第14話

 最寄りの駅から歩いて五分もしないうちに同じ形をしたワンルームのアパートが複数並んで建っているのが見え始めた。オートロックの門を開け、カレンとミネコはエレベーターを使うことなくミネコの部屋がある四階を目指した。階段から最も遠い角部屋の前に来るとミネコはポケットから鍵を取り出し、開錠した。カレンはそのようすを後ろから、ミネコの手元を覗き込むようにして見ていた。

「おじゃましまーす」

 玄関が開き、ミネコよりさきに入室したカレンの目にまず飛び込んできたものはガムテープで閉じられたダンボールだった。カレンは靴を脱ぎ、壁際に積まれたダンボールの表面を撫でた。その結果、カレンの指先に埃がつくことはなかった。

「引っ越すの?」

「ああ。私も実家にね」

「……介護?」

「そう。叔母にばかり負担をかけてられないからね」

 カレンが脱ぎ散らかした靴を揃えていたミネコは立ち上がり、廊下に立っていたカレンを追い越して奥に向かった。そして、リビングの扉に手をかけたところでカレンを振り返った。

「今回のライブでマネージャーも引退だ。だから、カレン。私たち親子の夢をカレンに継いでほしいんだ」

 カレンはワンピースの裾を強く握り締め、うつむいて唇を噛んだ。

「大丈夫だよ。カレンなら」

 ミネコは笑い、リビングの扉を開けた。

 リビングの片隅にもダンボールが積み上げられており、あるものはちゃぶ台とテレビだけだった。

「床ですまない。座布団ももう片づけてしまったからね」

 カレンは頷き、ちゃぶ台の前に座った。ミネコは自分のベッドに近づき、枕元から一本のナイフを取り出し、そのナイフでダンボールの封をしてあったガムテープを切って剥がした。ミネコはぽかんとそのようすを見ていたカレンの視線に気づいて首をかしげたが、やがて得心がいったように頷き、ナイフをかざした。

「これかい? カッターよりも便利なんだ。ほら、刀身も綺麗だろう?」

 そう言ってカレンにナイフを渡した。カレンはおずおずとそれを受け取り、刀身を光にかざして見ていた。それは刃渡りがおよそ9センチのフォールディングナイフだった。十数カ所をネジで留められた無骨な持ち手は黒い強化プラスチックで、刀身も全体的に黒だったが、刃線だけが鋼色で、刃元は波打つような形状だった。ナイフの腹には筆記体の英語で銘が、刃元の上部には、山に剣が刺さったロゴマークと「GERBER」というメーカー名が刻まれていた。

 ミネコがダンボールの中身を漁っているとき、カレンは切っ先で自身の指をつつき、切れ味を見ていた。

「こら。危ないだろう」

「ハサミのほうが便利じゃない?」

「慣れれば大丈夫だ。鉛筆だって削れるんだから」

「えぇー?」と、カレンがナイフを返すと、その代わりのようにミネコはダンボールから取り出した布の袋をちゃぶ台に置き、カレンの隣に座った。

「開けてもいい?」

「もちろん」

 カレンは古びて黄ばんだ肌色の袋の紐を解き、なかから赤い靴を取り出した。靴には細かい傷が多く、留め具は取れかけており、靴底もすこし剥がれていた。しかし、三〇年経ったいまでもエナメルは輝きを失っておらず、ビデオで見た赤い軌跡をいまでも描くことができそうだった。カレンは呆然と靴を見たまま微動だにしなかった。ミネコは横から手を伸ばして靴の表面に触れた。

「修理に出したほうがよさそうだな」

「あ、うん、うん。そうする。ありがとうね、おねえちゃん」

「かまわないよ」

 ミネコは満足そうに微笑んだ。カレンは靴をまじまじと見つめ、故障箇所を点検し、靴を撫でてはその細かい傷が指に引っかかる感触を楽しみ、ほくそ笑んだ。

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