第22話 戦友

  

  *  *  *



 トントン、と扉をノックする。

 扉の向こうでさりさり、と書き物を書く手を止め、こちらを振り向く気配がした。

「誰だ」

「私です、陛下」

 ラルサが答えると、部屋の主は中に入るよううながした。

 そこは王の執務室だった。王の間の裏に位置しており、部屋にはたくさんの本や書類が所狭しと置かれている。一国の王がいる場所としてはいささか華やかさに欠けた部屋ではあるが、王は好んで一日の大半をこの部屋で過ごしていた。

 奥の机で書類に埋もれるように書き物をしていたアスリエルは、ラルサが入ると顔を上げた。

「何か用か?」

 ラルサはおどけた表情をしてみせた。

「用がないと、来ちゃいけないんですか?」

 王に対するにはいくらか砕けた口調で、ラルサは言う。

 アスリエルはうなずいた。

「ああ、そうだな。見ての通り、私は忙しいのでな」

 かと言って特に追い出すふうもなく、再び書き物を再開する。

 二人はかつて同じ戦場で共に戦った仲だった。互いに背中を預け合い、倒した敵は数え切れぬほど。「王と将軍が組めば、向かう先敵なし」とは、同じ戦場に居合わせた兵士たちの言葉だ。それほど、二人は深い信頼関係と、並外れた強さを持っていた。

 もう長い付き合いである。戦友とも言える二人の会話は周囲に人がいなければ軽いもので、アスリエルもラルサに対しては気を休めることができた。

「あの子に、何か言ったでしょう」

「誰のことだ?」

 アスリエルは眉をひそめて書類から顔を起こした。本気で分かっていない様子だ。

「ハーシェル様ですよ」

 ああ……とアスリエルの顔に理解したような色が浮かぶ。ラルサはアスリエルの方へ歩いていくと、近くの椅子に勝手に腰かけた。

「ちょっと厳しすぎるんじゃないですか? たった一人の娘なのに、もう少し優しくしてあげてもいいでしょう。王の間から出てきた時、あの子ひどい顔してましたよ」

 まあ、あのあと追い打ちをかけるように厳しい態度をとったのは自分だが……。

 ラルサは、その時のさらにショックを受けたようなハーシェルの顔を思い出して、自分の行動を悔やんだ。

 一方アスリエルは、全く態度を揺るがす様子もなく言った。

「何を言っている。厳しくするのは当然のことだろう。この国でただ一人の姫ということは、それだけ困難や危険も伴う。今のうちにしっかりしてもらわねば、いつか欲や陰謀の渦に飲み込まれるぞ」

 アスリエルは書類を一つ書き上げると、印を押して隣の束の上へ置く。束の厚さは、すでに十センチを優に超えている。いつものことながら、よく一日でこれだけの量をこなせるな、とラルサはあきれつつも感心した。

 アスリエルは再びインクをつけようとして、ふと手を止めた。

「――それに、石のこともあるしな」

 低くつけ足した言葉に、ラルサは表情を硬くした。

「……やはり、アッシリアは動くでしょうか」

「ああ。まず間違いないな。これまでアッシリアとは冷戦を保ってきたが、じきにそれも崩れるだろう。力関係がナイルに傾き、それを恐れたアッシリアは何らかの手を打ってくる。そして、石を目覚めさせたのがあの子だと知ったとき――」

 アスリエルはラルサの目をひたと見据えた。

「ハーシェルの命は危険にさらされる」

 ぴん、とその場の空気が張り詰めた。

 ラルサは静かにアスリエルの瞳を見つめ返した。糸を張ったような静寂が、淡々と部屋を流れる。

 しかしそこで、場違いにもラルサはにやりと笑った。

「ここで陛下に、一つ朗報がございます」

 アスリエルは意外そうに眉を上げた。

「申してみよ」 

「ハーシェル様が、武術に興味をお持ちのようで。強くなりたい、とおっしゃっています」

「ほう?」

 アスリエルは少し驚いたような顔をした。

 ラルサは続けた。

「本来、王族……特に女性ともあらば、守られるべきもの。自身が力をつける必要はございません。しかしこのような状況下、本人が強くなるのも悪くないかと」

「確かに」

 周りの者で守り切ることができればそれで良いが、万が一、手が届かないこともあるかもしれない。その時、結局自分を守れるのは自分自身だけなのだ。

 アスリエルはしばし考えるように黙っていたが、ほどなくして言った。

「よし、いいだろう。ハーシェルには生き残るためのすべを身につけてもらう。しかし、稽古は極秘で行う。理由は……分かるな?」

 アスリエルがちらりと目をやると、ラルサは無言でうなずいた。

 もし姫に武術のたしなみがあることが敵に知れたら、敵はそれだけ強い刺客を放ってくる。知らない方が相手は油断し、こちらに有利に働く。つまり、隠し玉というわけだ。

 アスリエルは薄く微笑んだ。

「では決まりだ。あと必要なのは、師匠だな。そうだな、ハーシェルを教えるのは――」



  *  *  *



 ハーシェルは上機嫌で城を歩いていた。

 今日から、剣の稽古が始まるのだ。

 今朝、ヘステラがアスリエル王からの言づてを預かってハーシェルのもとへやってきた。言づての内容はこうだ。

『昼食を済ませたら、以前迷子になった場所に来ること。そこで、お前の剣の師匠が待っている』

 また、このことは人にはあまり言いませんよう、とヘステラに言われたが、なぜかはよく分からなかった。

 迷子になった場所とは、おそらく稽古中のラルサと居合わせた場所だろう。あの時は迷子の道すがら偶然あの場所にたどり着いただけだったが、今回は自分の意思をもって、しっかりとした足どりで目的地へと向かった。

 だんだんと人気が少なくなり、あたりが静かになる。

 廊下の左手には、あまり手入れの行き届いていないような草地に、いくらかの花が咲いていた。花壇があるところを見ると、昔は人が訪れていたのかもしれないが、今ではそれもほとんど放置されているようだ。

 この先の角を曲がれば、ラルサと出会った場所だ。

 そこにいるのは、いったいどんな人だろうか?

 数理学の先生のように、目つきが鋭くて、やたら厳しい人だろうか。それともヘステラのように、おだやかで優しい人かな?

 後者であればいい、と思いながら、ハーシェルは廊下の角を右に曲がった。

 そこで待っていた人物に、ハーシェルは目を丸くした。

 背を向けて庭の石に腰をかけていた男は、ハーシェルが来たことに気づくとくるり、と振り返った。

 茶色のふさふさしたひげ面に、熊のように大きな体。しかし一見怖そうな姿をしていても、実は優しい瞳をもっていることをハーシェルは知っていた。

「おじさ……ラルサ!」

 ぱっと顔を輝かせたハーシェルに、ラルサはいつものように、にかっと笑った。

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