第6話 ラルサの正体

「……もう、勝手なんだから、あの子は」

 セミアはあきれたように言った。

「しかしあの幼かった赤子が、あんなにも元気に成長しているとは。わたくしは嬉しい限りですよ。あの子の性格は、やはり父親譲りですな。――では、改めまして」

 ラルサは片ひざを床につき、頭を軽く下げて体の前で右手こぶしを左手で包み込み、正式な敬礼の姿勢をとった。

「ナイル国軍将軍、ラルサ。七年の時を経て、お迎えに上がりました。お変わりなさそうで何よりです、セミア様」

 その口調には、もはや先ほどの陽気で大口を開けて笑うラルサの面影はどこにもなかった。今そこにいるのは、多くの兵を従えあまたの戦乱を乗り越えてきた、ナイル王家に仕える臣下としてのラルサだった。

「あなたも、元気そうで安心したわ。別れてしまってから、どれほど心配したことか……」

 王に命じられてセミアたちと共に城を出たラルサだったが、途中で追手がかかったのだ。ラルサは一人残り、セミアたちを先に行かせた。

 追っ手との戦闘を終えたラルサは再びセミアを探したが、とうとう最後まで見つけることはできなかった。

「あのようなことになってしまい、誠に申し訳ございません。それに、心配したのはわたくしの方です。あれくらいの敵、わたくしにとっては敵にもなりません。それよりも、探すのに苦労しましたよ。田舎の方だろうとは思いましたが、なにしろ山も広いもので。一ヶ月近くもかかりましたよ」

「あら、たった一ヶ月くらいで見つけられたのなら上出来だわ。――では、あいさつはこのくらいにして。ラルサ、お立ちなさい」

 セミアの言葉に、ラルサは敬礼の姿勢を崩して、ゆっくりと立ち上がった。

 ラルサがきちんと立ち上がったのを見てから、セミアは本題に入った。

「戦争は、終わったのね。あなたが来れたということは、勝った、のかしら? あの状況では難しいと思っていたのだけれど」

 セミアは、先ほどとは打って変わって真剣な表情で言った。

 敵の数は七万人。一方、ナイルはその頃、同盟国である他国の戦争の援軍に駆り出されており、城には五万ほどの兵しか残っていなかった。しかしその戦乱もナイル国の援軍により終息し、三日後には皆戻ってくるはずだった。

 だがその隙を狙ってか、ミスク共和国の早急な襲撃。もっとも、ナイル国王もそれくらいのことは予測し、準備はしていた。それでも、領土こそナイルほどは大きくはなくとも、武術に長けたミスクに勝利するのは難しいはずだ。ミスクはもともとは戦闘民族だ。

 ラルサは、深呼吸するようにふーっ、と深く息を吐き出した。

「援軍が来たのですよ」

「援軍?」

 セミアは疑問に思った。

「ナイルが出兵させていた援軍が間に合ったということ? しかし、あの数でミスク相手に三日も持ちこたえるなんてことは……。……では、リディア国からかしら? ――いえ、ありえないわね」

 セミアは口に出したものの、その可能性を否定した。 

 ラルサがうなずいた。

「ええ。リディアはナイルの同盟国と言えど、小国です。援軍を出す余裕などあるはずもございません。たとえ出してナイルを救えたとしても、その間に守りが手薄になった自国にどこからか攻められでもしたら、一貫の終わりです。……カルヴィアですよ、セミア様。カルヴィア王国が、我が国を救ったのです」

 セミアは驚きのあまり、息をするのも忘れてラルサの髭もじゃ顔を見つめた。

「カルヴィアですって? なぜカルヴィアがわざわざナイルを……これまでこちらに興味も示さなかったというのに」

 カルヴィア王国とは、ナイル帝国の北にあり、ナイルには劣るがそれでも周辺の国々と比べると比較的大きな国だ。多くの鉱山に恵まれていることと、その高度な製鉄技術を生かし、装飾品や剣などの武器を他国に多く輸出している。ナイルもカルヴィアから多少の輸入はしているが、普通、同盟国かまたは参戦することによる利益でもない限り、他国の戦争に介入することは少ない。

「まあ、魂胆は見え透いていますけどね。ナイルに借りを作っておきたかったのでしょう。もしかしたら、カルヴィアはこのままナイルとの同盟話に持ち込むつもりかもしれません……」

 ラルサはふさふさしたあご髭をなでつけながら、考え深げに言った。

 それから手を降ろし、セミアに向きなおった。

「しかし、カルヴィアの援軍のおかげで窮地を脱したことは確かです。――最初は敵かと疑ったくらいでしたよ。誰もカルヴィアからナイルへ援軍が来るなどと、予想だにしていませんでしたからね。戦は三年前に終わり、今ではだいぶ修復も進んでいます。これまでお迎えに上がらなかったのは、城も街もあちらこちらが瓦礫のように崩れ落ち、とても王妃様とその姫をお迎えに上がれるような状況ではなかったからです。敵も味方も、派手にやらかしたもので……。お迎えが遅れましたこと、心よりおわび申し上げます、セミア様」

