20160402:鬼の運命
一対の腕が突きだしたような岩だった。あの下には腕の持ち主たる隠れ鬼がいるという。
少なくとも幼児期の子供達はそのように語り聞かせられていたし、就学年齢に達し、歴史として学ぶとしても、子供達は、人々は、どこかに真実があると信じていた。
そんなことあるわけ無いのに。
奇岩立ち並ぶ路を抜け、
大潮を利用しなければ近づくこともままならない場所だった。奇岩のない綺麗な海面からは十数キロは入り込んだ奥にあり、許可が必要な特別地域とされていた。
物語は最も浸透しやすく、最も残る伝達手段である。
特別地域として隔離するその理由でもあり、入り込ませない為には必要な禁忌なのだと、世子達老齢の者はみな、おおよそ誰も了解していた。
とはいえ、一般人はまず立ち入ることすら難しい場所だ。研究者の世子でさえ、許可が降りたのはつい先日。古い地図情報を頼りにルートを探し、資材人員を調達し、満ち引きと合わせ計算した辿り着ける日が今日だった。
ようやく。
世子は海風にあおられる白髪を収めた帽子を抑えながら、遙かな奇岩を見上げる。かつての名残か、きらりきらりと時折光を跳ね返す。寄せる波に削られた側面が奇妙な風音を立てた。
「どこに着けます」
世子は顔を巡らせた。目的地が近づいている。ひときわ目立つ二本の岩だ。着けると言われても、砂浜のような物は見あたらない。いや、率直に、ない。岩の側面に規則的に無数に並ぶ開口部に着けるより他にはなさそうだった。
「どこが入りやすそうかしら?」
「どこも同じに見えますよー」
ボートの後部、荷物の中に埋もれるように丸まった助手はのんびり世子に声を返す。
やれやれと、溜息は櫂を操るスタッフの青年から聞こえてきた。
「探しましょう、女王様」
女王様は世子の二つ名である。
懐かしいとは、世子の歳くらいの者なら誰しも多かれ少なかれ思うことだったろう。
助手の手を借りながら細い開口部の枠に乗る。蔦のような植物が占める中へとそっと足をおろす。軋みもなく植物は、その土台と共に世子と助手の重さに耐えた。
一歩も慎重に踏み出した。二歩目もゆっくり進ませた。三歩目は大胆に。四歩を超えると、気にしなくなった。
「強いのですね」
がさりがさりと音がする。世子の足音より無遠慮な音が世子の跡を着いてくる。
「植物のせいかしらね」
もっと脆いと世子は研究室で計算していた。真水も塩水も空気も湿気も計算通りで在るならば。
「隠れ鬼の成せる技かも知れないわね」
かさりこそりと歩を進める。
がさりごそりと音が続いた。
「恐いこと言わないでください」
世子はくすすと笑みを漏らす。そして顔を引き締めた。
「恐いことを、しに行くのよ」
開口部を渡りきる。奥に開いた穴にそっと手をかける。植物のまとう湿気た空気に満ちている。光は入らず、日よけ帽のその代わりに、ヘッドライトを装着した。
こんなに保つ予定でなく。こんなに植物が入り込むとも思われなかった。それでも設計通りで在るならば。世子が研究を続けたその通りであるならば。
「解っていますってば」
僕が先に。助手は強力ライトをきらめかせ、植物に囲われた穴蔵の先を辿り往く。
隠れ鬼に運命が在るのならば、それはどのようなものなのか。
結果が宿命だというのならば、どのような運命を選ぶのか。
隠れ鬼の運命を、世子は見届けることが出来るだろうか。
植物に覆われた横穴は、やがて縦へと急激に方向を変えた。助手は勝手に補助用具を周囲の植物に打っていく。
世子はそっと穴を見下ろした。底まで光は届かない。届くとも思えない。邪魔をするのはその高さで、植物のてんでに伸びる葉でもある。水の気配だけは、ない。
「ボンベはどうします」
「見えないから大丈夫とは言えないものね」
溜息が出るのはこれからの労を思えばこそだ。
