第二章 知らない人

第7話 待ちびと

 次の日、王宮内ではちょっとした騒ぎになっていた。

 深夜の警備に当たっていた兵のほとんどが、同じ時間帯にそろって意識を失っていたのである。

 交代に来た兵がそのことに気づき、夜の城内は一時騒然となった。しかし不思議なことに、兵が倒れていたことを除いては異常は何一つ見つからなかったという。

 その中でも極めて不可解なのが、姫の自室だ。

 倒れていた兵の配置と時間差を統合して考えると、何者かが姫をねらって侵入したことは明らかである。しかし姫は不審なことは何もなかったと言うし、実際、誰かが姫の部屋に侵入した形跡は一切なかったのだ。

「お前、昨夜は本当に何もなかったのか。侵入者がそなたの部屋に最も接近したことは確かなのだぞ」

 朝食の席である。

 この国の王であり、ハーシェルの父でもあるアスリエルは眉間に疑念を寄せ集めたような顔をしていた。

 白い食卓を取り囲んでいるのは、将軍ラルサなどの高官を含めた計七名である。ここで雑談を交えつつ政情について話し合い、そのままその日の朝議に話を持っていくことも多い。そして今朝の話題は、もっぱら昨夜の事件についてだった。

「だから、知らないって言ってるでしょう。特に物音はしなかったし、部屋からなくなっているものもなかった。何度も言わせないでちょうだい」

 ハーシェルはろくに進んでもいない朝食をつっつきながら答えた。淡々とした物言いの中には、苛立ちがちらついて見える。

 一方で、アスリエルの眉間のしわは一向にゆるむ気配がなかった。

「では何か。そなたは自分の身が危ういかもしれぬという時に、のん気に布団の中でぐっすり眠りこけていたというわけか? ――まったく、お前はこれまでラルサからいったい何を学んできた。危険の一つも察知できずにどうする」

 カンッ、と指先のフォークが肉をすべって皿を打った。

 ハーシェルはゆらり、と今にも舌打ちをしそうな表情で顔を上げた。

 何も、そこまで言われる筋合いはないのではないか。

「……私のせいにするより前に、城の警備を見直すべきじゃなくて?」

 ややとげのある口調で返すと、アスリエルは意外にも神妙な面持ちになった。

「それはもちろん、そのつもりだ。警備については、今日にでも新たな体制を組み直す」

 ハーシェルの向かい側で食事をしていたラルサが首を傾げた。

「しかし不思議ですね。ここまで王宮の中心部まで入り込んでいながら、誰かに姿を見られて逃げたならいざ知らず、こちらに何の損害も与えないまま姿を消すとは。犯人はいったい何がしたかったのでしょう」

「不思議なことなら他にもあるぞ」

 フォークを口に運びつつ、アスリエルは横目でラルサを見た。そして口の中のものを飲み込むと言った。

「アッシリアがシンドラ王国南部の征圧に成功したらしい。正直、無謀にも程があると思っていたが」

「それはまことですか?」

 ラルサの隣で、大臣が驚いたように目を丸くした。

 アスリエルはうなずいた。

「ああ。どうやら、天候がアッシリアに味方したようだ。シンドラ軍が拠点としていた山が局地的な豪雨にあい、兵力の半分が足止めをくらったとか。あちこちで土砂崩れが起こったせいか、兵の四分の一は未だに行方が分かっていないそうだぞ」

「しかし、あの辺りで豪雨など。そもそも、雨もろくに降らないでしょうに」

 大臣は困惑を隠しきれない顔をした。

 別の男が言った。

「だが、あのアッシリアが他国を攻めるとは珍しい。優秀な人材でも見つけたか」

「そうだとしても、あの小さな国で他国に戦を仕掛けるのは浅はかというものだろう。今回は運が良かったが、平常なら返り討ちにあっているところだぞ。――ああしかし、あそこの第三王子はなかなか優秀だと聞くな」

「ああ、ユナン王子ですか。確かに、うわさでは兵法にすぐれ、剣の腕もなかなかだとか。しかし末っ子ゆえ、王位を継ぐのは難しいでしょうなあ」

 食卓を囲んだ男たちが同意する中、高官の一人が「ちょっと待て」と口を挟んだ。

「あそこには、もう一人下に息子がいなかったか?」

 男がいぶかしそうに片方の眉を上げた。

「そうだったか?」

「ほら、確か王が拾ったとかいう――」

 カチャリ、と食器が小さな音を立てた。

 男が隣を見ると、ハーシェルの前にはフォークとナイフが皿にそろえて置かれていた。

 ハーシェルは口元を拭いていたナプキンをテーブルに置いた。

「ごちそうさま」

「もういいのか?」

 アスリエルは驚いたような顔をして言った。皿の上の料理はほとんど減っていない。

 ハーシェルは肩をすくめた。

「今日はあまりお腹が空いてないの」

 すい、と席を立ち、ハーシェルは皆に背を向けて部屋を後にする。後方に控えていたルカも、扉前で一礼するとその後に続いた。


 

