第2話

 殺風景な楽屋に三人のアイドルが無言で戻ってきた。扉を開けたカレンは楽屋に入るなり椅子に座って机に突っ伏した。

「わたしもうアイドルやめるぅ」

「はいはい。聞き飽きたってば」

 リョウはカレンを見ることなく彼女のことばをあしらい、クーラーボックスのなかで冷えていたスポーツドリンクを三本取り出した。一本をハナヨに渡し、それからカレンのもとに来て、伏している彼女の頬にボトルを押しつけた。

「だって、うまくできないんだもん」

 カレンはボトルを受け取らず、唇を尖らせた。結露した水滴が彼女の頬を伝って机に落ち、数滴の染みをつくった。

「先週ミスったところはできてたじゃん」

「今日のミスは下の下だったけれど」

 慰めを口にするリョウをからかうように、ハナヨはカレンを笑った。

「普通、出だし間違えるぅ?」

「そのあと持ち直したんだからいいだろ」

 カレンはボトルを手に取り、ようやくステージで流した水分を補給するようにスポーツドリンクを飲んだ。リョウはそれを見て、安心したようにため息をついた。

「もう終わったんかな」

 リョウは衣装で手を拭き、楽屋に設置された唯一の娯楽であるブラウン管テレビのリモコンを取って電源を入れた。カレンも上体を起こし、テレビを見た。

 放送されていた番組は地元の名所を巡るもので、ゴールデンタイムに放送して視聴率が取れそうなものではなかった。そして、彼女たちはその番組を欠かさず見ている数少ない視聴者というわけでもなかった。では、なぜその番組を見ようとしているのかといえば、それは三人が揃ってテレビに出演した珍しい回だったからだ。

「ねえ、なんだか爪先が痛いわ。爪が伸びてきてるのかも」

 ハナヨは椅子に腰掛けてシューズを脱ぎ、椅子の上に体育座りした。それから靴下も脱ぎ、足の指を一本ずつ順番にマッサージするように触って確かめていた。

「ねえ、ほら、リョウちゃん。爪が長くなってる。切らないと靴下に穴があいちゃうし、踊ってるときに割れるかもしれないわぁ」

 リョウとカレンはハナヨを見向きもせず、緊張した面持ちで残り一〇分となったその番組を見た。しかし、映っていたのはハナヨばかりで、彼女に続いてコメントしていたはずのリョウやカレンはカットされていた。番組が終わったとき、リョウは顔をしかめ、カレンはため息をついた。

「ハナヨさんばっかりだったね」

「今回は手応えあったと思ったんだけどなぁ」

 カレンは腕を枕にして再び机に伏した。

「わたしだって、練習ではうまくできるんだよ」

 はいはい、とリョウは机に腰掛け、横にあるカレンの頭を乱暴に撫でた。

「反省会ってことでさ、いまからご飯食べに行かん?」

「おねえちゃん来てるから無理だよ」

「過保護ねぇ」

 体育座りのまま、少し伸びた手の爪を照明に透かして見ていたハナヨはその手を下ろしてふたりを見やり、面白い冗談でも思いついたと言わんばかりににやついた。

「恋人なの?」

「幼馴染ですぅ」

「やめろよそういうの」

 リョウが睨むようにハナヨを見ているなか、カレンは起き上がることなく両腕を正面に伸ばしてできる範囲で机の上を転がるように体を左右に揺らした。

「ミネコさんも誘えば行けんじゃね?」

「おねえちゃん外食嫌いだし」

 ふうむ、とリョウは腕を組んで唸り、なにごとかを考え始めた。そのとき、廊下から足音が聞こえてきた。

「おねえちゃん、来たっぽいね」

 その音はだんだんと大きくなり、楽屋に近づいてくる。

「隠れよう」

 リョウは寝転がっているカレンの腕を掴んで立ち上がり、そのまま部屋の隅にある更衣室まで引っ張り込んだ。

「うまくごまかしといて」

 リョウがハナヨにそう言うと、ハナヨは親指を立てて了承を示した。リョウが首を引っ込めてカーテンを閉じると、ふたりはあまり広いとはいえない空間に重ねるようにして収まった。

(顔、近っ!)

