20161016:サボテンの花開くとき

 無数のサボテンが佇んでいる。風に吹かれる訳でもなく、唯静かに佇んでいる。

 最初は小さな苗だったような気がする。不精者にも人気の、滅多に水をやらなくても枯れないと銘打った小さな小さなプラント。

 多分、当時の彼女に貰ったのだ。いや、会社の同僚の女の子だったか。小さな花が付いていたように思う。もう覚えていないほど、細やかな花が。

 目の前のサボテンたちに花はなかった。中途半端に伸びたつぼみが一つとしてほころぶことなく、無数の茎に無数に付いているばかりだった。

 団扇のような茎だか葉だかに棘をびっちり生えさせて、風に揺れるほど柔でもなく花を咲かせるほど旺盛でもなく、ただ地面から生えている。瓦礫と砂が何処までも続くかつて街だった平原を、支配するでもなく、覆うように。

 ――いつの間に。

 瞬いて踏み出した足がガラクタを蹴り転がした。砂の窪みに落ち込みながら、ガラクタはカラカラと転がっていく。もう一歩踏み出した。砂が押されて解けるうちに砂埃が起こり舞い、揺蕩う虚無を揺らすようにつむじを描いて吹き抜けた。

 ふとガラクタに目をとめた。砂にまみれた木の肌が箱の形に組まれていて。

 手に取ればそれは甲高く響く音を一つだけ、中途半端に鳴らして止まった。

「まだそんな物があったのですね」

 月影のように暗く冥い光が視界に飛び込み消え去った。何だと思うまもなく首筋に筋を感じる。僕は思わず動きを止めた。

 冷たく鋭く。三日月を描く、金属の、鎌。

「死に神。いや」

「悪魔でも天使でも死に神でも、好きに呼ぶと良いわ」

 女の声だった。街を支配する虚無感を吹き飛ばすような声が廃墟の壁にこだまする。風にも揺れぬサボテンたちがわずかに身じろぎしたようだった。

「死の使いを天使と呼ぶのなら、私は天使と呼ばれるものだと言えましょう。理の終わりを司るのが悪魔なら、悪魔と呼ばれることもありましょう。理の終わりが死なら、私は悪魔の顔した天使とでも言われるのでしょう」

 首元から鎌が退いた。代わりに伸びた白い手が、僕の手から木地の箱を取り上げる。

 蓋の、ゼンマイの、動き出す歯車の。そして。

 音が二つ。続いて途切れ、中途半端に一音が。

「壊れてますのね」

 やっぱり、と、溜息のように降ってきた。鎌を引いたままで。

 ――逃げられる?

 白い手と箱を追って女を見上げる。何処までも高い空とやんわりと僕を焼き続ける太陽とのその間で、細い影が見下ろしている。

 見逃すわけでもなく、追いかける訳でもなく。オルゴールから離れた視線が、僕をただ見つめるように。

「逃げるのですか」

 風が止んだ。尻餅をついた俺の手元で、砂が微かな音を立てた。

 俺は咽を、微かにならした。

「街を壊して、砂で埋めて。埋まってしまわずに済んだのに」

 彼女の足が僕をまたぐ。手近なサボテンへと手を伸ばす。

 つぼみのまま時を止めたかのように。永遠のつぼみ、咲かない花を、一つ手折る。

「知っていますか。サボテンの花は切り取っても開くことが出来るのですよ」

 鎌を持つ彼女の手の中で、折り取られたそのままで、静かに花が開いていく。

 強すぎる日の光の下では霞む、清純な白い花。

 ――あぁ、そうだ。俺は花を咲かせたかった。

 女は口元をほころばせる。この街でサボテンを共に植えた女と同じ顔で。悪魔の顔した天使そのものの顔をして。

「不毛の砂漠にあなたはそれでも水をまいた。もう少しなのではないの」


 ――春が来たら。

 ――昇進したら。

 ――仕事が一段落したら。


 もう少し。もう少し。あとちょっと、次のタイミングで。

 ほら、神様はきっと見ている。あなたが真面目なところを見ている。

 神様の祝福を。次はきっとあなたの番。

 ――けれど、花は咲かないのだ。


「その花は無事だった、けど」

 僕は砂まみれのまま立ち上がる。女から離れる方。小さなサボテンを手で揺らす。

 音は微かすぎて届かなかった。音すらそもそも立たなかったのかもしれない。

 小さな茎は静かに確かに、腐り落ちた。

「祝福は、僕には届かない」


 ――神様が見ているから。


 *


 あの頃僕は、心に緑を生やすこともなく仕事漬けで駆け続けていた。

 彼女は、そう、サボテンと共に現れた。

 どういうセンスかバレンタインデーにと男性社員に配られたのはサボテンだった。

 もちろん大半の連中が、半年持たずに枯らしてしまった。

 なんとなく。本当になんとなく。僕のサボテンは生き抜いた。


「すごいですね」

 灰色のオフィスに染み渡るような彼女の声を覚えている。

 ……その頃から。

 僕の壊れた心の中に、サボテンが現れ始めた


 *


「彼女には神様がいた。僕にはいなかった。それだけさ」

 腐り折れたサボテンに被さるように尻餅をつく。見上げる空には遍く僕らを見下ろす陽が燦然と輝いている。

 ――神様は何時でも見ているんです。

 女が鎌を僕に向けるように。彼女は僕へ声と、拒絶の腕を突きつけた。

 そう。砂漠へと惜しみなく光を注ぐ太陽が眩しすぎて直視できないのと同じように。

 僕は、僕の神様へと背中を向けたのだ。


 *


「街が壊れていくのを許したのもあなた」

 溜息が落ちてきた。月を移したような刃が目の前に突きつけられる。

「どうすれば良かったんだ」

 あの頃。――僕は『街』を守ることなどとてもじゃないが出来なかった。

「砂に埋まりながら、サボテンを植えたのもあなた」

 鎌が振り上げられる。

 僕はつられるように鎌を見上げる。

 来たるべき衝撃を、僕は未だにイメージ出来ない。

「花が咲かないのも。虚無感に埋まるのも」

「そうだね。僕が全て望んだ」

 彼女の目が、僕を見下ろす。わずかな微笑みをその口端に乗せて。

「では、私は?」


 *


 ほろほろと光が零れる。空から零れる。

 ――黒川さん!

 空から降るのは。


 *


 サボテンの花が綻んでいく。

 壊れたオルゴールが所々、音を抜かして回り始める

 風が吹き抜ける。つむじをまいて、空高く。

 動き始めた時は、一度全て、壊れるだろう。


 *


 彼女の長柄の鎌が首に掛かる。

「良いのね――神様」

 頷く代わりに僕は空を見上げた。

 太陽が光のまま、ほろほろと零れ始めた。


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