第4話 帝国騎士長


 テラスから立ち去った聖導士は、城内の暗い廊下を歩いていた。


 廊下横に設けられた窓ガラスからは、夜空から注ぐ凶星の光が差し込み、暗い床上に緑の格子模様を描き出していた。


 誰もいない廊下で一人、こつこつと床石を鳴らしながら歩いていた聖導士は、ふいに立ち止まって、前方の闇の中へ向けた目を細めた。



「どなたですか?」



 聖導士の言葉が廊下内に反響する。


 すると、聖導士の視線の先。

 廊下奥にわだかまった暗闇から分離するように、人影が一つ現れ、がしゃがしゃという鈍い音を伴いながら、聖導士の方へ近づいてくる。


 人影が窓の横に差し掛かり、差し込む緑光に照らされる。

 そこに現れたのは、漆黒の鎧で全身を包んだ何者かの姿であった。


 黒鎧の人物は、聖導士の前まで来るとその足を止めた。


 「これはこれは、帝国騎士長のシュタイン様。私めに何か御用でしょうか?」


 薄暗い廊下内にうっそりとたたずむ無骨な姿に向かって、聖導士は穏やかな笑みをたたえながら問うた。


 「……あれを彗星だと説明したそうだな」


 シュタインと呼ばれたその人物は、窓の外を見上げ、鋭利な角の二本突き出た漆黒のかぶとの奥から、くぐもった声を発した。


 「……なにゆえ、いつわりを?」


 聖導士は苦笑する。


 「偽り、ですか……。私はただ、確証がない段階で、陛下にいらぬ心配をおかけするのをはばかっただけです」


 聖導士の言葉に、シュタインは唸るような小さな笑いを漏らした。


 「確証がない、か。……その割には、かねてから旨味の少ないウェスターの編入に腐心し、あまつさえ使徒まで送り込んでいたようだが?」


 聖導士はくつくつと笑った。


 「あれは、たまたま別用で向かわせていただけです。これは、神が与え給うた幸運というべきでしょう」


 「あのような奸計で国を乗っ取っておいて神の計らいだと? 笑わせる。帝国の支配下に組み込むだけが目的ならば、この私を派遣していれば容易かったものを……」


 「確かに。帝国筆頭騎士たる貴方様は、一度戦場へ赴けば負けをしらず。その上、敵方を壊滅させるでもなく、懐柔して自らの指揮下に組み込んでしまうという並外れた知略と人望の持ち主でもある。そんなあなた様に頼めたならば、たとえあの魔神とてこちらに引き入れることだって可能かもしれませんねえ。……その貴方様が帝国守護役を任じられているために国内から離れられないとは、誠に惜しい事です」


 聖導士はあからさまに世辞と分かる、見るからに演技がかった調子でそう述べた。


 「何を言うかと思えば……。噂では、私の守護役への選任を、教会が陛下に進言したと言うではないか」


 聖導士はわざとらしく驚いた表情を浮かべる。


 「おやおや、そんな噂が……。しかし当の私には心当たりはございませんねえ。しかし、もし貴方ほどのお方を戦地で消耗させた挙句、みすみす失うことともなれば、帝国の財産を損失するのも同義。その上、武勇の誉れ高い貴方様が帝国の守護についいて帝都と陛下をお守りするというのは、帝国民全員の総意なのではございませんか?」


 「れ言を……」


 シュタインは聖導士の言葉を鼻で笑った。



 「……時に、私の指揮下の部隊を、教会が解体したと聞いた。兵士とその家族達をどうするつもりだ?」


 シュタインの問いに、聖導士は何やら裏のありそうな怪しげな笑みを浮かべた。


 「御心配には及びますまい。確かに、中には異民族や亜人達が含まれているとはいえ、貴方の指揮下にあった優秀な兵士達です。それに、昨今は先帝の頃とは異なり、彼等にもが用意されております。此方こちらとしても、最低限はさせていただきますよ」


 聖導士の言葉に対し、シュタインは何も言葉を発さなかった。

 だが沈黙しながらも、その無骨な鎧の上にただよわせた威圧感が、言葉以上のものを物語っていた。


 「以前の部隊の事はこちらにお任せになって、どうか貴方様は、帝国守護の任務にご専念下さい」


 聖導士は、シュタインの放つ威圧感にも全く動じず、けろりとした様子で語る。


 「帝国の守護、か。……確かに。もしも陛下の身に何かあれば、は多いからな」


 シュタインが放った言葉に、聖導士は依然笑みを浮かべながらも、その瞳の中へギラつく光を宿した。


 「それは当然でございます。なにせ陛下は、帝国のおさたる方なのですから」


 そう言うと、会話はそこでパッタリ途切れ、両者を沈黙が包んだ。


 両者の間に、まるで決闘者同士が向き合っているかのような、息が詰まる程の緊張感が漂った。即ち、沈黙を破ってどちらかが少しでも動いたあかつきには、忽ち血を見かねないような、激烈な危機感が周囲に充満していた。




