします。

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そして中学を無事に卒業し、わたしと勧は櫻葉高校に進学して寮生活になりました。

もちろん二人とも野球部に入部しようとしましたが、コーチから「お前は無理や、遊び半分の女はソフトボールでもやってろ」

と言われました。その時もやっぱりムカッって来て、言い返そうとしましたが、勧がわたしの服を引っ張り、紙を渡しました。

そこには(わたしからの提案なのですが、3年生を連れて来させて3イニング勝負をしてください。もしそれで誰も打てなかったら入部を認めてください。仮に、1点でも取られたらわたしも入部をやめます。もちろん受けてくれますよね。)と書かれていました。

それを見たコーチは「いいだろう、うちの打線は甲子園優勝校に打ち勝ったことのある打線だ、それにどれだけ立ち向かえるか楽しみにしてるよw」と言い、この場から去りました。

わたしは「なんで勧はそんなことを書いたの!勧は野球が大好きなんでしょ!」と大声で言いました。すると勧は私にある1つの紙を渡しました(だって雅がいないと面白くないもん)

たった一言書かれてあるだけですが、私は勧のことが大好きになりました。だって(一緒にいたい)だなんて、同世代から言われたことがなかったんですもん。

ですが私は投手経験はあってもあまり得意ではありませんでした。(当時むしろファーストの方がうまかったかもしれませんね笑)

そこで勧からの提案で特訓をすることにしました。

当時、変化球は投げられはしましたが、それでも本職の人では程遠い状態でした。

それでもなんとか、スライダー、カーブは投げることはできましたが、落ちる球はストライクゾーンに入ることができませんでした。ですがさまざまな投げ方を二人で私の体にあうものを探して行きました。

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そして迎えた当日、三年生との3イニング勝負の日がやって来ました。守備は1年生のメンバーで行うこの試合は甲子園の代表選考会も兼ねていて、三年生の気合も十分でした。

先発のマウンドに上がったのは中学時代から有名な投手である、「如月さん」でした。

自分のことでよく覚えていませんでしたが、確か3回10失点くらいしてたって聞きました。驚きもしません、打線だけは強いのが、このチームで守備は2の次3の次くらいになるような監督でしたから。

そして2番手に私が上がりました。キャッチャーは勧です。彼は登板前に(フォームも綺麗だし、体にあった体力作りはしている。問題は心だ、大丈夫、全責任は俺が取ってやる、思いっきり投げてくれ、)

と、メモを渡され、笑顔で打席に向かいました。(でも彼は三球三振だったんですけどね笑)

そのメモで私はゆっくりと投げることができました。[大丈夫、ゆっくりでも大丈夫、]

そう思いながらマウンドに立ちました。

勧からは低めのスライダーを指示され私はおおきく振りかぶって投げました。

その時は覚えてませんが、すっごく顔が怖かったそうです。

バッターはしりもちをつき、ストライクのジャッチをしました。速度計は145キロを出していました。

対戦相手の方やコーチ、さらには監督までもが目を白黒させていました。

「ナイスボール!」

と後ろから声がしました。

[ああ、これが投手なんだ、これが野球なんだ]と私はワクワクしてました。

ですが、相手も打線特化のチームです。1アウト1、3塁の場面になってしまいました。

勧のサインは今まで一回も入ったことのない縦のスライダーでした。一度、、いえ、何度も首を振っても彼は縦のスライダーを指示しました。マウンドにみんなを集めて私は声を上げていいました。「あの球はストライクが取れないの!だから私は投げたくない!」

すると、勧は襟首の後ろからペンを取り出すと何か書いて紙を書きました。

【野球では弱音はなしだ、責任は俺が取るって言ったろ?】と、

彼はわかってたんでしょうね、ここで打てない球を用意しなければ勝てない。

ここで弱気になって逃げてる人間はダメだと、

「わかったわよ、投げればいいんでしょ、そのかわり打たれたら絶交だからね。」

【当たらねえよ、お前の球ならな】

そして、みんなが守備位置につき、ゆっくりと呼吸を整え、今までよりもゆっくりとしたフォームで私は思いました。

私は…いや、違う…は……野球がしたくて、ここにいるんだ!

思いを乗せたその一球は、打者の手元で大きく、鋭く曲がり勧のミットの中に収まりました。打者は綺麗に倒れ込みました。

勧の顔は【ほれみろ、アウトは取れるんだよ】という顔をしてました。わたしは小さくうなずきました。速度計は160キロを出していました。

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結果は、3回7奪三振無失点で、わたしは晴れて、野球部に入ることを許されました。

そして、勧と付き合うことも決めて、幸せに野球と恋に打ち込めることができました。

(ちなみにコーチは体罰が発覚してやめました、)

今でも勧と一緒にいる、さらに仲間もいる。わたしはすっごく幸せだと思います。


と、まあこんな感じでした。

まぁ知っていると思いますけれど笑

最後になりましたがわたしは結婚することとなりました。相手は勿論…ふふっ。

またお手紙を待っています。それでは。


敬具


神崎雅

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