第三章 ラルサ

第5話 泥棒と昼ごはん

「お昼ごはん、まだでしょう? あなたも一緒に食べない? ちょうど今からなの」

 セミアがエプロンを手に取りながら言った。

「ええ、ではいただきます。申し訳ない」

 ラルサが答えると、セミアは早速食事の準備に取りかかった。

 ラルサは食卓の席につこうと椅子を引いたものの、なぜかもぞもぞして、なかなか動かない。そして我慢できなくなったように、包丁でにんじんを刻み始めたセミアの方を見て言った。

「あ、あの、そのようなことはわたくしが」

「何を言っているのよ。いつもやっていることだわ。それに、あなたが料理できるとも思えないし」

 セミアは特に気にしたふうもなく言った。

「まあ、確かにそうですが……」

 ラルサはあきらめて席についた。

「それより、あなたなんだか額が赤いけれど、どこかにぶつけたの?」

 ラルサの顔をちらっと見て、珍しい、と思いながらセミアが言った。

 ラルサに続いて席についたハーシェルは、その赤くなった額と同じくらいに顔が真っ赤になった。

「ああ、この元気なお嬢ちゃんが、ほうきという名の凶器で襲いかかってきまして。どうやら泥棒と勘違いしたようで。いやしかし、私はむしろその勇気に感心いたしましたよ」

 大まじめな顔で答えたあと、ラルサはまたこらえ切れなくなったように笑い出した。

 セミアは一瞬目をまるくしたが、すぐにふふっ、と吹き出した。手に握った包丁も一緒に、ぷるぷると震えている。二人があまりにも笑うので、ハーシェルは恥ずかしさを通り越して少しムッとしたくらいだ。

 しばらくして、ようやく笑いがおさまると、セミアは笑い涙を手でぬぐいながら言った。

「これでやっと、ハーシェルが部屋で箒なんかをもって突っ立っていたわけが分かったわ。普段お掃除なんてちっとも手伝わないんだから、まったく何事かと思ったのよ。――まあ、勘違いするのも分かるわ。あなた、全然変わってないもの。昔も今も、その髭のせいでハーシェルを驚かせて。泥棒と勘違いされたのも、どう考えてもその髭が一因だわ」

「えっ? ハーシェル、昔このおじさんに会ったことあるの?」

 ハーシェルがセミアの言葉に驚いて言った。全くそんな記憶はなかったからだ。

「ええ。ずっと昔、あなたがまだ赤ちゃんの時にね」

 ――ああ、それは覚えていなくて当然だ。

 ハーシェルは思った。

 それから、ラルサに向かって謝った。

「あの……さっきはごめんなさい。まさか、お母さんの知っている人だとは思わなくって……」

 ハーシェルは申し訳なさそうな顔をした。

 だが正直、あれを泥棒と間違えるのはしょうがないと思う。だって、見ず知らずの、しかも強面で熊のように大きい男が部屋で勝手にうろうろしているのだ。不審に思わない方が無理だろう。

「いいってことよ。でも、二度とこんなことしちゃあだめだぞ? 本物の泥棒だったら、どうなっていたことか」

 ラルサが真剣な表情で言った。

 ハーシェルは不思議そうに首を傾げた。

「だけど、ハーシェルおじさんに勝ったよ? 泥棒、やっつけられたんじゃないの?」

 そう言うと、ラルサはまた大きく口を開けて豪快に笑った。

「はははっ、ふっ、まあな。確かにありゃあ驚いた。だがな、おじさんはまだ動けたぞ? かなり痛かったが。つまり、刃物を振りまわすことだって、逃げることだってできたんだ。どうだ? これでも勝ったと言えるか?」

 ハーシェルは、自分がやっと無謀なことをしたことに気づいた。箒で叩けても、相手が刃物を持っていれば終わりだ。それに、ラルサのような大男なら、素手でも負けるに決まっている。さっきの経験から考えると、箒で気を失わせるのは難しそうだし……。

 だが、相手が大人で、自分がまだ子どもだということは全く考えていないハーシェルであった。

「じゃあ、どうしたら勝てるの? 箒じゃないものだったら、勝てる?」

「まあ、フライパンとかならまだ可能性はあるんじゃないか? 重いしな、あれ。だが、一番は自分が強くなることだ。私のようにな。そうすれば、自分が武器を持っていなくたって、相手が刃物を持っていたって、そんなもの簡単に叩き落とせる。ま、そこまで強くなるには、かなりの訓練が必要だがな」

「ふーん……」

 とそこで、ハーシェルはさっきラルサに聞こうとしていたことを思い出した。

 父のことだ。

「そう言えば、おじさんはお父さんを知ってるの?」

 ラルサは笑ってうなずいた。

「ああ、知っているとも。あの方は、すごいお方だ。お父上も、なかなか強いぞ? まあ、私には敵わんが。お嬢ちゃんが箒持って突っ込んできたあたりの性格は、父親譲りだな。セミアさんは、そんな無茶ぶりしないでしょう?」

「ふふふ、そうね」

 セミアが鍋をかき混ぜながら言った。

 そのにおいをかぎながら、今日はカレーだな、とハーシェルは思った。

 セミアはこれまで父親のことを多く語らなかったため、ハーシェルは自分の父親について新しいことを知り新鮮な気持ちがした。そして、それは嬉しくもあった。

(お父さんって、強いんだ。泥棒も、簡単にやっつけちゃうのかな? 自分の性格って、お父さんと似てるんだ……)

 それから少しして昼食が完成し、セミアも席について三人はご飯にした。

 見た目は大柄で髭もじゃで、泥棒かと思ってしまうくらい怖そうなラルサだったが、中身は全然そうではないことをハーシェルは話してすぐに知った。

 よく笑い、よくしゃべる快活なラルサは、とても気のいい人物のようだった。怖そうだと思っていた瞳も、よく見れば褐色の優しい色をしている。

 そしてよく食べるということも、今回の昼食で明らかになった。何度もおかわりをして鍋の中が空になった時、晩ごはんにもこのカレーをまわそうと思っていたセミアは、こっそり心の中でがっかりした。もっとも、ラルサはそんなことはつゆほども知らなかったが。

 ラルサが最後の一杯を食べ終えるころ、とんとんっ、とドアをノックする音がした。

「あ、ウィルだ!」

 ハーシェルは勢いよく立ち上がり、スプーンを置いて戸口の方へ走って行った。

「ハーシェルー、いるー?」

「ちょっと待って」

 そう言うと、ハーシェルは靴を履く時間も惜しく、ひとまず先に戸を開けた。

 そこには案の定、ウィルが立っていた。

「やっほ、ハーシェル。遊びに……」

 ウィルは、ラルサを見て言葉を止めた。客がいることに驚いたようだ。

「こんにちは」

 ウィルはラルサに向かって軽く頭を下げた。

 ラルサは、にかっと笑った。

「やあ。驚かせてすまんな。俺は、セミアさんの知り合いの者だ。さっき訪れたばかりでな」

 そんなあいさつを交わしている間にも、ハーシェルはすでに靴を履いて、出かける準備をしていた。

「ちょっとハーシェル、あなたご飯がまだ終わっていないでしょう?」

 セミアが言った。

「あと、お母さんにあげる。お母さんがお腹いっぱいなら、きっとそこのおじさんが食べてくれるよ。まだ足りないって顔してるから。……行ってきまーす!」

 靴を履き終えるとハーシェルは元気よく言って、ウィルを連れて小屋を出て行った。

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