魔術師

第九話 異動


 翌朝ビアンカはいつも通りに王太子の居室で勤務していたが、昼休みに女官長室に呼ばれた。そこでリゼットに配置変えの話を聞かされる。


 今までは少しでも実家の家計を助けたくて、侍女の仕事の後に夕方から掃除等の下女の仕事も時々入れていたビアンカであった。アメリは掃除婦に加えさらに舞踏会や晩餐会の給仕もしていた。


 副総裁室に午後勤めるようになるとクロードの残業に合わせることもあり得る。夜の業務は禁止されてしまったが、給与は今までの五割近く上げてもらえることになった。


 そして魔術塔にある副総裁室に連れていかれた。


「女官長さま、私は今日からいきなり副総裁室勤務を始めるのですか? 個人的にはその、あの方のお側に居られるのは素直に喜びたいですけれど、不安の方が大きいです」


「これも王妃さまの采配です。最初は侍女の仕事とそう変わらないことしかしなくてもいいと保証します。まあ確かに五歳の王太子殿下より気難しい上に我が儘でいらっしゃいますから、かなり手を焼くことは覚悟なさい」


「五歳児と比べてなくても……」


「貴女がお側にいることで副総裁が少しでも丸くなれば魔術院の、しいては王宮全体の平和につながります。そして魔術塔裏の森の緑化にもなります」


「緑化でございますか?」


 クロードは機嫌が良いと植樹でもするのか、と天然思考のビアンカが緑化について尋ねようとしたところで二人は副総裁室に到着した。




 リゼットが扉を叩き、若い魔術師が二人を部屋に招き入れる。彼とクロードはある古代魔法陣について話し合っているところだったらしい。


「ああ、よくいらしてくれた。すぐに終わるからそこへ座って待っていてください」


 クロードは執務室から少し顔を覗かせてそう言ってビアンカに微笑んだ。


 普段は鬼上司である副総裁の珍しい表情を目撃してしまったこの若い魔術師、ノルマンはまるで幽霊でも見たかのように一瞬固まってしまった。


 そして彼はビアンカの方に向き直り何度も瞬きをしながら彼女を観察し、我に返り慌ててクロードについて奥の執務室に戻った。


 数分後いくつもの巻物や書類を抱えて部屋を出て行ったノルマンだが今度はまるで狐につままれたような顔をしていたのだった。


 事情を知るリゼットでさえクロードの柔らかい表情には驚いたのだ、無理もない。




 ノルマンが退室し、三人になったところでリゼットが口を開く。


「王妃さまのご提案により、ビアンカをこちらに世話係として毎日午後派遣することにいたしたいのですが、いかがでしょうか? 新しい補佐は未だ手配できずにおりますので」


 クロードは少しびっくりしたように目を見開き、ビアンカを優しい眼差しで見つめながら言った。


「何と言ったらいいのか、ただ嬉しい」


 リゼットにとってそんなクロードはまるで別人になったようで、彼女は呆れきった。


「では公爵、ビアンカ、私はこれで失礼して、フォルタン総裁がおられたらご挨拶してから本宮に戻ります」


「リゼット、この配置替え、深く感謝する」


「お礼なら王妃さまに仰ってください。たまにはお茶のお誘いにもお答えになって、お顔を見せにお越しくださいませ。あれでも公爵のことを大変心配しておいでですので」


 リゼットは副総裁室の扉を開けたまま去って行った。




「その、ビアンカ嬢、貴女を再び気絶させるわけにはいかないから、暫くは私から貴女に触れないと誓う。昨日の今日で自分でも魔力を制御できるかどうか自信がないのだ」


「あの、私気分が悪くなって倒れたのではございません。むしろその逆と言いますか、副総裁さまのお手が触れたところから暖かいものが流れ込んできて、このお腹の下の辺りがぽわーっと……」


「もういい、それ以上言わなくても。私も同じように感じたから分かる」


 クロードは顔が真っ赤になっている。


「と、とにかく副総裁さまに触られるのが嫌なわけではないのです」


 ビアンカの顔もつられて赤くなった。そんな彼女が可愛らしくてたまらなく愛おしいクロードだった。


「貴女の存在が常に近くにあるという状態に慣れたら手を握っても平気になると思う」


「私も早く慣れるようにします。どうぞ、私のことはビアンカと呼び捨て下さいませ」


「では、私のこともただクロードでいい」


「はい、クロードさま」


 ビアンカに微笑まれながら名前を呼ばれた王宮魔術院副総裁は29歳のいい大人であるが、いずれはビアンカと手をつないで、それだけでなくあれもこれも、と妄想してしまうのであった。


 彼にとってこの状況で手も触れられないとは拷問に近い。絶対すぐに慣れてやると決意を新たにしていたクロードである。




 その頃、魔術塔の階下で魔術師たちがノルマンを囲んでいた。


「ノルマン、お前それ絶対過労で疲れてるんだよ」


「仕事しすぎは認めますよ。だってこの魔法陣の案件を副総裁に許可頂けるまではゆっくり夜も寝られませんからね。でも実際この目で見たのですよぅ」


「まあまあ、少し落ち着け」


「これが落ち着いていられますか! 女官長がお連れだった侍女らしき女性に、副総裁が微笑みながら『そこで待っていてください』なんて敬語でお言葉をかけていたんですよ」


「だからぁ、それはお前の幻覚だよ。女官長が連れてくるとしたら侍女じゃなくて文官だろ、普通。誰が信じるかっての。それか、あれだな、副総裁はあまりにも表情筋をお使いにならないから、微笑みじゃなくて痙攣してたとか?」


「そう言えば私は昨朝、副総裁が鼻歌を歌いながら魔術塔に向かっていたところを見かけたわ」


「鼻歌? ないない。新しい呪文か鎮魂歌でも口ずさんでおられたんだよ!」


「ところでノルマン、その例の魔法陣の件は終わったの?」


「だから、女官長がその侍女の方を連れてこられたので、副総裁がそそくさにお開きにされて僕また明日の朝出直しになってしまったのですよー! 今晩も眠れそうにありません、とほほ」


「お前の為に明日も副総裁が機嫌のいいことを皆で祈っておいてやるよ」


 彼らがノルマンの証言が本当だった、ということが分かるのに二日もかからなかった。




***ひとこと***

新米魔術師ノルマン君、憎めないキャラです。

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