第五話 副総裁

― 王国歴1028年


― サンレオナール王宮



 ビアンカが念願の侍女として勤めだして早や一年弱が経った。魔術塔の最上階に近いこの一室を除いて、サンレオナール王宮は今日も平和だった。


 しばらく前に魔術院副総裁の執務室の扉を叩いて入ってきた、ナントカ侯爵は執務机で書類に目を通しているクロードと机を挟んで向かい側に立っていた。この侯爵、入室時にもちろん名乗ったのだが、ジャン=クロード・テネーブル副総裁はもう覚えてないし覚える気もなかった。


 クロードは椅子をすすめるでもなく忙しそうに書類をめくる手を止めない。


「閣下におかれましては本日もご機嫌麗しくておられますようで……」


「用件は?」


「はい、この頃は誠に天候も暖かくなり……」


「さっさと用件を言え、そなたの長々しい挨拶を聞いている暇は私にはない」


「ははっ、では」


 すると侯爵は両手に抱えた何枚かの令嬢の姿絵をクロードに見せ始めた。


「閣下、こちらが我が長女今年で18になります。そしてこちらが次女もうすぐ17でございます。先日29歳におなりになった閣下もそろそろご婚約ご結婚、お考えではないかと思い、ええ本日はこうして姿絵を持参したわけでございます」


 クロードはナントカ侯爵を一瞥しただけでまた書類を読み始める。


「閣下、御父上と御母上も公爵家の跡継ぎとなる男子の誕生を心待ちにしておられるのではないでしょうか。我が娘どもがお気に召さなければ、それではこちらはどうです? 私の姪です。あ、そしてこちらももう一人の姪でございます」


 ここでバシッと書類を机に叩きつけるクロードだったが、侯爵はたたみ掛けた。


「我が家系は女子が多いですが、決して女系一族と言うわけではありませんで……いかがでしょう、閣下、選り取りみどりでございますよ」


 侯爵を睨みつけながらクロードは口を開いた。


「私が黙っているのをいいことに、好き勝手なことをベラベラと続けおって。いいか、今日の俺はいつもに増して機嫌が悪い。今にも無意識のうちに攻撃魔法が発動しそうなのだ。お前にも選択肢を与えてやろうか。炎に氷、毒もしくは雷のどれがいい? 選り取りみどりだぞ」


「ひぃー、どれもご免こうむりますー」


「偶然だな、お前の質問に対する俺の答えも同じだ。分かったらとっとと失せろ」


「し、失礼いたしました!」




 侯爵が去った後クロードはため息をつき、使いをやってリゼット女官長を執務室に呼んだ。


「リゼット、何とかしてくれ。補佐が居ないと今日みたいなナントカ侯爵が勝手に執務室に入ってきて、娘の姿絵展覧会を勝手におっ始めるのだ。早く結婚しろ、跡継ぎを作れ、と公爵としての義務の講義までし出す」


 リゼットは思わず、正式にどこかの令嬢と婚約してしまえばこの類の来訪はぱったりと止むでしょうに、と言ってやりたかったがやめた。


「公爵、あのですね、副総裁室の補佐が長続きしないから私も後任を探すのに苦労しているのです。新しい人物を配属してもすぐに公爵が暇を出されるか、補佐の方が公爵に恐れをなして辞任するかではございませんか。それに公爵のお眼鏡に叶うような人材は中々おりません」


「私はただ男でも女でも普通に職務が全うできる人物を、と言っているだけだ。ああ女だったら私に妙な期待を抱かず色目を使わない、という条件も付く」


「公爵のおっしゃる仕事が出来る人間というのは高級文官の水準でございますよ。そう簡単には参りません。それにいつもご機嫌の悪い公爵に対して色仕掛けで迫る女性など、かなり度胸の据わったある意味逸材でございます」


「逸材と思うなら、陛下付きにでもしておけ。私はいらん」


「はぁ、頭の痛いことですわ! ところで今日も朝から執務室周りに、私の眼にも見える黒いものがもくもく湧きあがっておりましたね」


 そう、クロードは自身の怒りが周りに黒雲になって現れ、魔力のない者にもそれが見える時は怒りが頂点に達する寸前だという事は王宮内では有名だった。


 ちなみに彼の堪忍袋の緒が切れてしまうと黒い雷が落ちる。クロードもさすがに人身事故は起こしたことはないが、王宮の北側に位置する魔術塔の裏の森には倒木やら焼け焦げの跡がポツポツとあるのだ。


「公爵のご希望に添えるよう善処いたします。お急ぎなのは存じておりますが、少々お時間を頂きます」


 リゼットは大きなため息をついて頭を抱え込みたいのをこらえ、完全な棒読みでそう言い放った後、執務室を後にしたのだった。




***ひとこと***

サンレオナール王宮は今日も平和です。

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