20160918:どんぐりの木の下で
チコは掲げられた帽子を見上げた。
ちぃちぃ。ちぃちぃ。仲間達が集まり、帽子を被っては取るを繰り返す。被れるもの。ぶかぶかなもの。きつそうなもの。残念そうに、ちぃ、と啼く。
そしてチコのもとまでやってきた。
長老が若熟の実を冠した杖をとんと鳴らす。すっかり色の変わった葉が、がさがさと風に騒ぐ。
そんな気はしていたのだ。
どんぐりの帽子は決して大きくはない。だから、身体が大きいものがなるとは限らない。かといって小さいわけでもない。子供の大きさでは大抵ぶかぶかなのだ。
集団の一番端にいたチコの元まで帽子が届いた。仲間の目が集まってくる。
「さぁ」
長老が杖を鳴らす。
チコは帽子を受け取る。
*
「この花蜜の味がしないのよ」
そう言ってカリンが差し出すどんぐりの花は花弁もピンとし毛もしゃんとしていた。虫の食い跡も無く咲き終わってしおれる気配一つ無く、今摘んできたかのように生き生きとして見えた。
「ちょっと見せて」
掴んでみてすぐに解った。花の茎の弾力はやんわりとチコの手を窘めるようなものではなく、弾いて拒絶するかのようだった。なるほど蜜の香りは欠片もしない。それどころか、おしべを触っても花粉一つ付かなかった。
「造り物の花だね」
カリンは返された花を受け取ると、チコをきょとんと見返した。
「造りもの?」
「大方、木の根本にでも落ちていたんじゃないの?」
よくわかったわね、カリンは感心したように呟いた。
「チコはお花の心まで読めちゃうのね!」
チコは肩をすくめてみせる。造花の心までは読めないかなと心の中で呟きながら、どんぐりの洞に隙間無く詰められた『識』を読む作業に戻る。
この年は水が少なかった。この年は豊作だった。この年は。
くっつくカリンをいなしながら。
「もぅ!」
カリンが怒って出て行っても、チコはいっこうに気にしなかった。
*
洞の『識』は近々の大凶作を示していた。
「お手紙を書こうと思う」
進言された長老は、とんと杖を突いて言った。
「手紙」
「森を抜け二山越えた先に、我らと祖を同じくするものたちがいると伝説は言っている」
そこまで行けば凶作の影響は無かろうと。万一どんぐりの木が枯れたとしても、我々を受け入れてくれるのではないか。
「使者を立てねばならん」
長老はそう言って、仲間を大洞に集めた。提案は物議を醸したものの、結局一人の若者が手を挙げた。
――隣の木の洞でも『識』を読んだのです。この森、この山、そのまた向こうの山もきっと同じです――
チコの進言は取り入れられず、立てられた一番大きな体つきの溌剌とした若ものはお手紙を携え木を渡り。
二度とチコ達の木には戻らなかった。
*
チコは洞の『識』を読んだ。時には洞の外に出て、風を雨を日射しを読んだ。
チコ達の暮らすどんぐりの木の遙か上には葉のない空間が広がっていた。葉をはぐくむ光が無いとき、小さな光が無数にあることにチコは何時か気付いていた。
大きな光と小さな光と。
「お日様が出てると木が嬉しいの。星は木を喜ばせるお日様に嫉妬して精一杯光るけど、所詮星よね」
カリンはそう言うと、夜空も見ずに寝床へ向かった。
「太陽は孤独だ。どんぐりと我らに恵みを下さるが、雲に邪魔され、夜に邪魔され、いつも一人だ」
長老は杖を鳴らして。
「対して星は太陽のない時に仲間を引き連れやってくる。わかるかい、大事なのは仲間だ。太陽は星に嫉妬しているのだよ」
星空を見上げ、優しく笑んだ。
太陽と呼ばれるとそれと、星と呼ばれるそれら。
チコには葉の向こうの大空で光ものとしか、違いを感じることが出来なかった。
*
チコは時折大きなものがやってくることも知っていた。長老が言う二山先とは違う方向から来て、違う方向へ去っていくことも。逆に、山の向こうへ行くことも、山の向こうから帰ってくることがあることも。
そいつらが時折不思議なものを置いていったり、地面に落ちたどんぐりを拾ったりすることも知っていた。
カリンはそれに気付かなかった。
長老はすでに老いすぎて、それらを認めることは出来なかった。
*
どんぐりの木は彼等の世界のすべてでは無く、山の向こうにも山ではない方にも世界はあり。太陽は星に、星は太陽に嫉妬してなどおらず。造られた花を持ち込む大きなものがいて。手紙と若ものは、もしかしたら。
いつしかそう考えるようになった頃。
どんぐりの帽子を被るものを選び出す祭が始まった。
*
――一番大きいどんぐりの帽子をかぶったものが知の司になるのです。
*
帽子を受け取る。そろりそろりと帽子をかぶる。
長老が見守る前で。カリンが息をのむ前で。
仲間みんなが見守る中で。
帽子はすぽりと、収まった。
*
たとえば、チコはカリンに言ったことがある。
「造られた花は何も生まないから、近寄らない方が良いよ」
たとえば、太陽と星の空を見上げて言ったことがある。
「あの形の雲は大嵐の前兆だから、洞に隠れた方が良い」
何度も長老には進言したのだ。
「二山先に行っても、干魃は変わらない。どんぐりを溜めておいたほうがいい」
そして長老は厳かに言った。
「チコ。知の司はお前だ。その意味がわかるね」
*
どんぐりは世界だった。
彼等は世界が賢くあることを望んだ。
対して彼等は、賢すぎる『そのものたち』を望まなかった。
*
木の根本、柔らかいどんぐりの葉の腐葉土が仲間の手で掘られていく。
柔らかいしとね。やさしいしとね。
どんぐりの帽子をかぶったチコへと伝わったのは、代々の知の司達の思い。
チコのほおを伝ったのは、滴が、一つ。
「さようなら」
しとねに転がり見上げた空には星々が輝いて。
あぁ。
――嫉妬していたのは、僕の方だと。
*
どんぐりの木が今年も力強く葉を芽吹かせる。
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