第32話 脱出作戦(2)

 城には、大きく分けて三つの門がある。

 城の真正面に位置する正門、侍女など城に仕える者が主に出入りする、東と西の通用門だ。

 正門は最も人の目がつきやすいので、通り抜けるのは困難だろう。ハーシェルは比較的距離が近い、西門の方から出ることにしていた。

 西門のすぐ外側には一人の護衛兵が立っていた。

 居眠りでもしてくれていればいい、と思ったが、ナイル兵は基本的にまじめだ。持ち主の背丈を超えるほどの長い槍を持った体は微動だにしておらず、その目にはまどろみのかけらもない。

(やるしかないか……)

 ハーシェルは身をひそめていた木の陰から離れると、手近にあった小石を一つ拾った。

 そして、城壁づたいに門からずっと横へと移動すると、壁の外に向けて思いっきり石を放り投げた。

 ――カンッ

 音を立てて、石が壁の向こう側へ落ちる。

 急いで門の前に戻ると、ちょうど護衛兵が音の鳴った方向へ歩き出すところだった。

 護衛兵が背中を向けたことで、門の前はがら空きだ。今のうちに門を抜ければ――

 ゴールを目前にし、ハーシェルははやる気持ちで木陰から身を乗り出した。

「おい、何をしている」

 ハーシェルはびっくりし、反射的に元の位置に戻った。

 護衛兵が男を振り返った。

「サラバン隊長! いえ、あちらで物音がしたので少し気になって……」

「それにしても、門から完全に注意をそらすのは感心せんな。もう一人はどうした」

 サラバンは不満気に言った。

「ちょうど用足しに行ってまして。すぐに戻ってきますよ」

 護衛兵の言った通り、間もなく若い男がやって来た。同じ服装からして、もう一人の護衛兵だろう。

 それからサラバンは一言二言、言葉を交わすと、馬を引いて門をくぐり抜けた。

 ハーシェルは自分も木になったつもりで、ぴったりと背中の幹に体をくっつけた。サラバンは足を止めることなく、ハーシェルが隠れている一本前の木のそばを通っていく。

 完全に足音が聞こえなくなると、ハーシェルは身体の力を抜いた。

 危なかった。あと少し門を出るのが早かったら、確実に鉢合わせしていただろう。

 とは言え、この門はもうだめだ。護衛が二人になってしまったし、同じ手は二度は使えない。ハーシェルはあきらめて、そっと門のそばから離れた。

 本当なら次に向かうべきは東の通用門だが、ここからではあまりに遠い。ハーシェルは正門に向かってみることにした。

 正門は、先ほどの通用門とは比べものにならないほどに大きかった。高さは通用門の三倍、幅は四倍はあるだろうか。どっしりとした構えの門は、特に表から見ると威圧感のある外観となっている。

 そして、この門は二重構造になっていた。内側の門をくぐると、その先にもう一つ門がある。護衛兵は、二つ目の門の外側にいた。

 門の周囲は閑散としていて、近くには護衛の一人と談笑している、馬で荷を引いた商人の他は誰もいない。このまま通り抜けようとすれば、まず間違いなくもう片方の護衛に声をかけられるだろう。

 ハーシェルは門の向こう側をにらみつけた。

 ――もういっそ、ばれる覚悟で走り抜けてやろうか。街に入りさえすれば、あとは人ごみに紛れて何とかなるんじゃ……

 そんな無謀なことまで考え始めた時、ハーシェルの目にあるものが留まった。

 荷馬車だ。

 馬の方向からして、おそらく城から出るところだろう。あの中に潜り込めば、誰の目にも触れることなく容易に街に向かうことができる。

(――よし)

 ハーシェルは心を決めると、一つ目の門をくぐり抜けた。

 二つの門の間は暗闇で、壁や天井から光が射し込む隙間はない。短い通路が終わりに差しかかると、ハーシェルは二つ目の門の裏側に身をひそめた。

 ハーシェルの前方にいる護衛兵は商人と話を続けており、商人のすぐ隣には荷馬車が停まってある。反対の右側にいる護衛兵はまっすぐ前を向いており、振り向かない限りはこちらに気づくことはないだろう。

