第三章 アグレシア国へ

第14話 二人目の帰還者


 天窓から、玉座の向かいに光が射し込む。

 きらきらと輝く光の通路を前に、モーリスは広間の中央でひざまずいていた。

 武人らしいがっしりとした体格をしており、栗色の口ひげは気品よく整っている。瞳の色は、王家特有の淡い褐色だ。背中の甲冑は、のぞき込めばその瞳が鮮明に映り込むほどにきれいな銀色で、血の一滴もついていない。

「陸軍総司令官モーリス、ただいま帰還いたしました」

 玉座からは、アッシリア王カンファスがこちらを見下ろしていた。

 生まれ持った眼光は鋭く、年齢を感じさせない輝きを放っている。その背後では、大神官スコーピオンが玉座の陰に沈むようにひっそりと立っていた。

 続いて慣例の挨拶を述べようとしたモーリスを、カンファス王は「よいよい」と軽く手であしらった。

「堅苦しい言葉はなしだ。おもてを上げよモーリス、我が弟よ。シンドラ王国の征圧ご苦労であったな。皆は息災か?」

「はい、おかげさまで。ほぼ無傷で帰還いたしました」

 顔を上げたモーリスに、疲れは見られなかった。後ろでひざまずく部下たちも同様、皆無傷で血色のよい顔色をしている。ほとんど戦わずして勝利を収め、最短時間で国に帰ってきた結果である。

 カンファスは頷いた。

「どうやら上手くやったようだな。どうであった? それの使い心地は」

 カンファスの視線の先には、瑠璃色の石がつり下がっていた。

 モーリスの胸の前で、石は深い海のような光を発している。それはあまりにかすかで、目の錯覚のようにも思えるが、確かにそれ自体が発している光であった。

「実にすばらしいですよ」

 口角をつり上げ、モーリスは薄く笑みを浮かべた。

「水、地、火、風。私が念じるだけで、思うがままに動いてくれる。局地的に雨を降らし、敵の陣営を土砂で埋め立てることなどたやすいものです」

「周辺の国に、なにか感づかれてはいないだろうな」

「ええ。陛下のおっしゃる通り、力は天災で起こりうる程度に留めておきましたから。シンドラ国側は、不運な天変地異、としか捉えていないでしょう」

(まあ、本当はそれ以外にも使ったが)

 モーリスはこっそりと思った。

 石でどの程度のことができるのか試したくなり、敵の司令塔を二、三人焼き殺したのだ。しかしまあ、目撃した者たちも皆、まとめて始末しておいたので問題ないだろう。

「この分であれば、シンドラ北部とテフナ半島の征服にもそう時間はかからないでしょう。――しかし、この力を五年も結界の中に閉じ込めておくのは、少々惜しかったのでは。もっと早く使っていれば、今ごろ我が国はナイルにも劣らぬ大国へと姿を変えていたでしょうに」

「いや、そうとは限らん」

 何気なく言ったモーリスの言葉を、カンファス王はさらりと否定した。

「石の力は強大だ。それだけに、使う時期とタイミングには十分に慎重になる必要がある。軽はずみに何度も石を使えば、周辺の国々に石の存在を知られ、かえって敵を増やすことになるからな。そなたもそう思うだろう?」

 カンファスは背後の大神官に尋ねた。

 玉座の後方にひかえるスコーピオンは、うやうやしく頭を下げた。

「まさしく。すべて、陛下のおっしゃる通りでございます」

 こめかみからこぼれた長い黒髪が、細いへびのようにスコーピオンの前にたれた。モーリスはじろり、といまいましそうにその髪をにらむ。

 軽く咳払いをしてから、モーリスは先を続けた。

「まあ、兄上がそうおっしゃるのならそれが正しいのでしょう。しかし、いくらナイルが石の情報にうといとはいえ、もしその使い方を知れば、今の我々ではひとたまりもないのでは」