「姫」

 朝食の席を外してしばらく。

 考え事をしながら廊下を歩いていたハーシェルは、しびれを切らしたようなルカの声で、ようやくそこにルカがいることを思い出した。

「ああ、なに?」

 それでもやはり頭半分では別のことを考えながら、ハーシェルは歩みを止めずに答える。

 ルカはこちらの反応をうかがうように尋ねた。

「あの……やはり、どこかお加減が悪いのでは」

 ハーシェルは足を止めた。同時に、ルカの足音も後ろで音をなくす。

 ハーシェルはくるりと振り返った。

 ルカの立ち位置は、主従としてこれ以上ないほど絶妙な距離感を保っている。すなわち礼節をわきまえ、かつ主の身に危険が迫ったときにはすぐにでもその身を守ることができる位置だ。

 そのルカが、なんとも微妙な表情をしていた。

 唇は苦いものを我慢するようにわずかにゆがみ、眉間はきゅっと中央に寄っている。あやまって苦手な食べ物を口にしたが、それを悟られまいとしているときの表情に似ている。

「なぜそう思うの?」

 ハーシェルは腕を組んでルカと向かい合う。

 この手のルカからの質問は、今日二度目だ。稽古のときは適当にあしらったが、そろそろちゃんと話を聞いておいたほうがいいだろう。

 今度ははっきりと眉間にしわを寄せ、ルカは思い当たる点を口にした。

「朝食を残されましたし、」

「昨日、夕食を食べ過ぎたのかしらね」

「稽古は集中力に欠けますし、」

「きっとまだ目が覚めていなかったのよ」

「私の呼びかけにも上の空で、」

「あなたの声が小さいんじゃないの」

「顔色もどこか優れませんし」

「気のせいね」

「……」

 ルカは緑の瞳を半眼にしてハーシェルを見つめた。まったく信用されていないようだ。

 ルカはあきらめたようにため息をついた。

「まあ、ではそういうことにしておきましょう。しかし、今日の稽古はお休みにされた方がよろしいのでは?」

「何言ってるの。一日の怠けがあとあと自分の命を落とすことになりかねないのよ。稽古はいつも通り――」

 言いかけて、ハーシェルは口を閉ざした。

 しばし熟考する。それから、思い直したようにきっぱりと言った。

「いいえ、やっぱり今日の稽古は休みにしましょう」

「本当に、どうかされたのですか⁉︎」

 ルカが声高に叫んだ。提案したのはそっちだろうに。失礼なやつだ。

 正直言って、体調はあまりよくなかった。ルカの勘は当たっている。

 ――昨日、ハーシェルは一睡もできなかった。

 今稽古を行ったところで集中できないことは目に見えているし、今はとにかく時間がほしかった。頭の中を整理する時間、それと睡眠時間だ。

 それに稽古を中止しても、軽い運動くらいなら部屋で一人でもできる。

「別に。ちょっと疲れてるだけよ」

 ハーシェルは無表情にルカを一べつすると、気遣わしげな視線を避けるように背を向けて歩き出した。

 すぐについてこないところを見ると、ルカはもう一歩食い下がるべきか悩んでいる様子だったが、これ以上の追求はやめたようだ。ひと呼吸分の間ののちには、後ろからルカの足音がした。

「分かりました。では、今日は部屋でゆっくりと休まれてください」

「はいはい」

 ハーシェルは適当に答えた。

「私が見ていないからって、部屋で一人で剣を振り回したり、窓から脱走したりされませんよう」

「……」

「聞いてます?」

 図星の忠告は、都合よく聞こえなかったことにした。


  *  *  *


 ハーシェルにしては比較的部屋で大人しく過ごした、その翌日。

 夕食後の稽古のあと、ハーシェルは一人城の外を散策していた。

 日が沈み、青みがかった夜空には小さな星が瞬いている。ハーシェルはひと気のない城の一角を選ぶと、近くの花壇に腰かけた。

 そばにある東塔は、かつては神殿の一部だったという。もう何十年も前に使われなくなったもので、今ではただの物置と化している。

 ――十五分ほど経ったろうか。ハーシェルは立ち上がると、誰にも見られないように浴場へと向かった。


 次の日も同じだった。

 ハーシェルは一人、塔のそばの花壇に腰かけていた。あたりはいたって静かで、虫の音だけがかすかに聞こえてくる。何をするわけでもなく、ただそこに座っているだけで時は流れていく……

 やがて十五分経つと、ハーシェルは城の中へ戻った。


 そうして幾晩が経った夜。その日も、ハーシェルはいつものように花壇の縁に腰かけていた。

 風のない夜だ。城の明かりは遠く、足元にぼんやりと見える草花はその葉一枚ゆらしていない。

 ハーシェルはあたりに耳をすませた。

(……今夜も、来ないか)

 そろそろ中に戻った方がいい頃だ。

 小さく一息つき、ハーシェルがあきらめて腰を浮かしかけた時だった。

「おい、何のつもりだ」

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