(静かに、すばやく、落ち着いて)

 ハーシェルは自分に言い聞かせた。

 陰から日の当たる場所へ足を踏み出すと、ハーシェルはすばやく馬車の後ろ側に回り込んだ。そして、そのまま幕をめくって中へとすべり込んだ。

 ――ダンッ

「いっ……!」

 ハーシェルは思わず声を上げた。

 馬車の段差に片足をぶつけたのだ。あわてて足を中に引っ込め、逃げるように奥の荷物の隙間に体をうずめる。

「ん?」

 ふつり、と二人が会話をやめた。

 異様な沈黙があたりに流れる。

 荷物の間で、ハーシェルはドキドキしながら痛む足を小さくさすった。

 まずい。今のは絶対に聞かれた。もしここを探されたりでもしたら――

「今、何か音がしやせんでしたか?」

 一人が言った。

「ああ、俺も聞こえた。中に猫でも入り込んだか……?」

 もう一人が答えた。

 馬車の横から後方へと、二人の気配が移動する。

 ――ひらり、と荷台の幕がめくられた。

 外の光が荷台の中に射し込む。二人の目に留まらないよう、ハーシェルはよりいっそう身を縮めた。

「ああ……」

 幕を片手に引いた男は、謎が解けたような声を上げた。

「やっぱり落ちたか。ほら、この樽だよ。バランスわりぃなーとは思ってたんだが、直すひまがなくてな。走ってる途中じゃなくてよかったよ」

 ごとん、と男が樽を立て直す。脇からロープを取り出し、倒れないよう周囲の荷物とくくりつけてしっかりと固定した。

「そんじゃ兄ちゃん、俺はそろそろ行くわ。おもしろい話、聞かせてくれてありがとな」

「いやぁ、こちらこそ。また旅の話聞かせてくだせえや、おっさん」

「おう。腐るほど用意してきてやらあ」

 ガタン、と荷台が大きく揺れた。男が荷台の前に座ったのだ。

「じゃあな兄ちゃん! 仕事頑張れよ」

 おー、と護衛兵が答えた。

 ガタン、ともう一度、今度はさっきよりもひかえめに荷台が揺れる。そして馬車は小刻みな揺れを伴いながら、ゆっくりと前へ進み出した。

 平らな平地はすぐに下り坂となり、馬車は蛇のようなカーブを描きながらのんびりと砂地の道を下って行く。

 少しして、ハーシェルはひょっこりと荷物の上に顔をのぞかせた。

 やった! 成功だ。これでついに街へ行ける。この先に、自分のことを知っている人は誰もいない。ハーシェルは完全に自由の身となったのだ。

 ハーシェルはよつんばいになって荷台の後方へにじり寄った。

 布を少しずらして外を見ると、坂の向こうに城が見えた。下から見上げる城はとても大きく、中にいるときよりも圧倒的な存在感を感じさせる。

 だんだんと遠ざかっていく城を、ハーシェルは不思議な気持ちで見つめた。

 なんだか家出したような気分だ。

 そのうち、誰かがハーシェルの不在に気づくだろう。そうすれば、城は大さわぎだ。帰ったら一週間の外出禁止じゃ済まないだろうな……。

 ちらりとそんなことを考えたが、今はあまり気にならなかった。目の前の楽しみの方がずっと大きかったからだ。

 中に戻ってしばらくすると、あるところから地面を進む音が変わった。下が石畳になったのだ。揺れはよりいっそう激しくなり、ハーシェルは思わず近くの物につかまった。

 徐々に周囲の喧騒は大きくなり、気づけば人の声、たくさんの足音に楽器の音色など、ハーシェルは様々な音に囲まれていた。やがて馬車はトン、と軽い揺れを最後に動きを止めた。

 荷物の間を音を立てないようにしながら進み、すき間から慎重に外の様子をうかがう。誰も見ていないことを確認すると、ハーシェルはするりと荷台の外へ出た。

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