第2話 不死身の猫


チリリリリリン


おぞましい目覚めしベルによって、今日も朝早く起こされる博。

昨日酔っ払って、そのまま寝たせいで頭がガンガン痛む。二日酔いだ。


昨日の出来事があまり思い出せない。

まあいい...それより仕事に...


博は布団の枕元に置いてある目覚めし時計をみて、何時かを確認する。

その瞬間、たるんでいた目が覚醒するように復活して、ついでに二日酔いも吹っ飛んだ。


「ええええぇぇ!?なんで8時!?」


平日の朝はいつも7時起きと決まっている。それなのに、昨日は酔っ払っていたせいで、1時間遅く目覚ましをセットしてしまった。


やばいやばいやばいやばい!


博は強引に枕元に置いてあるメガネを拾ってかけ、光の速さで準備をして仕事場に向かった。



「はぁ...はぁ...はぁ...なんとか間に合った」


会社のオフィスで自分の席に座り、ようやく一呼吸できた。

冬だというのに、額から大量の汗が流れている。


「田淵くん、ひどい汗だよ?大丈夫?」


隣の席に座る女性、加藤 千春が花柄のハンカチを指し伸ばしてくれる。


加藤は、博と同じ時期に入社してきた数少ない同僚でもあった。


彼女は、会社の中では1番美人で何回も合コンにも誘われているが、断っているところしか見たことがない。

もしかしたら既に彼氏がいるのか。


そう思うとその彼氏が少し羨ましく思うが、そこまで加藤に想いがある訳では無いので、すぐに諦めがついた。


加藤は美人な上にお世話焼きでもあって、頻繁に博を気遣ってくれている。


しかし、さすがに女性の絢爛なハンカチを汗だくな自分の顔を拭うには抵抗しかなかった。


「え?いやいいよ!そんなハンカチなんて勿体無いない!」


博はそう言って、スーツを纏った腕で額の汗を拭いた。


「あ、もうコラ、スーツで拭いたらシミになっちゃうでしょ?いいからこれで拭いて、別にそんなの気にしなくていいから」


加藤は強引に腕を指し伸ばしてきた。

これ以上ハンカチを拒んでも、この女性は折れないだろうと思い、渋々そのハンカチを受け取って額を拭った。


「ありがとう、絶対洗って返すよ」


「いえいえ、どういたしまして」


博の汗臭が染み付いた花柄のハンカチを、机の下に置いてあるカバンに入れようと手にしたところで、体が固まった。


な、なんでカバンの中に猫が!?


博のビジネスバッグに、灰色の小太い猫が丸まって寝ていた。


通りでちょっと重かったわけだ。


その時、やっと博の中で記憶が蘇ってきた。


夜の公園...小太りした猫...喋る猫...


「ちょ、トイレ行ってくるね!」


「あ、いってらっしゃい」


慌ててカバンを持ってトイレに向かう博に加藤は手を振った。





「なんでお前がここにいるんだよ!」


博はトイレの個室で鞄の中で丸まる猫に大声をあげた。


すると、灰色の猫は鞄の中でビクッと体を起こして鞄から飛び出し、荷物置きの棚のようなところに着地した。


「んにゃぁぁぁ!なんじゃ!ビックリするじゃろーが!」


ほ、ほんとに喋りやがった...


