第3話 凶星


 いまや四方に敵なしと称される神聖ガレリア帝国の、その頂点に座する王、ロベルト3世。

 彼は、ガレリア中興の祖である祖父と父の跡を、弱冠18歳にして継いだ若き皇帝であった。


 直近2代におけるガレリアの隆盛を経て、いよいよ彼の代を以て世界統一が果たされるとして、ゆくゆくは彼が世界人類の頂点に立ち得る人物であると期待された。



 ……しかしその評価は、先々代「賢帝ロベルト1世」、先代「征服帝ロベルト2世」に対する絶大なる評価を引き継いだものに過ぎず、実際のところ、彼の人格と言えば傲岸不遜ごうがんふそん、先帝が存命の頃から放蕩ほうとうの限りを尽くし、とても帝王の器足り得る人物とは言えなかった。


 

 そのため先帝の急死に際して巻き起こった継嗣けいし問題においては、彼が先王の長男がために継承順位筆頭であったにも関わらず、その人物像を知る一部の重臣達からは反対意見も有り、代りに学問に秀でた次男を推す向きも強かった。

 ところが、当時権勢を誇っていた神聖ミルド教会が、病弱とめかけの子という点を指摘して次男の推薦すいせんを退け、逆に長男を支持することでロベルト3世を即位させたという経緯があった。



 そのような助力があって何とか即位できたロベルト3世にとって、教会は無碍むげにできぬ存在であり、その為にロベルト3世の代になってからというもの、神聖ミルド教会は発言力を更に強める事となった。



