第8話 ずっと一緒に

 澄み切った青空が広がる真っ昼間。ウィルはいつものようにアイリスの野にやってきた。

 ハーシェルは小屋の近くの野原に座ってウィルを待っていた。ウィルが来たことに気づくと、ハーシェルは立ち上がって下にいるウィルに向かって大きく手を振った。

「ウィルー!」

 ウィルも、ハーシェルがいることに気づくと走って野原を登ってきた。

 少しだけ息を切らして、ハーシェルがいるところにたどり着いた。

「やあ、ハーシェル。……今日はおじさん、いないの?」

 ちょっぴり残念そうにウィルが言った。いつもなら、ウィルが来たら「さぁ、遊ぶぞー!」とばかりにラルサが陽気に笑いながら小屋から出てくるのだ。

「うん。さっき帰っちゃった。なんか、出かける準備があるから忙しいんだって」

 ええー、とウィルはますます残念そうな顔をした。

「もしかして、もうすぐ自分の家に帰っちゃうのかなぁ……」

「ねぇ! そんなことより、今日はウィルに渡したいものがあるの!」

 ハーシェルが意気揚々と言った。

「渡したいもの?」

 ウィルは不思議そうに聞き返した。

「うん! ちょっと待ってて!」

 そう言うと、ハーシェルは身をひるがえして小屋の方へ走って行き、その後ろへと姿を消してしまった。すると今度は背中の後ろに何かを持って、両手を隠しながら出てきた。

 両手を隠しながら走り出すと転んでしまいそうだったので、帰りは歩いてウィルの元まで戻ってきた。

 ハーシェルはぴたり、とウィルの前で止まった。

「なんだい?」

 ウィルが戸惑うように聞いた。ウィルには、ハーシェルの背中の後ろにあるものが何なのか、全く想像がつかなかった。

「目、つぶって」

 ハーシェルが言った。

 ウィルは素直に目を閉じた。

 ウィルは、自分の頭にふわり、と何かがかかるのを感じた。

「もう開けていいよ」

 目を開けると、ハーシェルがにこにこしながら立っていた。

 ウィルは頭の上に手をやり、そこにあるものを探った。そしてそれに手を触れると、あっ、と声を上げた。

 これってもしかして……

 ウィルは両手で頭の上にあるものを取り、見える位置に下ろした。

 それは、アイリスの花で作られた花冠だった。

 器用に花が束ねられ、輪っかの一面に白い花が咲いている。形もしっかりしており、随分と立派な冠だ。ウィルが以前に作ったものよりも断然上手い。

「すごい……これ、ハーシェルが作ったの?」

 ウィルは目を見張って冠に魅入った。

「うん!」

 ハーシェルは、ウィルの反応を見て満足げにうなずいた。

「ハーシェル下手だから……毎朝、うまくなるまで練習しようって決めたの。ウィルがいない間にね。びっくりした?」

「うん。だって、前に作った時よりすごく上手にできてるんだもん」

 ウィルが大まじめに言った。

 ハーシェルは、にへへ、と照れたように笑うと、またくるっと体を後ろに向けて小屋の方に走って行った。そして小屋の後ろへと消えてしまった。

 今度は現れるのが少し遅かった。ウィルは再び去って行ったハーシェルに、小屋の方向を見つめたまま、ぽかん、とその場に突っ立っていた。

 すると、今度は腕やら首やらにいくつもの花の輪を下げて、ウィルの方へと下ってきた。優に全部で十個以上はあるだろう。

「見て見てっ」

 ウィルの元へ戻ってくると、ハーシェルはとさっ、と体にかけていた花をすべて地面に下ろした。それらも皆、アイリスの花で作られたものだった。長いものから短いものまで、大きさはバラバラだ。それらのほとんどは、花がしおれてしまっているものや、すでに枯れてしまっているものだった。

「今までに作ったやつ。これが最初に作ったやつで……ひたすら長く編んでみたの。これがその次に作ったやつで……これはけっこう最近作ったやつかな。花がまだ元気な方だから。……あっ、これ昨日作ったのだ!」

 ハーシェルは座り込んで、その一つ一つを手に取り始めた。そしてそのうちの一つをぱっと取り上げて、ウィルに見せた。

 なるほど、ウィルかかぶっているものと出来栄えがそう変わらない。違いと言えば、花が少ししおれていることだった。

 ハーシェルはウィルと同じように、その冠を頭にかぶった。

「前にウィルと一緒に冠を作った時、ウィルが冠をくれたでしょ? すごくきれいにできたの。あの時ね、もっともっとうまくなって、今度はハーシェルがウィルに冠をあげようって決めたんだ。だからそれ、お返し」