昨日は酔っ払っていて事の凄さに鈍感だったが、今実際に聞くと少々吃驚していた。


「お前なんでこんなところにいるんだよ」


「1人じゃ寂しいじゃろーが、猫は孤独が嫌いなんじゃ」


「頼むからみんなの前では大人しく鞄の中そこにいてくれよな、大事にはなりたくない」


「そんなのわしから願い下げじゃ、大人しくしているつもりじゃ」


なんとか和解し、デブ猫を再びカバンに入れて、チャックを閉めようとした時に猫は言った。


「あ、帰りに高級キャットフード買ってにゃん?」


博は、黙ってチャックを閉めた。





「おおっ田淵、お前今日飲んでいくか?」


オフィスで帰り支度をしていると、中原がスーツを肩にかけ飲みに誘いに来た。


「悪いけど、今日はちょっと用事があるんだ」


博は椅子を机の奥に入れ、重い鞄片手にしながら断った。


「そっかぁ〜ならしょうがねぇな、加藤はどうする?」


「私も今日はちょっと無理かな、ごめんね」


加藤も博と同じように帰り支度をしながら、中原の誘いを断る。


「なんだよ、2人とも無理なんかよ、まさか2人でデートか!?」


中原があからさまに目を大きくして驚いて見せている。

本当にそうだったらいいのにな。

不幸にもこの後、鞄の中にいる謎の猫に話さないことがたくさんある。


「ははっ、違うよ、ただほんとに家に早く帰らなくちゃならないの」


どうやら、加藤はデートではないらしい。そもそも本当に彼氏がいるのかは知らないが。


「なんだ、ちげーのか、まぁいいや、じゃあ2人ともまた明日な」


中原が背を向け、格好つけた刑事のように片手を挙げあばよのポーズを取った。


「なら、俺も帰るね、じゃっ」


「うん、またね」


博も加藤に別れを告げると会社を出た。




帰路を歩いている途中、鞄にいる猫が執拗にキャットフードを催促するので、渋々博はスーパーに寄っていた。


はぁ、まさかスーパーでペットコーナーに来る日が来るとは。


博は昔から、犬や猫といったペットには興味がなく、飼うことはないだろうと思っていたので、今日がデビュー日だ。


安いやつでいいか。


餌の中で1番安いヤツを探し出して、それに手を出そうとした瞬間、隣から伸びてきた手と接触してしまう。


まるで、学校の図書館で起こるラブストーリーの展開のように。


「あ、すみません」


お互いがそう謝罪し、相手を確認すると、そこにはついさっきまで一緒だった加藤がいた。


「って加藤!?なんでここに?」


思わず裏声になってしまって恥ずかしさが込み上げてきた。


「田淵くんこそ!え、もしかして猫飼ってるの!?」


「いや、俺はその...なんていうか...」


その時、鞄の中でもぞもぞと動いてることに気づく。

博は慌てて、手で鞄を叩く。


「いてっ」


鞄の中から、おっさんの声が漏れた。


「なに今の声」


「ははは、なんのことかな?それより加藤も猫飼ってるの?」


不審に思ったようだが、すぐに加藤は猫の話に夢中になった。


「うん!そうなの!今日飲み会行けなかったのは家でランちゃんがお腹空かしてるからなの」


「ランちゃん?」


博はオウム返しで聞き返す。


「あ、私の飼ってる猫の名前よ」


「へぇ〜!そうなんだ!」


また、鞄の中であの猫がごそごそさっきより激しく動いている


こいつ...いい加減に...


さすがにおかしいと思ったらしい加藤が問い詰めてくる。


「ねぇ、そこになにかいるの?」


「あ、いや、いないよ?」


博は慌てて鞄を抑えつけるが、猫は動きを止めず暴れてる。


「死ぬ!死ぬ!」


鞄の中から、死神のような声が聞こえてくる。

内側からドンドンと叩いてるのが分かる。


「今死ぬって...」


「ははは...」


もうダメだ...


博はそう悟ってチャックを恐る恐る開けると、それと同時にでっかい頭が飛びだしてきた。


「ぷっはぁぁぁぁ!!!死ぬところじゃったわ!アホか!お前!酸素なくなったわ!殺す気か!?」


ペットコーナーでおっさん猫の声が響き渡る。


「バカ、お前声出すな!」


猫はしまったと2つの肉球で自分の口を覆う。


博が、界隈を見渡すが、幸いにも誰もいない。1人を除いては。


「え、猫が...猫が喋った...」


加藤が信じられない目でこっちを見据えている。


やばい...どうしよ...


そう思ったが、思いもよらない展開に広がっていった。


「す、すごい!こんな猫がいるなんて!私猫愛しすぎて、やばいくらいで、猫オタクなんだけどこんな猫初めてだよ!」


「お、おお...」


加藤はまるでおもちゃに飛びつく子供のような輝く目で小太りの猫を見ていた。


こんな加藤を見るのは初めてだ。


博は苦笑していた。この猫も困惑の表情を浮かべて博に顔で助けを求めてくる。


「これ、田淵くんの猫!?」


「う、うん、まあね、まあ俺の猫というかなんというか、拾ったというか付いてきたというか」


なんて説明をしようかと考えていると、加藤がとんでもないことを口にした。


「ねぇ!私の家にこない!?」


世界の時が止まったのかと思った。

それほど、博は硬直状態になってしまった。

数秒後、やっと金縛りは開放される。


「ほへ?」





ここが、加藤の部屋...


気づけば博は、吸い込まれるようにここまで来ていた。

加藤の家に一緒に行くまで、彼女は猫のうんちくやランちゃんについて飽きるほど話したり、この小太りの猫に興味津々で話しかけていたが、博はそれどころではなかった。


お、お、お、女の子の家に...


何気に博にとっては、初めての経験だった。


博は小学生時代にも女子の家に遊びに行ったことのない腰抜けな男だった。


それが今、これから博は初めて女の子の家に行くことになっている。


この猫のおかげで!