 しー、とリョウは指を口にあて、いたずらっぽく笑ってウィンクした。

「うまくいったらご飯に行こうや。約束したっきりじゃん?」

 覆いかぶさってくるリョウを上目遣いに見ながらカレンが頷いたとき、楽屋の入口からノック音が聞こえ、扉が開いてミネコが入ってきた。

「お疲れ様。おや、ハナヨ。君だけか」

「あなたに嫌気が差したんですって」

 ハナヨは笑いをこらえるように、少し震えた声で答えた。カレンは見えないながらも激しく首を振り、ハナヨのことばを否定した。抗議に行こうと更衣室から出ようとすると、声を殺して笑うリョウに取り押さえられた。

「まあまあ、もう少し我慢しなって」

「でも、変なこと言われたら嫌だし」

 ミネコは不愉快そうに眉間にシワを寄せ、パイプ椅子を引き出してそこに座った。

「居座るつもりかよ」

 椅子が軋む音を聞いたリョウは舌打ちし、カーテンの隙間から外のようすをうかがえないか確かめた。

「追い返してくれー。ハナヨさん。あんたが頼りなんだよー」

「もうやめよう? いまなら怒られないって」

 祈るように呟いていたリョウは自分に倣って外を覗こうとしたカレンの額を押し、カレンを更衣室の奥に追いやった。

「追いかけなくていいんですか? リョウちゃんに悪いこと覚えさせられるかもしれませんよ?」

「しねーよ、そんなこと」

「カレンはきっと戻ってくるよ。私を困らせるようなことができる子じゃないからね」

「相変わらず気持ち悪いですねぇ」

 ふん、とミネコは鼻を鳴らし、ポケットから携帯を取り出して電話をかけた。すると、更衣室に置かれていたカレンのバッグから携帯が鳴り出した。

「電源切っとけよ!」

 カレンが慌ててバッグを開いて携帯を取り出したとき、更衣室のカーテンに携帯を耳に当てている人影が写った。

「カレン。そこにいるのかい?」

 カレンがリョウを見ると、着替え中だ、と身振り手振りで表現していた。

「うん、うん。ちょっと着替えに手間取ってて」

「そうか。手伝おうか?」

「ううん。大丈夫」

 着信音がやみ、ミネコの影も携帯を耳元から下ろした。リョウとカレンはほっと胸をなでおろすが、ミネコは更衣室の前から立ち去ろうとしなかった。

「リョウも一緒かい?」

 リョウは激しく頭を振り、腕でバツ印を作って否定した。

「ひとり、だよ? なんで?」

「ふさがっている更衣室がひとつしかないんだ」

「……嫌気がさしたんだって」

「そうか。いま出てきたら、より厳しいレッスンだけは勘弁してやろうと思っていたんだがな」

「わかったってば!」

 リョウが勢いよくカーテンを開けると、ミネコは満足そうに微笑んだ。

「それでいい」

 ミネコは頷き、パイプ椅子に戻った。

「カレン。帰るから早く着替えなさい」

 はーい、とカレンが元気のない声で答え、リョウは更衣室から出てその隣に入っていった。

「なあ、ミネコさん。いまから飯行かん? 反省会しよーや」

「ダメだ。カレンは明日学校なんだから」

「あたしだって学校だよ」

 リョウが呟く文句を聞きながら、カレンは衣装のネクタイを緩めてからシャツのボタンを外し、スカートのベルトに手をかけた。

「今日は失敗もあったが、総合的にはいいほうだったよ」

 ミネコは静かな声でそう言った。もしもふたりを隔てる壁がなかったら、ミネコはカレンの頭を撫でていただろう。

「マネージャーが甘やかすから成長しないんですよ」

「甘やかしているつもりはないよ。正当な評価だ」

「おねえちゃん目線だとそう見えるんですねぇ」

 からからと笑うハナヨの声を聞き、カレンはため息をついて鼻水をすすった。

「ハナヨさんもさっさと着替えなよ」

「リョウちゃんが着替えさせてぇ」

 ハナヨがそう言いながら更衣室に向かって手を伸ばすと、リョウはカーテンから顔だけを覗かせ、舌を出した。

「つれないわねぇ」

 ハナヨは裸足のままぺたぺたと足音を立てて更衣室まで歩き、リョウがいる部屋のカーテンを開けた。

「こっちくんなよ!」

「あらー。いつものくせで」

「奥の部屋がいいから替われって言ったのあんただろーが」

 リョウに蹴り出されたハナヨはにやつきながら奥の更衣室に入っていった。

「やれやれだな」

 ミネコは眉間をマッサージするように揉み、ため息をついた。

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