第16話 旅の始まり
「なんで私が、あんたと同じ馬に乗らなきゃなんないのよ……」
「姫のそばを常に離れないようにとの、王からのご命令です。文句があるならこのまま城に引き返しますよ」
手綱を手に前を向いたまま、ルカはしれっと言った。その後ろでぶつぶつと文句をたれていたハーシェルは、急に深窓の姫君らしく物静かになった。ただし、顔はしかめられたままである。
空は快晴。アグレシアに向けた旅の滑り出しは、万事順調であった。
近ごろ、アッシリアが戦に勝利したという話をよく耳にする。
これまで戦争とは無縁だった小さな国だが、ここ最近は妙に積極的になっているらしい。しかも、すべてに勝利を収め、着実に領土を広げているというのだから驚きである。
――十分な力をつけたあと、アッシリアはナイルに攻め込むつもりかもしれない。
そう、アスリエル王は考えている。
アッシリアの快進撃など、大陸一広い土地と軍事力を持つナイルにとっては、道端で舞う砂塵ほどにすぎない。だが、そこに何か異質なものを感じ取ったらしいアスリエルは、早々に南のアグレシア王国と同盟を結ぶことを決断した。今回のアグレシアへの訪問は、その同盟の詳細を取り決め、確約するためのものである。
ルカは悲愴な顔で空をあおいだ。
「それにしても、まさか本当に許可が降りるなんて……。いったいどんな手口を使ったのですか。賄賂ですか、脅しですか」
結局、危険を冒してたどり着いた地下牢に少年の姿はなく、二人の計画は徒労に終わった。幸いにも、ハーシェルたちの重罪にも等しい行動はだれにも知られていない。だが、ハーシェルは怪我が治りきらないうちに動いた無理がたたり、次の日に高熱で丸一日寝込んだ。
主治医のユグムからは、二ヶ月間の絶対安静を言い渡されているはずである。それなのに、ハーシェルが肩に矢傷を受けてからまだ一か月も経っていなかった。
そうでなくても、王宮に刺客が入りこんだばかりだというのに、襲われた当の本人はのこのこと国外へ出かけようとしている。わが主の神経が、ルカにはさっぱり理解できなかった。
「人聞きが悪いわね! やってないわよ、そんなこと」
ハーシェルは憤慨した。
「ただちょっと、私が最近見つけた部屋についてユグムに教えてあげただけよ。『西の応接間を曲がったところにあるんだけど、案内してあげましょうか?』って」
「なるほど、脅しですね」
ルカは状況を察してうなずいた。
ユグムは珍しい薬や薬草に目がないが、それと同じくらいに珍しい絵画にも目がない。
ユグムの薬学研究室の裏側には、絵画を収集するための隠し部屋があるともっぱらのうわさである。しかし、最近になって収集を反対している妻に見つかり、絵はすべて処分されたとか。こりずにまた新しい隠し場所を見つけていたようだが、それも腹黒な姫君によって暴かれてしまったようだ。
医者の忠告などどこ吹く風、まったく聞き分けのない患者をかかえてしまった医官に、ルカは心から同情した。
「ユグムについては分かりました。しかし、何をどうすればアスリエル王が承諾されるのですか。明日あたり、天変地異でも起きるんじゃないでしょうね」
大まじめな顔で言うルカに対し、「ああー、それね」とハーシェルはちょっと首を傾げた。
「不思議なこともあるものよね」
すんなりと、とはいかないものの、アスリエルからは意外にも条件つきで同行の許可をもらうことができたのだ。門前払い覚悟で部屋を訪ねたハーシェルにとっては、まともに話を聞いてもらえただけでも拍子抜けである。
その条件とは、次の三つだ。
一、王女としてでなはく、外交官の侍女の一人として使節団に同行すること。
二、主治医ユグムを同行させ、毎日傷の状態を見てもらうこと。
三、カルヴィア王国が入城する当日は、絶対に城から出ないこと。会談、宴の席にも必ず出席すること。
「……それだけですか?」
ルカは目をしばたいた。
「まあね」
ハーシェルが肩をすくめる。
ルカは考えるような様子であごに指を当てた。
「カルヴィアですか……。そういえば、近々観光がてらナイルを訪れる予定でしたね。まあ、二回に一回も会談を投げ出されては、王もさぞ嫌気がさすでしょう。毎回、姫がいない言い訳を考える私の身にもなっていただきたいものです」
「まじめね。そんなの、『姫君はたいそう病弱なうえ性格も内気なため、人前に出られる状態ではありません』とでも言っておけばいいじゃない」
本人と真逆じゃないですか、とルカは突っ込みたくなった。
毎日剣を振るって城の脱走にもたけ、「刺客に襲われたばかりだけど外の国を見に行きたい」などと王に直談判する姫君の、どこが病弱で内気だというのか。
顔を横に向け、ハーシェルは苦そうに口元をゆがめた。
「だいたい面倒なのよ。きれいに着飾って、表面上の笑みを浮かべて、相手の機嫌をとって食事して。何が楽しいんだか。ご飯がまずくなるだけだわ」
そう吐き捨てるハーシェルの口調には、姫らしさのかけらもない。
「でも、なーんか引っかかるのよねぇ……。どうして、わざわざ条件に加えたのかしら。普通に言えば済む話じゃない?」
いぶかしげに言うハーシェルに、ルカは少し驚いたような顔をした。
「おや、ご存知なかったのですか? なんたって、今回来訪される方は――」
見えたぞー! と前方から声が上がる。
長い行列のずっと前の、さらにその先に、巨大な門がそびえ立っているのが見える。ナイル帝国と外の世界とをつなぐ玄関口、
門を見上げ、ルカがまぶしそうに目を細める。
ハーシェルもつられて門を見上げた。
ルカは知らないだろう。
ハーシェルがアグレシアを訪ねるのには、本当は別の目的があることを。ハーシェルはそれを一人で成し遂げるつもりだった。
(さて、これからどうしようかしらねえ……)
未知の土地を目の前に、ハーシェルは目的を果たすために必要な計画をじっくりとねり始めた。
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