第12話 最悪の可能性

 ――もう少し、ルカが来るのが遅ければ。

 ハーシェルはルカの聡さを恨んだ。

 そうすれば、上手い言い訳を考える時間もあっただろうに。

 その場しのぎの答えでは、ルカは引いてくれそうになかった。だから、ハーシェルは今持っている答えの中でもっとも真摯的で、そして――もっとも残酷な答えをルカに告げた。

「あなたには、言えない」

 軽く目を見開いたルカのこめかみに、ぴしりと青筋が浮き立った。

 急にあたりに静けさが落ちる。鳴く場所を変えたのか、鳥の声はいつのまにか聞こえなくなっていた。

 顔色が変わったのは一瞬のことだった。すっと頰の力が抜けたかと思うと、面を被ったような無表情になる。

「――私では信用ならないと?」

 どこか冷たさすら感じる声で、ルカがゆっくりと言う。

「違う」

 ハーシェルはあわてて言った。

「ただ、これはそんなに簡単な話じゃないの。あなたに何と言われようと、今はまだ、このことを誰にも言うつもりはない。だからこの話はもうおしまいよ」

 ハーシェルはきっぱりと告げた。

 ウィルの出身がアッシリアだと知られたら、その身がますます危うくなることは間違いない。自らウィルの命を削るようなまねは、絶対にしたくなかった。

 ルカは納得していない様子だった。無表情の瞳の中に、疑いの色が濃くなるのが分かる。

「そうですか。まあ、いいでしょう。続きは本人に聞けば分かることです」

「えっ……ちょ、ちょっと待って!」

 踵を返したルカを引き止めようと手を伸ばすが、腕が伸びきる前に肩に激痛が走り、体を縮める。

 無表情な面は途端に崩れた。

「姫! まだ動いては――」

 ルカは急いでそばにかけ寄り、ハーシェルの体を支えながら寝台に横たえる。情報源を逃すまいと、ハーシェルはむんずとその腕をつかんだ。

「本人ってどういうこと? あの人は捕まったの?」

「ええ。姫が打たれてすぐ、城内を逃走しているところを憲兵が捕らえました。多少の手は焼かされたようですが。……言いませんでした?」

「言ってないわよ!」

 ハーシェルは叫んだ。

 心のどこかで、きっと無事に逃げたのだろうと思っていた。

 闇から現れ、闇に去っていくウィルはどこか現実離れしていて、なめらかな身のこなしはどんな障害もすり抜けてしまうように見えたのだ。しかし、現実はそう甘くはない。

 ――殺されてしまう。

 身体中の血の気が引いていくのを感じた。指先が嫌に冷たい。

 ウィルが、殺されて――

 ルカが何か言ってくるが、その言葉はハーシェルの中で意味をなさない。我に返ったのは、部屋の扉が閉まる音が聞こえた時だった。

「ラルサ」

「父上」

 視界に入ってきた人物を見て、二人の声が重なった。

 たっぷりとしたもじゃもじゃの髭と髪をたくわえたラルサは、さながら熊のような大男である。もしその褐色の瞳と目が合えば、子どもなど一目散にしっぽを巻いて逃げ出すこと間違いない。赤ん坊の時にラルサに抱かれたハーシェルも、その瞬間には地が裂けんばかりの泣き声を上げたという。

 しかしその内面は陽気で子ども好き、そして誰より人情に厚い。城に入る前のハーシェルの姿を知っている、数少ない人物でもあった。

 ラルサはハーシェルを見てホッとした表情を浮かべた。

 体調を案じる言葉をいくつか述べたあと、しぶい顔で王への不満を口にする。

「それにしても、娘の容態が心配なら自分で見舞いにくればよいものを……。昔から愛情表現が分かりにくいのが玉にきずといいますか、あのお方は」

 仕事で手が離せないからと、近くにいたラルサを見舞いに行かせたという。

 もっとも、ハーシェルもわざわざ王がここまで足を運んでくるとは思っていなかった。心から信頼している臣下が確認すれば、それで十分だと思ったのだろう。

 父からの愛情を感じないわけではない。しかし厳格さが目立ち過ぎているせいか、それが非常に見えにくいところにあるのは確かだ。

「侵入者が、捕まったって聞いたわ」

 ハーシェルがかたい声で言った。

「ええ。まだ年端もいかない少年だとか。その歳で城の深部まで入り込むとは、内部に協力者がいたか、そうでなくとも余程の訓練を受けてきたと考えられるでしょうね」

「それでその人は……どうなるの?」

「首謀者と目的を吐き出すまで拷問、最終的には絞首刑か斬首刑といったところでしょう。まあ、拷問中に命を落とさなければの話ですが」

 あくまでも事務的にラルサは答える。

「拷問――……」

 大きく見開かれた茶色の瞳が、震えるようにゆれた。

 どくん、と心臓が一つ大きな音を立てる。思わず息を止めた喉の奥に急に吐き気を感じ、ハーシェルは激しくせき込んだ。

「ハーシェル様! 大丈夫ですか? 誰か医者を――」

 背中をさすりながら顔を扉に向けるラルサを、ハーシェルは、いいから、と荒い息で制した。

「もう、大丈夫だから」

「しかし顔が真っ青ですよ」

「平気だから」

 特に嘔吐物が出たわけでもない。せきと一緒に出てきた涙をぬぐうと、ハーシェルは深呼吸を一つして息を整えた。

 先ほどの口調からすると、ラルサはウィルに会っていないようだ。

 ラルサはこの城の中で、ハーシェル以外でウィルのことを知っている唯一の人間だ。ラルサがハーシェルたちを城から迎えに来た頃には、よく三人で一緒に遊んだものだ。

 しかし、二年前にハーシェルがウィルと再会した時ですら、相手が誰か分からなかったのだ。さらに雰囲気が変わってしまった今、ラルサがウィルと会ったところで、それがウィルだと気づくとは思えない。

「あんなことがあった後ですから、精神的なショックも大きいのでしょう。今日はどうか心を落ち着けて、ゆっくりお休みください」

 まだ背中をさすりながら、ラルサが安心させるように穏やかな声で言う。背中がじんわりと温かい。

 一瞬、ラルサにすべてを話してしまおうかと思った。

 今、牢の中にいるのはウィルなの。本気でそんなことをするはずがない。だから、なんとかして助けてほしい――

 今にもそう叫び出しそうだったが、ハーシェルはすんでのところで言葉を飲み込んだ。

 ――いや。

 確かにラルサは優しいが、王家への忠誠心はそれ以上だ。相手が誰であろうと、臣下として正しい行動をつらぬこうとする可能性の方が高い。

 二つの国の争いの元になった石。

 石を狙うアッシリア出身のウィル。

 ……何か、とんでもないことが起きようとしているのではないか。

 漠然とした不安を胸に抱え、ハーシェルは鳥肌の立った腕を握りしめたのだった。

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