第12話 洞窟で(1)
* * *
近くで何かがパチパチと弾けるような音がする。
それに、なんだかとてもあったかい。
ハーシェルが目を開けると、すぐ側では薪をくべられた火が赤々と燃えていた。火の中で、薪が音を立てて崩れ落ちる。
毛布に包まって寝転がっていたハーシェルは、のそりと起き上がるとあたりを見回した。
天井から床まで、すべてが石でできている。見上げたドーム状の天井はごつごつとした岩がむき出しになっており、外へと続く道の先は真っ暗で何も見えない。ただ、この火を中心とした空間だけが明るかった。
きっと、どこかの岩の中だ。自然にできたものと、人の手で作ったものがあるって、前にお母さんが言っていた気がする。こういう場所のことを、なんて言うんだっけ……
ハーシェルがどこかぼーっとした頭で考えていると、
「あら、ハーシェルもう起きたの?」
隣でラルサと会話をしていたセミアが、目を覚ましたハーシェルに気づいて言った。
「お母さん、ここどこ?」
ハーシェルが寝ぼけまなこをこすりながら尋ねた。
「洞窟よ。ラルサが教えてくれたの。ここなら見つかりにくいし、安全だわ。だから、まだ寝ていて大丈夫よ」
セミアが優しく言う。
ハーシェルは頭の中で、ぽんっと手を打った。そうだ、洞窟だ。
それから、ぼんやりとしていたハーシェルの思考が徐々に回転し始めた。
(あれ? って、なんで洞窟にいるんだろう。――そうだ、なんか突然石が光って、お母さんがここを出なきゃいけないんだとか言って、ハーシェルはお姫様で、……で、なんで洞窟にいるの?)
結局、最初の問いに戻ってしまった。
小屋でラルサとセミアが話していたところまでは覚えているのだが、そこからどういう経緯で洞窟で寝るに至ったのかがまったく分からない。そもそも、自分はいったいどの時点で眠ってしまったのだろう? 色々な衝撃で、眠気など吹っ飛んでいたと思うのだが。
「……ところで、なにに見つかりにくいの?」
ハーシェルが怪訝な表情で聞いた。
セミアは、整った眉を難しそうに寄せた。答えを言うべきか、迷っているようだ。
「それは――」
「そりゃもちろん、熊にさ!」
ラルサが元気に割り込んできて言った。
「ここいらの森では、よく熊が出るんだ。熊は怖いぞー。やつら、人を見ると襲ってくるんだ。そして鋭い爪で、人間なんざあっという間に引き裂いちまう。『ガオォォオオ!』」
「うわぁっ!」
顔の横で爪を立てて吠えるような声を出したラルサに、ハーシェルはびっくりしてのけぞった。
「……ってなふうにな」
熊の再現をやめると、ラルサはにかっと笑った。
いつものラルサに戻っても、ハーシェルはしばらく心臓がドキドキして治まらなかった。似ているどころではない。大きな図体と毛むくじゃらの顔で吠える姿は、もはや熊そのものだった。
「茶化さないでよ」
セミアは不満そうに横目でラルサをにらんだ。
確かに一瞬迷ったが、セミアは自分たちが何に追われているのか、すべてではなくともハーシェルに話そうと思ったのだ。それを邪魔するということは、ラルサはそうすることを好ましくないと考えているのだろう。
ラルサは「がははは!」と陽気に笑っていたが、さりげなく小声になるとセミアに言った。
「我々を追う者について話せば、結局は石についてのすべてを話さなければならなくなります。すべてを話すには、この子はまだあまりに幼い。それに、今の状況で十分に手いっぱいであろうに、これ以上この子の心に負担を増やすのは少々酷ではありませんか?」
ラルサの言葉に、セミアはにらむのをやめてため息をついた。
セミアは話をそらした。
「ハーシェル、さっきラルサと話していたのだけれど、あと三十分ほどしたらここを出ようと思うの。夜中に移動した方が安全だから。……そう、熊に襲われないためにはね」
セミアはラルサの冗談を思い出してつけ足した。
当然、本当はアッシリアの兵士に見つからないようにするためだ。アッシリア兵から完全に逃げおおすには、今晩中にアッシリアを出て、ナイルに入る必要があるというのが二人の見解だった。
「『質問は移動中に聞く』ってわたし、家を出る前に言ったわよね。今だったら、その時間が十分にあるわ。だけど、ここを出発したら最後、ナイルまで馬で走りっぱなしになるの。結構、遠いわよ。本当は今のうちに寝ておいた方がいいと思うのだけれど……お母さんに聞きたいこと、いっぱいあるでしょう? だから、あなたが自分で選びなさい。後のためにも先に寝ておいて、質問は後回しにするか、それとも今疑問を全部お母さんにぶつけて、すっきりさせるか」
ハーシェルはなんだか自分の問いをごまかされたような気がしたが、母が出した二つの選択肢については即答した。
「質問する。聞きたいこと、いっぱいあるもん。それに、ぜんぜん眠くないし」
おじさんのせいでね、とハーシェルは心の中でつけ足した。
起きた直後はまだ眠たかったのだが、ラルサが熊に変貌した瞬間、冷水を浴びせられたようにハーシェルは覚醒した。あんな衝撃的なものを見たあとに寝ろという方が無理だ。
セミアはうなずいた。
「わかったわ。それじゃあ、まず何から聞きたい?」
気になることはたくさんあったが、最初の質問は考える間もなくハーシェルの口からすべり出ていた。
「本当に、もう家に帰ることはできないの?」
ほんのついさっきまで自分の家で、いつもの布団で、いつものように寝ていたのだ。それなのに、もう二度とあそこに戻ることがないだなんて信じられない。
セミアは、真っ直ぐな眼差しでハーシェルを見つめて言った。
「そうね、あの小屋にはね。けれど、これからはお城があなたの家になるの。あそこは、仮の住まいでしかなかった。本来、あなたがいるべき場所は王宮なの。すぐには無理でしょうけど、いつかきっと、そう思える日が来るわ」
……本当にそうだろうか?
自分がものごころついた時からいた場所。毎日のようにウィルと一緒に遊んでいた、花と緑がきれいな場所。それが、ハーシェルの居場所だ。
お城はきっととても広くて、すばらしいところなのだろう。しかし、そこにハーシェルが住み慣れた小屋はないし、アイリスの花が咲く野原もない。――ウィルも、いない。
そんな見知らぬ場所がハーシェルの本当の家だなんて、到底受け入れられるはずもなかった。
セミアが優しくハーシェルを見た。
「他には、何が聞きたい?」
ハーシェルの頭の中には、湧き水のように次々と疑問があふれた。
お城での暮らしって、どんなもの? どんな人たちがいるの? ナイルって、どんなところ? どうしても、ウィルには会えないの?
聞きたいことは山ほどあったが、ハーシェルはその中でも最も不可思議で、回答に想像がつかないものを選ぶことにした。
ハーシェルは、母の胸元にあるものに目をやった。
ハーシェルがいつも眺めていたその石は、いつもとは少し違う様子でそこにある。霧がかって謎めいていた瑠璃色の石に、もはや霧はない。瑠璃色の内側からは、わずかではあるが、だが確実に薄い光が発せられていた。
「お母さんがつけてるその石、いったいなんなの? どうして光ったの?」
それに、石が光った直後に母がつぶやいた言葉……
「『目覚めた』って、なに?」
ハーシェルは真剣な表情で聞いた。
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