興奮しすぎて、もし同じ社員に見つかった時の心配すら忘れたまま、加藤のアパートの部屋にたどり着いたわけだが。


加藤の部屋の内装は、思ったよりも普通でイメージとは違った。もっとぬいぐるみや女の子らしいものが置いてあると思ったのだが、そんなものはなかった。

代わりに、白い猫の写真があちらこちらに飾られている。


この白猫がランちゃんという加藤の飼い猫なのだろうか。


いや、そんなことはどうでもいい。


ああ、なんていい匂いなんだ。加藤の匂いがする。

変態と思われない程度に鼻の穴を膨らまし、なるべく加藤の細胞を鼻に取り入れていく。


「ねぇ、田淵くん」


加藤の声で、慌てて鼻の穴の大きさを元に戻すと『なに?』と返事をした。


「その猫ちゃんの名前なんなの?」


「名前?」


そう言えば、こいつの名前はなんだ。


今更になって、名前を聞き忘れていたことに気がついた。


視線を横下にいる猫にやる。


猫は何故か、ここに来てから神妙な顔つきをしていた。


「そ、そういやお前名前なんで言うんだ?」


「え!?なんで田淵くん知らないの!?」


予想通りの加藤のリアクションがくる。


「いや、実はこの猫拾ったの昨日なんだよ」


博は、はははと頭を掻きながらそう言った。


「んにゃ?わしか?そういや言っておらんかったな...わしゃは...」


そこまで言いかけていた猫の発言を遮るように、部屋の奥から可愛いらしい猫の鳴き声が聞こえてきた。


反射的に目線をそこにやると、さっき写真でみた白猫がこっちに「にゃ〜」と鳴きながらトコトコと歩いてくる。


「あっランちゃん!ただいま」


ランちゃんは、この小太りの猫と比べモデル体型をしていて、飼い主にて美しい。

思わず、隣にいる猫と見比べてしまう


さぞ、猫界ではモテモテなんだろうと思った。


ランちゃんが、小太りの前に立つと「にゃ〜」と鳴いた。


「んにゃ!?なんてことを言うんじゃ!」


突然、デブ猫が声を荒らげた。


「どうしたの?猫ちゃん」


「お主!名前を加藤とかいった?ちゃんとこの猫の教育はしているのか!?」


「どういうことだよ?」


代わりに博が訊いた。


「この白猫、わしにデブと言って笑ったぞ!」


「ぶはっ」


思わず博は吹いてしまった。

加藤も我慢しているようで、肩を震わせ笑いを堪えている。


「お前らもなにわらっとんじゃ!ドアホ!」


「いやだって、お前笑その体笑、そりゃあそうなるよ笑」


博は目に涙を浮かべ、腹を抱えながらそう言った。


小太り猫は怒りの表情を浮かべている。


「わしゃ!あの徳川家康に飼われていた天(あま)じゃぞ!」


博と加藤は目に涙を浮かべ、大爆笑をしていたが、その言葉を聞き、思わず動きが止まってしまった。


「え、え!?徳川家康ってあの徳川家康か!?」


「そうじゃ、わしはあの徳川家康の飼い猫じゃ、天という名も家康がつけてくれたのじゃ」


「ほ、ほんとなの?」


加藤が信じられないようで、天に訊き返す。


「ほんとじゃ」


そう言って天は、ランちゃんにドヤっと見下ろすように上から眺めた。


ランちゃんは「なにいってんだこいつ」というよな顔をしている。

どうやら、これっぽっちも信じていないようだ。


「はっ!思い出したぞ!」


またまた、天が突然大きな声を上げた。


「今度はなんだよ」


博がめんどくさそうな顔を浮かべて訊いた。


「この匂い、どっかで嗅いだことあると思ったら!お前!」


天が、ギロっと加藤を睨めつける。


「え、え?どうしたの?」


加藤が、困惑な顔を浮かべ天の目をみる。


「お主、200年前くらいにわしに不死身の呪いをかけたあの占い師の匂いとそっくりじゃ!さては、お主、あの者の家系の人間じゃな?」


「え、え?」


加藤がさっきより困惑する。


「不死身の呪い?お前、その占い師に呪いをかけられて不死身になったってのか?」


「うむ、そうじゃ、あの忌々しい魔女め...絶対に許さん!」


天がプンプンと怒ってじたばたしている。


「確かに、私の家系の人は占い師をしている人が多いです」


「やっぱりそうか!ならお主!その魔女の血を継ぐものならわしの呪いを解くことができるかもしれん!なんとかしてくれぬか!」


加藤は、さらにさらに困った顔をしていた。


その頃、ランちゃんはどうでもいいように、自分の肉球を舐めていた。


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