第13話

 カレンが展示スペースに入ったとき、ほかに見物客はいなかった。中は絵画を展示している美術館のように白く明るい空間ではなく、薄暗い館内に赤い絨毯が敷かれ、順路に沿って設置されたガラスの陳列ケースに日本刀が横並びにされていた。壁には展示されている品や作者の説明書きが点在していた。

 カレンはミネコに先んじて展示ケースに近づき、膝に手を当てて前かがみに中を覗いた。なかには黒を基調とした鞘に家紋の蒔絵が施され、柄は深緑色の布が巻かれていた。何が良いかを理解するまもなくカレンは次の展示物に目を移した。そこには赤一色でいっさいの飾りがない鞘に収まった日本刀があった。

「シンプルイズベストだね」

 カレンは満足げに頷き、次の品に目を移した。次の品は朱色の鞘に唐草模様の蒔絵が描かれた一品で、さきに見た刀よりも刃の湾曲が大きいものだった。どうやって抜くのだろう、とカレンは自分が刀を持っているような気分で抜刀の動作を真似た。次の品に目を移したとき、カレンは違和感を覚えて首をかしげた。違和感の正体を知りたくなり、じっくりと見ることなく次々に展示品を流し見た。そこに並んでいる日本刀はひとつとして、刃を見せているものがなかった。そこで確信を得たカレンはミネコに疑問を投げかけようと彼女のそばによるが、ミネコは真剣な目つきで展示品を眺めながら何事かを呟いていた。カレンは声をかけることをためらい、所在なさげに辺りを見回した。そのとき、壁にかかった説明書きを見つけた。

「『拵え』とは、鞘、鍔、柄の三部から成る日本刀の外装のことである」

 カレンはその説明を読み、不満げな表情でもう一度展示品を見下ろした。


 展示室から出ると壁がポスターで覆われた休憩スペースが広がっており、そこは長椅子がいくつかの列を成していて、それぞれの脇に灰皿が設置されていた。カレンは自販機に一番近い椅子に座り、そこで飲み物を買うミネコの帰りを待った。ミネコは二本の缶を持ってカレンのもとに戻ってきて、アイスココアをカレンに差し出した。

「ありがと」

「展示はどうだった?」

 カレンは手のなかで缶を転がし、横に座ったミネコのほうを見なかった。ミネコは首をかしげ、自身の缶コーヒーを開けた。

「なんか、不純な感じがした、かな」

「ほう?」

「見てて綺麗なんだけどさ、なんか違うっていうか。……なんだろ。言葉にしづらい」

 ミネコはすぐには答えず、缶を傾けた。

「本質から外れているから、かな」

 ミネコは顎に手を当て、自分のなかから答えを出そうと唸り、カレンはミネコを見上げながらそれを待った。

「私が刀……というより刃物かな。それが好きなのはそこに機能美があるからなんだ」

「機能美?」

「そう。刃物はモノを切るために存在している。つまりはそれが本質だ。本質が損なわれた、モノが切れない刃物が美しいと思うかい?」

 見たことないし、とカレンは首をかしげた。

「今日の展示物は綺麗だったけれど、それは刀の機能美による美しさではなかったから不純に感じたのかもしれないな」

「じゃあ、その本質に触れることができたら、わたしも夢中になったりするのかな」

「さあ。けれど、一度知った魅力に抗うことは難しいだろうね」

「おねえちゃんはなにを見たの?」

 ミネコはふっと笑い、コーヒーを飲んだだけでその質問には答えなかった。

「アイドルも同じじゃないかな。なにか本質を垣間見せることができたなら、見ている人を魅了できるかもしれない」

「アイドルの本質って?」

 さあ、とミネコは肩をすくめ、自分にもわからないと答えた。

「カレンはなぜアイドルになろうと思ったんだ?」

「……靴、かな」

 ミネコが首をかしげると、カレンは誤魔化すように両手を振り、適当なことばを探そうと視線を慌ただしく彷徨わせたが、やがて諦めたように手を下ろした。

「ほら、むかし、おばさんがアイドルだったときに履いてた赤い靴、あったでしょ?」

「リビングに飾ってあったやつだな」

「そう。わたし、おばさんのビデオ見てからずっと、あの赤い靴を履いてみたかったの。アイドルになれば履けるんだと思って。だから、かな」

「靴、か。あの靴か……」

「おねえちゃん?」

 靴と聞いた途端、カレンにはミネコの瞳が熱を帯びて暗くなったように見えた。不安になったカレンは上目遣いにミネコの顔を覗き込み、空いていたその手を握った。手を握られてはっと正気づいたミネコは曖昧に笑い、慈しむような目つきでカレンを見つめながらその頭を撫でた。カレンがされるがままでいると、やがてミネコはため息をつき、意を決したように手を下ろして真剣な眼差しでカレンを見つめた。

「大きくなったらあげる、なんて言っていたけれど、いまでも欲しいかい?」

 カレンがぽかんと、ミネコから言われたことばをすぐには飲み込めずに固まっていると、ミネコはふっと微笑んだ。

「本当なら、私がアイドルを諦めたときに譲るべきだったのだろうが。まあ、カレンのデビュー一周年の祝いということで」

「ほんとにいいの?」

「あんなお守りみたいなものでダンスがうまくなるわけではないけれど。それでもきっと……」

「それでも、欲しいよ」

 カレンが前のめりににじり寄ると、ミネコは目を丸くし、吹き出すように笑った。

「じゃあ、いまからうちに行こうか」

「いまから? 買い物とかしたいんだけど」

 ミネコは缶コーヒーを飲み干してから立ち上がり、空き缶をゴミ箱に捨てた。カレンが慌ててココアを飲んでいると、ミネコはそれを優しく見つめていた。

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