第13話 洞窟で(2)

「『目覚めた』って、なに?」

 ハーシェルは真剣な表情で聞いた。

 いよいよ話の核心に触れ、一瞬ではあるがセミアが身じろぎしたのをハーシェルは見逃さなかった。

 だが、聞かれることを予想していたのだろう、ちらりとラルサを見やり、ラルサがそれに同意するようにうなずくのを見ると、セミアは落ち着いた様子で話し始めた。

「そのことについてだけど……ハーシェル、あなたが今夜見たことは、全部忘れなさい」

 セミアは突然、きっぱりとした口調で言った。

 ハーシェルは驚いた顔をした。

 忘れる……?

「なにも、無理に忘れろ、と言っているわけではないわ。ただ、今夜のことはなかったことにしてほしいの。城からラルサが迎えに来たから、わたしたちは帰る。それだけのことよ」

 納得がいかない様子のハーシェルに、セミアは続けた。

「今はまだ、話せないの。話すには、あなたはまだ幼すぎる。だけど、いつか必ず全てを話すわ。だから、その時が来るまで待っていてほしいの」

 全部の質問にきちんと答えてくれると思っていたハーシェルは、不満気に頬をふくらませた。しかし、静かな目でセミアに見つめられ続けると、やがて「……わかった」としぶしぶ承諾した。

「ありがとう」

 セミアが微笑んだ。

「今夜のことに関してだけは答えられないけど、他のことなら大概答えられるわ。国のこと、お城のこと。きっと気になっているでしょう? 何から聞きたい?」

 ハーシェルはそれからセミアを質問攻めにしたが、セミアはその一つ一つに丁寧に答えてくれた。

 まず、お城では覚えることが山のようにあり、今までの暮らしと比べてずい分と忙しそうだということ。お城の中には、たくさんの花が咲く広い庭園があること。

 ナイルは、アッシリアが優に四つも入ってしまうほど大きく、とても栄えているということ。その大きさゆえに、地方によって気候に差があること。

 セミアからいろいろな話を聞く中で、ハーシェルはまだ見たことのない地を少し好きになり始めていた。

「ナイルって、すごいんだねー」

 ハーシェルが感激したように言った。

 セミアは笑った。

「ええ、そうね。だけど、その国をまとめ上げているあなたのお父さんは、もっとすごいのよ」

「うわ、ほんとだ!」

 ハーシェルは驚いた。

 それから「そう言えば、」と思い出したように一つの疑問に首を傾げた。

「アッシリアとナイルはどうして敵同士なの? 隣なんだから、仲良くすればいいじゃん」

「……アッシリアとナイルはね、もともとは一つの国だったの。それがあることをきっかけに、二つに分かれて戦った。それ以来、二つの国は仲が悪いの。詳しくは、お城の学士が教えてくれるわ。ナイル成立のもとになる話だから、きっと嫌というほど叩き込まれるわよ」

 そう言って、セミアはちょっと笑った。

 答える前に妙な間があったのがハーシェルは少し気になったが、まあ、あとで学士さんが教えてくれるのならいいや、とそれ以上は聞かなかった。

 その時、ラルサがそそくさと荷物を持って立ち上がった。

「さて、そろそろ時間です。ここを出ましょう」

「え、もう⁉︎」

 ハーシェルは驚いて声を上げた。話に夢中で、全然時間が経っているような気がしなかったのだ。

「そうだぞ。ほれ、ここのまきを見てみろ。あんなにあったのに、だいぶ量が減っているだろう? もうほとんど燃やしちまったんだ。それだけの時間は経ったってことさ」

 ラルサは口調を変え、自分の隣に置いてあった枝の束を指差しながら言った。確かに、最初と比べてずいぶん量が減っている。

 ラルサは洞窟の外から生葉のついた木の枝を取って来ると、それで叩いてあらかたの火を消し、残りは足で踏み潰して消火した。ハーシェルとセミアも荷物を持ったりマントをはおり直したりして、動く準備をする。

 火が消えて真っ暗になった洞窟をあとにすると、ハーシェルたちはそれぞれ馬にまたがった。移動中に何かあったときのことを考え、ハーシェルは先ほどと同じように、より安全なラルサの馬に乗った。

(うわぁ、馬の上ってこんなに高いんだ……)

 ラルサに引っ張り上げられて馬にまたがったハーシェルは、その地面の遠さに驚いた。実はほんの一時間前にも馬に乗っていたのだが、ずっと眠っていたハーシェルには知るよしもない。

「ナイルに入るまで油断はできません。全速力で行きますよ」

 後ろにいるセミアを振り向きながら、ラルサが言った。ちょうど馬に乗り上がったセミアが、それに対してうなずく。

 なんとなくぼーっと空を見上げていたハーシェルは、その会話を聞きながら「ナイルの方が熊が少ないのかな」と思った。

 地面から遠くなったせいか、いつもより少しだけ空が近く感じる。今日の空は、やけに赤い星が目立っていた。今までも、あんな風に赤い星が目につくことがあっただろうか。

「それじゃ、しっかりつかまってるんだぞ」

 ラルサが後ろから声をかけた。

 うなずきかけて、ハーシェルは固まった。

 目の前には、なだらかな馬の首が広がっていた。取っ手のようなものも、特に見当たらない。

「……え、どこに?」

「いざ、出発!」

 ラルサの声が上がると同時に、馬が動いた。

 衝撃に備えて、あわててハーシェルは、とりあえずそこらの鞍の端につかまった。しかし、馬は思ったよりゆったりとした動きで歩を進め始めた。

(……あ、ちょっと楽しいかも)

 静かに揺られる感覚にそう思ったのもつかの間、ラルサが言った通り、馬はすぐに全速力で駆け始めた。

「うわぁ!」

 あまりの勢いにハーシェルは吹っ飛ばされるかと思ったが、その前にラルサが右腕をハーシェルの腰に回してしっかりと体を支えてくれた。

「落っこちるんじゃねえぞ、嬢ちゃん」

 背後で、ラルサがいつもの表情でニカッと笑うのが気配で分かる。

 ハーシェルもちょっぴり笑った。あまりのスピードとゆれに怖さもあるが、スリル的なおもしろさを感じていることも確かだった。

 しかし、そんな風に楽しんでいられるのも最初のうちだけだった。この後、ハーシェルは乗馬のつらさをさんざん思い知ることとなる。

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