 それは、当のロベルト3世にしてみても仕方ないと理解はしながらも、決して面白くはない状況であった――。







 帝都中央にそびえ立つ巨大な漆黒の城、ヴァルギリー城。


 夜闇に擬態ぎたいするようにして君臨する城の上階。

 西側の城庭を見下ろすように設けられたテラスには、今、王と臣下達が揃って立ちすくんでいた。

 帝都でも最も高いであろうその場所から、彼等は頭上に広く開けた夜空を一心に見上げていた。


 日頃の不摂生の結果、血色悪く肥えた王の顔は、いま不気味な光に照らされて、まるで死人のそれのような色に染まっていた。

 また彼のいただく王冠は、夜空から降り注ぐ緑光を反射して、呪われた宝珠のように妖しく輝いていた。


 遥か上空から彼等を照らしているのは、暗黒の夜空を斬り裂くように進む、まばゆい光の球であった。


 太陽はすでに沈んだ夜空を、まるで太陽の落とし子の如く輝くそれは、親の跡を追う様に西の空を飛翔していた。

 月を砕いたような大きさながら月をも圧倒する輝きを放ち、辺りの星々の輝きを塗り潰す緑色の軌跡を夜空に描きながら、時折血潮のように赤い火花を散らして進んでいく。


 空全体が、水面に張った油膜のような、緑を基調とした美しいというよりも怪しげな七色の光輝に染まり、空も地上も今は、光の球の独壇場となっていた。





 帝都の人々もまた、好奇と畏怖いふの入り混じった様子で、この夜空の光景を見守っていた。


 子供達は寝食を忘れ、ほうけた表情で頭上で繰り広げられる珍事を見上げ、母親はその緑の光を忌み嫌い子供達を部屋の中に引きいれて、家の戸の一切を閉めきる。


 酒場で騒いでいた荒くれ冒険者達は酔いも忘れ、屈強な魔物を前にした時にも感じた事のない得体の知れぬ焦燥感を覚えながら、ぽかんと夜空を見上げていた。


 宿屋街の裏道に座る襤褸ぼろまとった老婆は、どこかで拾ってきた十字架を手に握り締め一心に祈りながら、幼い頃に伝え聞いた恐ろしい伝承を思い出していた。







 「あれは何なのだ賢者メイスターよ」


 王は夜空の光を、怯えの隠しきれていない表情で見上げながら、傍らに控えていた白髭の老人へ尋ねた。


 「恐れながら、陛下。あれは『凶星まがつぼし』ではないかと存じます」


 賢者の口にした『凶星』という単語に、王の周辺にいた他の臣下達は騒然そうぜんとした。


 「『凶星』だと⁉ バカな‼ あれはかつて教会が討伐したではないか」


 王はいきどおろしげに吐き捨てた。


 「で、ですが、それ以外に説明できるものは――」


 「すぐさま聖導士を呼んでまいれ‼」


 賢者の言葉を遮って王が叫ぶと、それを聞いた臣下達は慌てた様子でテラスを駆けて行こうとする。


 ……しかし、彼等はみな数歩進んだところで、ピタリとその足を止めた。




 「既に参上しております。陛下」



 落ち着いた、それでいてどこか凄みのある声で答えたのは、白い法衣を纏った色白の若い男であった。

 彼は、何時の間にか、どこからともなく現れ、王の背後に静かに佇立ちょりつしていた。


 王は内心驚愕きょうがくし息を呑んだが、聖導士にそれを悟らせぬよう表情を引き締めると、彼に正対して言った。


 「せ、聖導士よ。あれはかの凶星なのか? どうして、ふたたびこの世に現れる。そなたら教会が既に討伐したのではなかったのか?」


 王は聖導士を問い詰めるかのように、語気を荒げて問う。


 「ええ、仰る通り。魔神はかつて、我ら教会の使徒達が死力を尽くして完全に討ち滅ぼしました」


 聖導士は王の憤った様子に対しても、動揺など一切せず、むしろ余裕の笑みさえ浮かべてそう答えた。


 「ならば……なぜ」


 王は聖導士の余裕の態度にたじろぐように、追及の言葉をにごした。


 「……あれは凶星に似てはいますが、恐らく、『彗星』なるものかと」


 「すい……せい?」


 王は復唱し、聖導士と凶星を交互に見た。


 「ええ彗星でございます。星の中には、旅鳥の如く、一定の期間をもって同じ場所を往来するものがございます。あれはその類でしょう」


 「……すると、危険はないというのか?」


 王は訝し気に問うた。


 「彗星ならば、通常、地に墜ちるものではございません。仮に墜ちたとしても、あれが向かうは帝都より遥か西方の辺境の地。この帝都に影響はありますまい」


 聖導士の言葉には落ち着きがあり、聞く者に言いしれぬ説得力をもたらす。


 王は聖導士の言葉に、僅かに安堵したように表情を緩めるも、しかし完全には信用してはいないと見えて、尚も彼へ念を押す。


 「本当に、凶星ではないというのか」


 「さようにございます」


 「ならば、兵などをつかわす必要もないと?」


 「ええ。当座の所はそれで構わないでしょう。仮にこの後、周辺国へ被害が出たなどという情報があれば、その際、改めて宗主国としての支援などをご検討なさるのがよろしいかと」


 王は聖導士の言葉を聞いた後、暫く検討してから言う。


 「……ならば、そのようにいたそう」


 王の言葉に、聖導士は礼をするようにこうべを垂れる。


 聖導士は自身の役目は済んだとばかりに、「では」と言い残すと、きびすを返してテラスから立ち去ろうとする。



 その背中へ向かって王は、「だが……」と投げかけた。



 「だが、もしあれが、そなたの言う彗星などではなく、凶星であったとしたならば……」


 王はそこまで言うと一端言葉を切り、装飾品でゴテゴテと飾られた太い指で聖導士の首を指し示す。



 「当然、責任はその首であがなって貰うぞ」



 王の言葉を聞いた臣下達はゾッとした表情を浮かべて、その言葉を向けられた聖導士を見た。


 控えていた賢者は慌てふためいた様子で王のそばに近寄ると耳打ちした


 「陛下。それは、流石に無理がございます。いくら王の思し召しとはいえ、あの者は曲がりなりにも、神のつかいにして帝国を守護したる存在。それを――」


 賢者のいさめる言葉を、王は射殺すような視線を向けて制した。

 賢者はハッとして青い顔をしながら引き下がった。


 一方の聖導士は立ち止まったまま、振り返りもせず静かに王の言葉を聞いていた。

 間もなくして、法衣をなびかせるようにすっと振り返ると、怪しげな笑みをたたえて答えた。



 「それは構わぬことですが、その場合、魔神から貴方様とこの帝国を守る役割を、一体誰が果たせるのでしょうか?」



 聖導士の挑戦的な言葉に王の目は怒りに見開かれ、その卵のように白い額に、青筋がくっきりと浮かんだ。


 王を囲む臣下達は、先程王の言葉を聞いた時よりも更に驚愕した表情を浮かべて、恐る恐る王の様子をうかがった。



 何か言おうと口を開く王であったが、その瞬間、聖導士が自身に向けた凛烈りんれつな視線に狼狽うろたえ、その喉元まで上がって来ていた言葉は泡沫ほうまつのように弾け、怒りに上気した熱い吐息だけが、パクパクと開閉する口から漏れ出した。



 聖導士はその様子を意にも介さず、冷ややかに言葉を続ける。



 「ご心配なく。幸いにもウェスターへは、既にとある使徒を亜人討伐のために派遣しております。彼の力はこと、異能に対しては絶大。相手が魔神や悪魔とはいえ、彼の力を打ち破るのはそう容易たやすい事ではないでしょう」


 聖導士はそう言うと、いまだ憤慨ふんがいして硬直したままの王に対し、にべもなく一礼してから背を向ける。



 怒りに燃える王の瞳に映る聖導士の白い法衣の背は、夜空から照らす光に照らされて不気味に輝き、幽霊のように揺らめきながら、城の闇の中へと消えていった。

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