「それについては、こちらで手を打ってある。そなたは気に病まなくてよい」

 意外にも、カンファスはそう言った。

 すでに行動を起こしているとは、慎重な性格の兄にしては珍しい。一瞬不思議そうな顔をしたモーリスであったが、やがて何かを察すると、それは憎々しげな表情へと変わっていった。

「――また、あの小僧ですか」

 モーリスは低くうなるように言った。

「いい加減、いつまで生かしておくつもりですか。あの小僧がいなくとも、もう我々は十分やっていけるでしょう。そばに置いておいたところで、かえって危険なだけです」

「お前は本当にあの少年が嫌いだな」

 分かりやすく反応する弟に、カンファスはくつくつと笑った。

「あの少年は少年で、まだ利用価値はある。殺してしまうにはちと惜しい。心配せずとも、お前が想定しているようなことは起こらないだろう。私が長いときをかけて考え、実行してきた計画だ。穴が開くことなどありえない」

 モーリスは口をつぐんだ。

 慎重な性格だからこそ、兄が練った計画はいつも綿密で、まるで隙がない。決断までに時間はかかれど、失敗したことがないのもまた事実だった。

「……分かりました。では、そちらのことは兄上にお任せします。私は次の進軍に向けて手はずを整えてこようと思いますので、これで失礼します」

「待ちたまえ」

 一礼してその場を下がろうとしたモーリスを、カンファスは押しとどめた。

 モーリスは怪訝な表情で足を止めた。

「何でしょう」

「進軍はまだよい。その時になったら私が知らせるゆえ、それまでは平常通り、軍の訓練指導を頼む」

 モーリスは頭を殴られたような顔をした。

「しかし――」

「焦るでない。さっきも言ったであろう。あまり欲をかいては、かえって足元をすくわれかねん。お前が血気盛んなのは分かるが、時には息をひそめ、じっとそのタイミングを待つことも必要だ」

 カンファスは断固として言った。

 モーリスはまだもの言いたげな表情をしていたが、やがて口を閉じると、唇の間から押し出すようにして言った。

「分かりました」

「よろしい。では、石はいったん私に返しなさい。しばらくは必要ないだろう」

 ぴしり、とモーリスの頰がこわばった。

 急に石像のごとく動かなくなったモーリスをよそに、カンファスはひょいひょいと片手で軽く催促する。

「どうした。さっさとせぬか」

 ぎこちない動きで、モーリスは壇上に上がった。

 モーリスが玉座に歩み寄る。しぶしぶ首から石を外して手に下げると、モーリスはカンファスに向かって差し出した。

 きらりと一瞬、石が陽の光を受けて青く光った。石は、カンファスの手のひらにゆっくりと落とされた。

 モーリスは下がろうとするが、カンファスは手を出した体勢のまま動かない。カンファスは、くい、とあごを動かした。

「そっちのもだ」

 今や、モーリスの顔は血の気を半分失っていた。

 かすかに震える手を動かし、モーリスは自身の首からペンダントも外す。

 赤い水晶のようなそれがカンファスに手渡されようとした、そのときだった。

 広間にノックの音が響き渡った。腕を引き、モーリスはすばやく懐にペンダントをすべり込ませた。

 側仕えから名前を聞いたカンファスは、客を広間に通した。

「入れ」

「失礼いたします」

 入ってきたのは、まだ十五にも満たない少年だった。

 身にまとう服はあちこちに破れが目立ち、深い血が染みついている。くすんだマントの下で見え隠れする、幾重もの包帯が痛々しい。

 一見、貧民層の孤児のようにも見えるが、しっかりとした足取りにまっすぐ伸びた背筋、何より王を見すえる意志の強い瞳が、ただの孤児ではないことを物語っていた。

「アッシリア王国第四王子ウィリウス・アークタルス、ただ今帰還いたしました。帰還が遅れましたこと、おわび申し上げます、陛下」

 床に膝をつき、ウィリウス――ウィルは最敬礼の姿勢をとった。

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