 そう言ってラルサは再び、今度は謝罪の意味も込めて、セミアに対して深く敬礼した。

 セミアは軽く微笑んで、ラルサを立ち上がらせた。

「いいのよ、ラルサ。私はそんなに気にしていないわ」

 ラルサは立ち上がりながら、信じかねる、といった表情でセミアを見上げた。

 セミアはそんな疑念たっぷりのラルサの顔を見て、おかしそうに笑った。

「あら、本当よ? 確かに、とても心配はしていたわ。国のことも、みんなのこのも。けれど、ここの暮らしも、これはこれで楽しいものよ」

「そう言えば、この小屋はどうされたのですか? 誰かからでもお借りに……?」

「いいえ、違うわ。見つけたのよ。……空き家だった。もう何年も、使っていないようだったわ」

 ラルサと別れたあと、セミアはまだ一歳にも満たないハーシェルを背負って、山や村のはずれを何日も歩いた。お金は多く持ってきてあったし、身につけていた宝石や衣類を売ればかなりの額になるため、食べ物には困らなかった。しかし、アッシリアに戸籍がないセミアたちにとっては、住む場所が問題だった。周りの人や税の取り立てに来た役人に、変に出生を探られたりしたら困る。どこか静かな場所で二人でひっそりと暮らせれば、とセミアは思っていた。

 そんな時だった。暗い山道を登っていると、突然、視界が明るく開けた。

 そこは、小さな白い花が一面に咲いた暖かな野原だった。昨日の雨にぬれた草花はきらきらとした光を放ち、ゆるく傾斜した野原の頂上には、壁につたのはった小屋が野原の風景に溶け込むように立っていた。

 ここだ、とセミアは一瞬で決めた。この緑あふれる美しい場所で、ハーシェルを育てよう。ここでなら、やっていけそうな気がする。

「……まるで、野原が私たちを歓迎してくれているようだった。このためだけに、この野原と小屋が存在していて、ずっと私たちを待っていてくれたのではないか、なんて錯覚まで覚えたわ」

 セミアは椅子に座ったまま、窓の外へと顔を向けた。

 ラルサも、つられるように窓の外を見た。点々と咲く草花、蝶。そしてその遠くの方では、二人の子どもがくるくると走りまわっている。

 なるほど、二人が野原の中に飛び込んでいるのではなく、野原が二人のためにあるように見える。野花は、二人のためだけに、そのつぼみを開花させている。そう、ラルサは思った。

「……だけど、もう帰らなくてはね」

 ぽつり、とセミアが言った。

 ラルサはその言い方に妙なひっかかりを感じ、セミアに問い返した。

「帰りたく、ないのですか?」

「まさか」

 セミアがこちらを見て笑った。

 しかし、それからまた、少し影のある表情で窓の外を見た。

「あの子に、事実を話していないのですね」

「……ええ」

 走りまわっていたハーシェルがぱたん、とこけた。ウィルがそれを見て、心配そうにハーシェルに駆け寄るが、途端にハーシェルは元気に飛び起きて、再びウィルの方に向かって走り出す。ウィルはあわてて逃げ出した。

「あの子にとっては、ここがすでに『家』だわ。それに、ここを出て行くということは、ウィルくん――あの男の子と、引き離さなければならなくなる」

「ああ、あの少年。礼儀正しい子ですよね」

 先ほど会った時、自分に対してきちんとあいさつをしていた姿をラルサは思い出しながら言った。

 セミアは澄んだ茶色い瞳で、じっとラルサを見た。

「本当にそれだけ? ただの、ちょっと礼儀正しい子、としか思わなかった?」

「はぁ……随分と大人っぽい子だなとは思いましたが」

「あの子、この山にある村に住んでいるんですって」

「村?」

 ラルサが怪訝そうな顔をした。

「しかし――」

「あなた、ここへ来る途中で他に何か見なかった? ここからそれほど遠くない場所で」

 ラルサはあごに手を当てて考え込んだ。

 一、二分ほど経ったろうか。ラルサははっ、と何かに気づいたように顔を上げた。

「まさか……!」

 セミアが静かにうなずいた。

 ラルサはわずかに顔をゆがめ、悲嘆と憐れみが入り混じったような表情で窓の外を見た。

 走り疲れたのか、今は二人ともぱたん、と草原に並んで寝転がっていた。二人で何かしゃべっているようだ。

「かわいそうに……」

 ラルサがつぶやいた。

 果たしてその言葉は、ウィルに向けられたものだったのか、ウィルとハーシェル、二人に対して向けられたものだったのか。

 ラルサが眺めていると、ハーシェルが視線に気づいてこちらを向いた。ハーシェルがつんつん、と隣のウィルをつっつくと、ウィルも体を起こしてこっちを見た。

 それから二人は仲良く立ち上がると、小屋へ向かって駆けてきた。近づくにつれ、二人の姿がだんだん大きくなる。

 小屋のドアが開いた。

「ねぇ、おじさんも一緒に遊ぼうよ」

 ハーシェルが、少しだけ開いたドアのすき間から、ひょっこりと顔をのぞかせて言った。その後ろでは、ウィルがおとなしく立っている。

「鬼ごっこ、二人じゃ飽きちゃうの。ウィル、遅いし」

「違うよ。ぼくが遅いんじゃなくて、ハーシェルが速すぎるんだ」

 ウィルが後ろから口をはさんだ。

 セミアがクスクスと笑った。

 よっしゃあああ! とラルサががたんっ、と椅子を鳴らして立ち上がった。

「じゃあ、たった今からはおじさんが鬼だ! さあ、二人とも逃げろぉー!」

 ラルサが言うと、わぁーっと声を上げて、二人はあっという間に小屋の扉から逃げ出して行った。

 それを見届けると、ラルサはセミアの方を振り向いて、にやっと笑った。

「まあ、そう急いで向こうに戻る必要もありませんよ。探すのにもっと時間がかかっていたかもしれませんし。あの子たちとちょっと戯れてから、出発することといたしましょう」

 そう言うと、ラルサは子どもたちを追って外へと出て行った。

 すぐに、外から「こらぁーっ! 待てー!」という声と、子どもたちが元気に走り回る声が聞こえてくる。

 その声に、セミアはまたクスクスと笑った。

「ラルサが子ども好きだったこと、忘れていたわ……」

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