 「……それでは、私はこれにて」


 切迫した沈黙を飄々ひょうひょうと破って、聖導士がシュタインに頭を下げた。


 そして聖導士は、未だ静かに屹立きつりつしているシュタインの横を、臆しもせず颯爽さっそうと歩き去ろうとする。




「……あまり、魔神の力をあなどらない方が良い」


 聖導士とすれ違う瞬間、シュタインが不意に語り掛けた。


 「はい?」


 聖導士は、シュタインの斜め後ろで足をとめると、おもむろに振り返った。


 「あの『魔穿ません』の使徒一人では、十中八九返り討ちにうということだ」


 シュタインは振り返らずに語る。


 「おや、忠告とは。……しかし、ご心配は無用。確かに彼は品性に多少の難はございますが、それでも確固たる実力を有しております」


 聖導士の言葉に、シュタインは顔のみ僅かに振り向くと、こう言った。



 「身に余る力は時に破滅を呼ぶものだ」



 「それは、武人としての心得か何かでしょうか? ならば、拙僧の心に留めておきましょう。……それにしても、騎士長殿は魔神にお詳しいようだ」


 「……神話の話なら、な」


 シュタインはそう短く言い残すと、鎧を重々しく鳴らしながら歩み去ろうとした。


 その背中へ、聖導士は語り掛けた。





 「私は常日頃からこう思っているのですが――」





 シュタインは数歩進んだ所で、聖導士の言葉に立ち止まる。




 「貴方様は実は、の人間なのではないのかと」




 聖導士の言葉に対し僅かに間を空けると、シュタインは答えた。


 「……何を言っているかは分からんが、私は生まれや境遇、人種のみで自身の生きる道を決められるのを好かない」


 そこまで言うと、シュタインは思いだしたように「ああ、それと……」と付け足した。




 「姿を隠したいのであれば、音と体温のみでなく、『気』まで消さなければ敵をあざむくことはできないぞ」




 シュタインは聖導士ではなく、虚空へと語り掛けるように言った。


 それまで、本心を全くおもてに出さないようにしていた聖導士であったが、この言葉を聞いて初めて顔を歪めた。


 シュタインは溜飲を下げたように鼻を鳴らすと、今度こそ闇の中へ帰っていくように歩き去っていった。





 残された聖導士は、廊下内で暫く一人たたずみながら、シュタインの消えていった闇の奥を眺め続けた。




 「……是非とも、貴方のその兜の下にある顔を見てみたいものです」




 そう呟いた聖導士の横で、空間が揺らめいたかと思うと、虚空から幽霊のようにぼうっと人間の姿が現れた。


 「……すみません。気づかれてしまいました」


 全身を黒い装束で包み、顔もターバンのような物で覆って両目だけを晒した男が聖導士にびた。


 「構いません。そもそも、あれを出し抜けるとははなから思っていませんでしたから」


 その言葉を自身への評価であると受け取ったのか、黒装束の男は不服そうに足元へ視線を落とした。


 「……聖導士様。あの男の言葉を繰り返すようで恐縮ですが……、ウェスターへ向かわせたのはハルト一人だけで本当に良かったのでしょうか」


 「今は彼方あちらに戦力を割くのは得策ではありません。下手に動いて帝国内にいる敵に背中を見せるのは最も避けるべきことです」


 「でしたら、敵勢の排除を私達にお命じになればいいのでは」


 聖導士は黒装束の男の言葉にカラカラと笑った。


 「身に余る力は破滅を導く、ですか」


 聖導士は笑みの中に刀を潜ませたような表情を男に向けた。


 その凍れるような視線に、男の体が恐怖に強張った。


 「いくら、あなた方が使徒ミルドとは言え、あれを倒すのは容易い事ではないでしょう」


 立ち竦む男を尻目に、聖導士はゆっくりと廊下を歩き始めた。


 「それに、今はまだその時ではありません」


 聖導士は、廊下の西壁に設けられた巨大な窓の前に立ち、夜空を走る凶星を見上げた。




 「さて……。魔神はこの世界に何をもたらしてくれるでしょうか」



 


 

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