 そういうことだったのか。

 ウィルは思った。

 ハーシェルがアイリスの花でたくさん編んだのは、単に冠作りが上手くなりたかったからじゃない。ウィルにあげるためだったのだ。ウィルにあげるためだけに、上手になろうと毎日一生懸命練習した。

「ありがとう」

 ウィルは感謝の気持ちを込めてハーシェルに言った。

 ハーシェルは座ったままウィルの方を見上げて、応えるように笑った。

 ハーシェルはまだ立ちそうにない気がしたので、ウィルはハーシェルの隣に腰を降ろした。

 ウィルは座ってあたりの景色を見回して初めて、アイリスの花がわずかだが、なんとなく減っていることに気がついた。一週間近くも大量に花を摘み続ければ、それも当然かもしれない。どうしてこれまで気がつかなかったのだろう。

「花、減っちゃったね」

 同じことを考えていたのか、ハーシェルがやや元気のない声で言った。

「かわいそうなこと、しちゃったかな」

「大丈夫だよ。アイリスの花って一年じゅう咲いているだろう? だから、すぐにまた元どおりになるよ。それに、つんだ分の一部は、こうしてぼくがもっているし」

 ウィルがハーシェルを励ますように言った。

「――“永遠に変わらないもの”」

 ハーシェルがふと、何かを思い出したようにぽつりと言った。

「ねぇウィル、花言葉って知ってる?」

「花言葉?」

 ウィルが聞き返した。

 ハーシェルはうなずいた。

「そう。花にはね、一つ一つに意味がこめられているんだって。そして、それに合わせてそれぞれが“言葉”をもっているの。前にお母さんが言ってた。――ウィルが言ったように、アイリスの花って一年じゅう咲いてるし、ハーシェルがこんなにとっちゃっても、たぶん気がついたら元にもどってるの。成長するのが速いから。いつも変わらず、そこにあるの。だからアイリスの花言葉は、“永遠に変わらないもの”」

 ハーシェルが言った。それから、思いついたように付け足した。

「ハーシェルたちも、変わらないよね。ずっと一緒にいられるかな」

 ウィルはほとんど間髪を入れずに答えた。

「いられるよ。当たり前だろう?」

 そう、それは二人にとって当たり前のこと。

 それでもハーシェルは、そう言ってくれたウィルが嬉しくて、ぱっと顔を輝かせてウィルの方を見た。

「ぜったい?」

「ぜったい」

 ウィルが力を込めてうなずいた。

「じゃあさ、約束しようよ!」

 ハーシェルは右手の小指をぴん、と立てると、その指をウィルの方に出した。

 そして、じーっとウィルの方を見つめた。

「……」

 何かを待つように自分を見てくるハーシェルに、ウィルはわからない、という表情をした。

 ハーシェルは驚いた。

「まさか、知らないの? 約束する時はね、お互いの小指どうしを握手するみたいにからませるの。そうやってやった約束は、絶対にやぶっちゃだめなの」

 ウィルは自分の左手の小指を立てると、ハーシェルの小指とからめさせた。

「……こう?」

 うん! と言ってハーシェルが笑った。そして、ぎゅっと願いを込めるようにウィルの小指を握った。ウィルも同じように小指で握り返した。

「いい? 来年も再来年も、ウィルはハーシェルの家にやって来るのよ。そして、鬼ごっこをしたり、川に行ったりして遊ぶの。ずっと変わらずに」

 ウィルはうなずいた。

「おばさんのアップルパイも食べたいな。また焼いてくれるかな?」

「もちろんよ。あのあと、たくさんりんご買ってきたんだから。明日にでも食べられるわ」

 それから、ハーシェルはウィルに満面の笑みを見せた。

「ずーっと一緒だよ」

「うん、ずっと一緒だ」

 ウィルの顔にも自然と笑みが広がった。

 さぁっと野原を撫ぜるように、二人に優しく風が吹きつける。花びらが、小さな吹雪のごとく、ひらりと空に舞い上がった。

 ハーシェルは、この瞬間をずっと忘れないだろうと思った。景色も、温度も、草の感触さえも。まるで時を止めたかのように、なぜか一瞬がとても長く感じた。

 しかし実際は、ほんの数秒のことだった。

 約束を交わし合うと、ハーシェルは小指をはずして立ち上がった。

 ウィルもそれにならって立つと、二人は並んで仲良く野を下り始めた。

「あっ、そう言えばね、明日ウィルと行きたいところがあるの。市場ってすごいんだよ。人がたくさんいてね、それで食べ物とか服が……」

 身長差があまりない二人の頭の上には、肩を並べるように同じ白い花冠が隣に並んでいる。楽しげな二人の会話はだんだんと遠ざかり、やがて野原に溶け込むように消えていった。


 ――だが、二人にその明日がやって来ることは二度となかった。

 来るはずもない明日を信じて疑わず、ハーシェルとウィルは今はただ幸せそうに笑い合っていた。


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