第23話

 クリスマスライブが終わったあと、燃え尽きたカレンがベッドの上に横たわっていると、玄関のチャイムがなった。母親が出るだろう、とカレンはそれを無視し、寝返りをうった。しかし、再びチャイムが鳴った。

「お母さぁん?」

 三度目のチャイム。だんだんと間隔が短くなってきており、このまま無視していたらすぐにでもチャイムを連打されてしまうのでは、とカレンは文句を口にしながらベッドから降りて部屋を出た。

 リビングでインターホンについているカメラの映像が見られるため、カレンがそこで来訪者の確認をしようと画面を見ると、そこにいたのはミネコだった。マネージャーを辞職してからどれほどの苦労があったのだろう。そこに映っていたミネコはやつれ、目元に隈を蓄え、疲れきっていることが容易に見て取れた。

「おねえちゃん?」

「ああ、カレン。久しいね」

 リビングから飛び出したカレンは廊下を駆けて玄関に向かい、靴を履くことなく降り立って解錠し、扉を開いた。

「連絡くれたらよかったのに」

 ミネコは目を伏せ、静かに頭を振った。

「どうしたの?」

「介護が終わったからね。カレンに会いに来たんだ」

「……治ったの?」

 ミネコは肩に下げていたくたびれたトートバッグをあさり、缶ココアを取り出してカレンに差し出した。

「飲むといい」

 ありがと、とカレンは戸惑い気味に礼を言い、その缶を受け取った。ココアは買ってからどれほどの時間が経っていたのだろう。微かな温もりさえなくなって、冷え切っていた。

「あがって?」

 カレンは動こうとしないミネコの手を取り、なかに引き入れた。ミネコは以前からは考えられないほど愚鈍な動きで靴を脱ぎ散らかし、カレンの部屋がある二階に向かった。

 カレンの部屋に入ると、ミネコは鈍い音を立てながらトートバッグを床に置き、カレンのベッドに背をもたせかけた。

「自殺だったんだ」

「え?」

「カレンは赤い靴の童話を知っているかい?」

「ハナヨさんが教えてくれたよ」

「母さんはあの靴に殺されたようなものだ」

 ミネコはまっすぐカレンの目を見据え、確信を持ってそう言った。カレンは唾を飲むだけで、その話を笑うことも、反論することもしなかった。

「死ぬまで踊らされる呪いに耐えられなかった母さんは自分の足じゃなくて、首を斬って物語を終わらせた」

「でも、靴は私が持ってるのに」

「実際にいま履いているかどうかは些細な問題だそれに、靴が履きたくてしかたがない、なんて話をよくしていたよ。……カレン、靴を出しなさい」

 カレンは首をかしげ、しかし逆らうことなく部屋の隅にあったエナメルバッグからシューズを取り出し、なかの靴をミネコに差し出した。しかし、ミネコは頭を振った。

「履きなさい」

 カレンは床にしゃがみ、赤い靴を履いた。これでいいか、と恐る恐るミネコを見上げると、彼女はトートバッグから折りたたんだハンカチを出し、さらに折りたたんでいた。

「咥えて」

「ねえ、おねえちゃん……」

「危ないから、言うことを聞きなさい」

 カレンはぎこちなく頷き、ミネコの手に顔を近づけ、口でハンカチを受け取るようにして咥え、上目遣いにミネコを見た。

 そして、つぎにミネコがトートバッグから取り出したものは小型の斧だった。それでも、人の骨を断つことくらいなら簡単にできそうな重さがありそうなものだった。ミネコはそれを振り上げ、カレンに向かって振り下ろした。

「動くな!」

 ミネコの命令に反し、カレンは横に飛ぶようにして回避した。振り下ろされた斧が床に刺さり、ミネコが引っ張っても抜けなかった。やがて彼女は斧を抜くことを諦めた。

「なんで……」

「知っているだろう? 赤い靴から解放されるには、足首を切り落とすしかないんだ」

「だからって……」

「きっと、カレンも母さんみたいに自殺する。カーレンは死ぬまで罪を赦されなかったんだから。だから私が、カレンを救済する」

 ミネコはポケットから黒いフォールディングナイフを取り出し、切っ先をカレンの喉に向けた。

「おねえちゃん、落ち着いて。あれは童話で、呪いなんてないんだよ?」

「カレンも母さんもあの靴のおかげでアイドルとして成功したんだ。それは呪いの兆候。カーレンが婦人に拾われたような幸せ」

「それは違うよ!」

 あまりにも大きな声。斧を振り下ろすときでさえ揺るがなかったミネコの瞳がはじめて震えた。

「だってわたし……はじめからちゃんと踊れたんだもの」

「カレン? 何を言っているんだ」

「今日のライブ、見てくれた? わたし、赤い靴履くのやめたんだよ? それでも、ちゃんとできたの」

「それは……母さんだって靴を履いていないときも靴の呪いで苦しんでいたし」

「ううん。わたし、気がついたの。全部靴のせいにしてたって」

 カレンは靴を脱ぎ、それを抱きしめるようにして持ち上げた。

「失敗が怖くて、ライブのたびにプレッシャーに押しつぶされそうだった。けど、壊れかけの靴をもらったとき、これだって思ったの。この靴なら失敗しても靴のせいにできるって。失敗の責任を取らなくていいと思うとすごく体が軽くなったの」

 黙ってそれを聞くミネコは頭を振り、必死になにかを否定した。しかし、それが声になることはなかった。

「成功したときも同じ。ファンからの声援、勇気とか希望とかいうことばが重かったの。高校生にそんなもの背負わせないでよって。でも、成功が靴のおかげなら、みんなの希望を背負ってるのもこの靴なんだって。そうやって責任転嫁するたびに、わたしの体はみんなの呪縛から解き放たれて、自分本来の踊りができるようになったの。だから、もしも呪いがあるとしたら、それはわたしの弱さなんだよ」

「なら……なら、母さんはなにに殺されたっていうんだ」

「わからないよ。本当にただ偶然病気になっただけかもしれないし、わたしみたいに靴に対する罪悪感に苛まれてたのかもしれないし」

「違う!」

 ミネコは空を薙ぐようにナイフを振った。カレンは身を仰け反らせてそれを避けたが、その拍子に靴を取り落とした。

「母さんはそんなに弱い人じゃなかった!」

「みんな弱いよ。おねえちゃんだって、本当はわかってるんでしょう?」

「だったら、呪いなんてないのなら、なんで私はアイドルになれなかったんだ!」

 カレンはことばを詰まらせた。

「私も母さんやカレンのように小さくて可愛かったら、赤い靴を履いて踊ることができたなら、きっとアイドルになれたはずなのに」

「靴を履いたからって……」

「靴を履いた母さんもカレンもアイドルになった。誰よりも努力したのに、靴を履けなかった私だけがアイドルになれなかった。呪いはあるんだ」

 カレンはミネコを見ていられなくなってうつむき、地面に落とした靴を見下ろした。

「え?」

 しかし、そこに靴はなかった。床に転がっていたはずの靴を探し、カレンは自分のまわりを見渡した。

「カレン。お前は死ぬしかないんだ。だから、私が殺す。靴なんかにお前を殺させやしない!」

 ミネコはナイフを両手で持ち直し、カレンに向かって突っ込んだ。カレンは避けることもできず、両腕で体をかばった。カレンの血が空を舞って床に飛び散った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る