番外編1 母娘


 ビアンカの母親スザンヌは王都など若い頃に一度訪れただけで、ずっと田舎の領地で細々と暮らしてきた。ビアンカの挙式一か月前、収穫前の忙しい時期に無理をして上京してきたのは娘の新しい養母、テレーズの勧めが切っ掛けだった。


 幸福を掴んだとはいえ、急激な環境の変化に戸惑っていると思われるビアンカの側で、嫁ぐまでの少しの間だけでも彼女を支え、育ての母として最後の役割を果たしたいからであった。




 スザンヌの記憶にある二十年以上前の王都よりも、今の都はずっと賑やかに華やいでいる。今上陛下の御代になってからは近隣諸国とも関係は良好で、国境近辺で小競り合いも戦もなく平和な世を謳歌しているからだろうか。




 ビアンカを養女としてボション家に引き取るまでは、優しい夫ポールと二人で幸せではあったが、自分たちにはどうして子供が授からないのだろうと常に後ろ向きな考えに囚われていた。


 子供を持つだけが結婚生活の全てではない、と頭では理解していたし、ポールも同じ考えだった。


 あの冬の日、教会でジェラール牧師が腕に抱いていた小さな赤子を見た瞬間、スザンヌはこの子は神が自分たち夫婦に遣わしてくれたに違いない、と不思議な確信を持った。しかしこの赤ん坊を自分たちの子として育てたい、と中々ポールには言い出せなかったスザンヌだった。


 その日以降毎朝ジェラールを手伝い赤ん坊の世話をし、ボションの町で赤ん坊のいる母親のところへもらい乳をしに行き、と忙しくしている彼女にポールは何気なく言ったのだ。


「スザンヌ、君はまるでこの赤ん坊の育ての母だね」


 その言葉に二人はお互い見つめ合った。


「いっそ私たちの娘として育てようか?」


「よろしいのですか、ポール? 私この子を一目見た時からそうしたいと思っていたのですが……何だか言い出せなくて」


「この子のために奔走する君を見ていれば分かったよ」


 こうして捨て子の赤ん坊はボション男爵の長女ビアンカ・ボションとして引き取られ、両親の愛情を一身に受けて育った。




 スザンヌは王都ではビアンカが養女に入ったルクレール家に滞在させてもらうことになった。


 ビアンカはもちろん、アメリも彼女との再会を大層喜んだ。侯爵夫人のテレーズとスザンヌは身分の違いも越えてすぐに意気投合した。元々テレーズは社交好きで、誰とでもすぐに親しくなれる性格である。


 そして式までの間、女性達は式の準備に買い物にと楽しい日々を過ごすことが出来た。ビアンカはスザンヌが思っていたほど新生活に向けての不安はないようだった。


 ただ身分違いのクロードに嫁ぐと決まってからは周囲から色々とやっかまれたりしているようである。何せクロードは公爵で、年頃の娘を持つ貴族の間では『娘を嫁がせたい男性候補』堂々の第一位に輝いているのだ。


 そんな男性がいきなりぽっと出の田舎出身の侍女にさらわれるとは周りも納得しないだろう。しかも、王妃の実家に養女に入ってまで、である。彼女の不思議な白魔術は世間にはあまり知られてないため、怪しい妖術でクロードを陥れた、など言われたこともあるらしい。


 ビアンカは過保護なクロードから魔術塔の外では一人で歩くことを禁じられてしまい、随分と窮屈な思いをしている。しかし彼女自身はクロードと結ばれることがただ嬉しくて、彼が考えるほど周囲の雑音は気にしていないのである。


「お母さま、あまり心配しないで下さい。私は大丈夫です。もういじめられて泣いていた小さなビアンカではないのですから」


「まあ、そんなこともあったわね」


「ええ、懐かしいです」


 ボション領にやって来たクロードは礼儀正しい青年だった。公爵位を持ち、魔術院副総裁という高い地位に居るというのに、ただの貧乏田舎男爵のポールに深々と頭を下げ、土下座せんばかりの勢いで『お嬢さんを下さい』とくるものだから返ってこちらの方が恐縮してしまった。


 アメリやテレーズによるとクロードは普段は部下にも自分にも非常に厳しく、怖い雰囲気をまとっているものだから鬼の、とか泣く子も黙る、とか形容されるらしい。しかし、スザンヌが見る限り、ビアンカに限りなく甘く優しい青年である。二人の仲睦まじさは何とも微笑ましかった。


 養子縁組や婚姻許可なんて書類を送るか、使者を遣わせばいいものを、クロード自身がわざわざ南部のボション領までやって来たのである。スザンヌ達は彼の訪問に腰を抜かしそうになったと同時に感動もしていた。ビアンカがわずか十歳で何としてでも王都に出て行く決心をしたのも、この素晴らしいお方の為なら理解できる、と。




 挙式まで一週間に迫るとビアンカの他の家族全員も王都に出てきた。彼らをビアンカは暖かく迎えた。


「お父さま、みんな、お母さまを先に王都に来させてくれてありがとうございました。久しぶりにお母さまを独占出来たわ。赤ん坊の頃以来よ」


 ポールは大きい平たい包みを大事そうに抱えていた。


「お父さま、その包みは旅行鞄の中に入らなかったのですか?」


「いや、これは傷を付けたくなかったからだよ」


 ビアンカはルクレール家かテネーブル家に土産でも持ってきたのだろうと考えていた。その後ボション一家を迎えて賑やかになったルクレール家の居間にポールはその包みを持って来て、丁寧にその梱包をほどいた。


「ビアンカ、家族皆からお前に婚礼のお祝いだよ」


「まあ、何でしょう」


 それはポールが数か月かけて完成させた二枚の絵だった。一枚目はボション一家の肖像画でビアンカも含めた子供四人が椅子に腰かけた両親を囲んでいる。


「王宮の有名な絵師に描いて頂いたお前の姿絵のような名作じゃないが」


 ビアンカは感動で言葉が出なかった。


「お姉さまが他の家に養女に入っても嫁がれても私たちは家族ですからね」


「もちろんよ……」


 二枚目は若い女性が腕に抱えた小さな赤ん坊に、さも愛しそうに微笑んでいる絵だった。


「これは……私を抱いているお母さまですか?」


「うん。今でも昨日のことのように思い出すよ。初めてビアンカを腕に抱いたお母さまは、私がそれまで見たスザンヌの中で一番美しかった」


「まあ、ポールったら……」


 ビアンカはたまらず涙を流しながらポールに抱きついた。


「お父さま、ありがとうございます。この二枚の絵はどんな贈り物にも勝ります」


「お礼を言うのは私達の方だよ、ビアンカ……私たち一家にたくさんの幸せを運んできてくれて……」


 ポールも涙をボロボロ流し出し、言葉が続かなかった。


 その場に居たルクレール家の面々、アルノーやテレーズはもちろん、なんとジェレミーまでもが涙ぐんでいた。食事の支度が出来たと知らせに来た執事にも同様であった。




 この二枚の絵はビアンカが嫁いだテネーブル家に今も大切に飾られている。



***ひとこと***

時系列的に本編「第二十話 運命の丘」頃の話です。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る