第28話 銀の翼
ばたばたと慌ただしい足音を立てて、部屋に人が入ってきた。
アスリエルを先頭とした人々は、部屋の中を見てがく然とした。
「何だ、これは――」
それは、まるで大きな手で部屋の中身をかき混ぜたような光景だった。
物がひどく散乱し、そのほとんどが壁ぎわに向かって倒れている。タンスのような重い物でさえ横倒しになり、床には陶器やガラスの破片が散らばっている。開いた窓には、破れた寝台のカーテンの一部が引っかかっていた。部屋の中で台風でも起こったかのようだった。
アスリエルはセミアの側にかがみ込むと、その首筋に手を当てた。そして、鋭く目を細めた。
「――まだ脈はある」
立ち上がると、アスリエルは後ろの部下を振り向いた。
「急ぎ王妃の手当てをせよ! また、城の出口はすべて封鎖だ。それに王都もだ。必ずや暗殺者を見つけ出し、私の前に引きずり出せ。それとこの部屋には誰も入れるな。よいな」
アスリエルは厳しい声で言った。
一つ返事をすると、王命を受けた武官たちはすみやかに部屋の前から立ち去った。残った者の一人はセミアのもとへとかけ寄り、すぐに応急処置を開始する。
その側で、ハーシェルは放心したようにぼんやりとセミアを見つめていた。
アスリエルは隣に膝をつくと、静かにハーシェルの瞳をのぞき込んだ。
「石を、使ったのか」
しかしその瞳は、魂をどこかに置き忘れたかのように何も映してはいなかった。
涙が、音を立てずに頰を伝った。
その翌日、王妃セミアは静かにベッドの上で息を引き取った。
亡くなった時のセミアの表情は、眠っているようにおだやかだったという。国一番の美しさとうたわれたその美貌は、最後の瞬間まで損なわれることはなかった。
享年三十四歳、若くして命を落としたセミアの亡骸は、国中の人々の手によって見送られた。そしてあふれんばかりの花とともに、野花が咲き渡る美しい岬へと葬られた。
その後数日、優しい王妃の死をいたむように、涙のような雨がナイルを包み込んだ。
* * *
葬儀が終わった次の日のこと。
ハーシェルを含む数名の者が、王の執務室に集められていた。
机を囲むようにして立っているのは、ハーシェル、ラルサ、宰相のシーモア、スコット、それにハーシェルの知らない男二人の計六人である。
本棚を背に机の前に立ったアスリエルは、全員の顔ぶれが集まったことを確認すると言った。
「まずは、これを見てほしい」
カラン、と音を立てて机の上に放り出されたのは、抜き身の長剣だった。かなり使い込んでいるように見える。
何気なくそのつばの部分を見やり、ハーシェルは大きく息を呑んだ。
他の五人も、雷に打たれたようにそこに描かれた紋様を凝視した。
緑色の背景に、両の翼を真上に大きく広げたような形をした銀のシンボル。それが示すものは――
「アッシリアだ」
アスリエルが言った。
一同は、根が生えた木のように立ち尽くした。部屋の空気が重い緊張にはりつめる。
ハーシェルは前にも一度、じかにこの紋章を見たことがあった。
それはまだ、ハーシェルが何も知らずにアッシリアの山奥に住んでいた時のこと。母と出かけた市場の先で、落としたりんごを拾おうとしたハーシェルは王の一行を足止めしてしまったのだ。その時、兵が掲げた旗に描かれていた紋章が、今まさに目の前にある紋章そのものだった。
「王妃の部屋の壁に刺さっていたものだ。おそらく、風で吹き飛ばされたのだろう。刺客は取り逃がしたが、状況を把握するにはこれだけで十分だ」
この紋章が意味すること。
それはつまり――
アスリエルは、黒曜石の瞳の奥を刺すように光らせた。
「セミアは、アッシリア王家によって暗殺された」
冷水を浴びたように、ハーシェルの背中に冷たいものが降りた。
かつて、ハーシェルが偶然市場で居合わせた王。褐色の瞳をぎらつかせていた、あの男が母を殺したというのか。
しかし敵国とは言え、アッシリアはハーシェルにとって故郷のようなものでもあった。ハーシェルがこれまで過ごしてきた時間の半分は、アッシリアにいた頃のものだ。
ハーシェルは複雑な思いにとらわれた。
「刺客は、戦で負傷した兵に紛れ侵入したのだろう。ナイル兵の服を盗み、負傷を装えば、城に入ることはさほど難しくはない。特にあの騒ぎではな。今回の騒動も、おそらくアッシリアがイエスタ公国をけしかけて起こったものだ。すべては最初から、このために仕組まれていたというわけだ」
不覚にも刺客の侵入を許してしまった事実に、アスリエルの声音には隠しきれない悔しさがにじみ出ていた。
しかし、ハーシェルには一つ分からないことがあった。
「なんで……」
ハーシェルは小さく唇を震わせた。
「なんで、母様なの」
なぜ、王妃は殺されたのか。
刺客の行動からして、最初から王妃の暗殺を目的に侵入したことは明らかだ。
しかし、それがナイルの混乱を狙ったものだとして、敵の本拠地に足を踏み入れるという危険を犯してまですることだろうか?
それとも、そうまでして殺さなければならない何かが、セミアにはあったというのか。
その行動力に、ハーシェルはつかみどころのない不穏さを感じた。
アスリエルたちは、ちらりと意味深な視線を交わし合った。
「どうやら、話す時が来たようだな」
ハーシェルが訳が分からない顔をしていると、アスリエルは突然話題を変えてきた。
「そなた、『王の石』という話を知っているか」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます