第八章 戦いの幕開け

第23話 おとぎ話

「……とまあこのように、国のあり方に対する意見の食い違いから、ナサラ族とアルーシャ族は二つに分断されたというわけです。こうして長く続いた国家は千年前に滅び、ナサラ族はナイル帝国を、アルーシャ族はアッシリア王国を建国しました。その後、未だ小さな国のまま収まっているアッシリアに対し、ナイルは大きく領土を広げ、飛躍的な経済発展を遂げて今のような姿に――って、聴いてます? 姫」

 白髪を食べかけのわたあめのようにふわふわさせた老人は、疑わしそうな目をハーシェルに向けた。

 頬に手をつき、あらぬところをぼへーっと見ていたハーシェルは、ふっと姿勢を正すとペラペラと手元の本をめくった。

「へ? ……ああうん、きいてるきいてる」

「いえ、聴いてないですよね? 本のページ、違いますよ」

 開いたページを無言で見つめ、ハーシェルは顔をしかめる。

 王宮に入ってから五年の月日が流れていた。

 十二歳になったハーシェルはようやく王宮の生活にも慣れ、姫としての立ち居振る舞いも、多少、それらしくなってきた。肩を少し過ぎた髪は三つ編みにされることが少なくなり、軽く二つに結わえられている。

 城の図書館で行う歴史学の講義は嫌いではなかったが、いささか退屈だった。ハーシェルの先生であり、歴史学者でもあるスコットは、とがった鼻に小さな丸眼鏡をひっかけた少々変わった人物である。思い出したように話が飛ぶのはよくあることで、今も、百年前のナイルの外交状況について話していたはずだったのに、いつの間にか話は千年前のナイル建国にまでさかのぼっている。

 ハーシェルはあきらめたように、ぱたん、と本を閉じた。

「だって、もう聞き飽きたんだもの。先生の話の回数でいくと、もう二十回はナイルが建国されてるわよ。何かもっとおもしろい話はないの?」

 スコットは信じられない、という顔をした。

「あなたは、私の話がおもしろくないとおっしゃるのですか!」

 はい、と言ったら怒るだろうか。

 眉をひそめて返答に悩んでいると、ハーシェルはいいことを思いついた。

「あ、じゃああの話してよ。えっとなんだっけ……そう、『王の石』」

「またその話ですか?」

 スコットはあきれたような顔をした。

「それこそ、もう何度もお話ししたでしょう」

「だって勉強の息抜きにちょうどいいし、それにおもしろいんだもの。パルテミア時代の勉強にもなるでしょう?」

「それはそうですが……」

 スコットは不服そうな表情をした。自分の話が、暗におもしろくないと言われたことが不満なのだ。

 じっとハーシェルが見つめていると、やがてスコットは負けを認めたようにため息をついた。

「まあいいでしょう。それで姫の気が済むというのなら。ただし、話が終わったら、その後はきちんと私の講義を聞いてくださいよ?」

「うん、分かった」

 ハーシェルはおとなしくうなずいた。

 スコットは、コホンと一つ咳払いをした。

「えー……遠い遠い昔のことです。

 あるところに、パルテミアという一つの小さな国がありました。

 その国には、二つの民族が暮らしていました。

 一つは、ナサラ族。西の地からやってきた、細い眉に、白い肌をもつ民族。もう一つは、アルーシャ族。東の地からやってきた、頬骨の張った顔に、濃い眉をもつ民族です。

 二つの民族は、とても仲良しでした。

 この頃から、それぞれの民族にはすでに『王族』というものが存在していました。国のあらゆる政治は王族が行い、そして『王』は、数年ごとに二つの王族の中から交代で選ぶことが決まりでした。


 ナサラ族の者が王だった、ある年のことです。

 その年、パルテミアはかつてないほどの大干ばつに襲われていました。作物は枯れ、飲み水さえもままならず、人々は飢えと渇きに苦しんでいました。

 王は悩みました。

 人々をこの苦しみから救うには、いったいどうすればよいのだろうか。

 眠れぬ夜が、何日も続きました。

 しかし、神に雨乞いをしていたある日のこと、奇跡は起こりました。

 すべての王族と神官が集まり、雨乞いの儀式をとり行うその御前に、天から神が舞い降りたのです。

 神は言いました。

『信心深いそなたらに、この石を授けよう。王が石を手に抱き、天に願いを込めたとき、大地はうるおいで満たされるだろう。ただし、その力もつは王のみ。その後は、血をもって後世にまで受け継がれていくだろう』

 神は、王に一つの石を授けました。そして、その石をあやつる力を、今の王と、次の王と定められていたアルーシャ族の男に与えました。

 ナサラ族の王は、神の言葉どおり石を抱き天に願いを込めました。

 すると、どうでしょう。

 乾き切った空の中に、みるみる雲が作られていくではありませんか。そしてすぐに、雲からは大量の雨が地上へと降り注ぎました。

 人々は大喜びしました。

 それからというもの、パルテミアが自然の脅威におびえることは一切なくなりました。

 王は、大地が乾けば雨を降らし、嵐が来れば嵐を治めることができました。王が持つ石の力によって、国は平和に保たれたのです。そしてそれは、次の王に代わっても同じことでした。

 その後、その力は、先代の王の血とともに後世の王族たちへと受け継がれていきました。二つの民族が交代で王となるルールに加え、石もそのときの王が持つことになりました。王たちは神から授かった石を大切にし、石を使って民の暮らしを守りました。人々は、王族を”神の力を持つ者”としてあがめたてまつるようになりました。


 ――しかし、平和は永遠には続きませんでした。

 その頃、周辺の国々では戦争が多発していました。近いうちに、パルテミアも巻き込まれる可能性は十分にありました。

 アルーシャ族の王はこう考えました。

『もしもこの国が他国に攻め込まれるようなときには、石を使って国を守ればいい』

 しかし、ナサラ族の王族は反対しました。

『石は、あくまでも自然の脅威から民を守るため、神より授かったもの。戦に使うなど、とんでもない』

 いつまで経っても、意見がまとまることはありませんでした。

 いつしか二つの王族は対立し、それはやがて民にまで広がっていきました。国は大きく二つに割れ、ついに人々は武器を持って立ち上がりました。

 ――そのときです。

 石が、小さく震え始めました。そして、ぴたりと止んだかと思うと、弾けるように砕け散ったのです。

 争いの元となった石は消えました。

 しかし石がなくなったところで、一度始まった争いが治まることはありませんでした。

 決着は着かず、二つの民族はそれぞれ新しく国を建国することにしました。

 ナサラ族は『ナイル帝国』を。

 アルーシャ族は『アッシリア王国』を。

 その後、二つの民族が手を取り合うことはありませんでした。

 こうして、長く繁栄したパルテミアは、無意味な争いによって終わりを遂げたのです――


  ――と、ご満足いただけましたか?」

 やれやれ、という表情でスコットはハーシェルを見た。

 ハーシェルは腕を組んで、うーん、とうなっていた。

「石は、なんで砕けたのかなぁ? 争いを止めたかったから?」

 もともと、石は民の暮らしを豊かにするために授けられたものだった。争いを好まなかった石は、自分が砕けることで争いを鎮めようとしたのではないだろうか。それとも、国が割れた時点でもう必要がなくなったからか。

 スコットは肩をすくめた。

「さあ。私には分かりませんね。そもそも、これはただのおとぎ話です。実際には石なんて存在しませんし、国が分かれた理由もきちんと別にあります。誰かが、子ども向けにパルテミアの歴史をおもしろおかしく作り変えたんでしょうよ。史実通りの部分もあるので、ある程度の勉強にはなりますが」

 スコットはたいして興味がなさそうに言った。それから、じろりとハーシェルをにらむ。

「そんなことより、これで私の話を真面目に聴いてくださるんでしょうね? だいたい、いくら全部覚えているからといって、話を聴かなくていい理由にはならな――」

 そのとき、「あっ!」と突然ハーシェルが声を上げて立ち上がった。スコットはびっくりして首を縮めた。

「私、もう次の授業に行かなくちゃ。危うく忘れるところだったわ」

 そう言うと、ハーシェルはばたばたと本をかばんにしまい始める。

 スコットはぽかん、と口を半開きにした。

「え、あ、ちょっと姫……?」

 図書館の本も、すばやく本棚に戻す。あっという間に帰り支度が完了すると、ハーシェルはかばん片手にスコットを振り返った。

「じゃあ先生、続きはまた今度ね!」

「いや、まだ話は終わってな――――姫……姫ー!」

 スコットの叫びも虚しく、吹き抜けのらせん階段をするすると下りると、ハーシェルの背中は瞬く間に遠ざかって行った。

 その姿をらんかん越しに見送りながら、スコットはやれやれ、と力なく首を横に振った。

「今日も完敗ですか……」

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