助手の溜息は遙かに大きなものだった。
「僕、降りれられますかね?」
「降りてもらわないと困るわね?」
助手が穴を降りていく。ザイルを辿り、すこしずつ。
世子は齢に似合わぬ健勝ぶりを発揮して、助手の後を着いていった。
未来在る若者は先のない研究などするものではない。世子の主張で、学会は認めた。世子は助手を持たなかった。学問の場では専門に近しい講義を受け持った。
それでもいざ調査となると一人では立ちゆかない。立ちゆかないから、たった一つだけ、『助手』を持った。
降り着いた底は冷ややかな空気に満ちていた。穴の中。水の底。植物の葉をそっと避ければ、B12の文字が世子の前に現れた。
「着きましたね」
「さて、植物はどっちから生えているのかしら?」
駆動音を響かせながら、助手は足の向きを変えていく。一方で足を止め、バッテリーも気にせずに強力ライトを振り向けた。
あれだ。世子は直観する。
「画像認証、開始します」
助手の無機的な声が響き渡る。作動を示すランプが点灯する。
結果を待たず、世子はそっと歩き出した。
鬼とは何であるか。
角を持つ存在とされる。
地獄の番人と言われる。
女が変化したものである。
人ではない。
頑健である。
赤があり、青がある。
緑も紫もあってもいい。
動物である。
人のようで。
人ではない。
世子の世代がまだ若い頃、人々の若返りがしきりに研究されていた。
老化とは。死とは。寿命とは。
細胞的な老いを持たない植物とのその違い。
生物と、数学と、化学と、倫理を超えた先。
「デウスと呼ばれたの。女の子なのにね」
可愛くないわ。
世子の声が響き渡る。
緑色の幼児に見えた。角のような突起から植物の蔦が始まっている。
「デウス・エクス・マキナね。機械から、計算から生まれた、かみさま」
胎児然とした姿勢で眠る、巨大な幼女。
彼女が真実『神』であったのか、世子は知らない。世子が知るのは結果ばかりだ。
現れた黒服、『彼女』が消えた日。
探すこともままならないまま、都庁と呼ばれるツインタワーが突如蔦に囚われた時。
海水面が上がったために海に沈んでいく、かつての首都。
潮風にさらされて、岩塊と化す高層ビル群
……大人達は。神の意志だと、鬼の願いと噂した。
「入ってこれるなんて思わなかったわ」
「解析完了」
手を振って世子は助手を制止する。結果など、どうでも良いのだ。
「……それとも、これもあなたの意志というわけかしら?」
ポーチから、注射器を取り出した。針先を緑の鬼児に。
「
刺す一時の世界の悲鳴が世子の上に降り注ぐ。
*
「女王様は人使いが荒いんだから困ってしまいますー」
「死んでねーんだろ?」
声にふと、気が付いた。
世子が目を開けると、大分傾いた日が、奇岩伸びるの隙間から、それでも確かに届いていた。
家庭用補助ロボを改造した口の減らない助手ロボットと、ボート漕ぎのためだけに雇われたスタッフだった。寝ている世子を見下ろしている。
ふと涼しい風を感じた気がした。身を起こし、視線を巡らし。
記憶のない場所にただ目をしばたたいた。
「ここは」
灰色の砂浜の上にいた。あったはずの鬼の両腕は消えていた。ボートはすぐ脇にあった。記憶と今がつながらなかった。
「干潮時にのみ現れる砂浜ってとこでしょう。砂の主成分はコンクリートに硝子です」
足跡も残せませんよと、スタッフは周囲を歩いてみせる。
「なぜ」
「僕が背負って逃げたに決まっているじゃないですかー」
プンスコと助手が怒る。精悍な人間スタッフは苦笑いでそれに答えた。
「じーさんばーさんがどう考えて何をしても、自分らで完結して闇に葬ろうってのは虫が良すぎるでしょう、女王様?」
鴉が嗤う。こんな場所でも生き抜く鳥が、世子を世界を嘲笑う。
「アンタの頭脳と技術、知識、経験は、
隠れ鬼の運命も。あんたらが画策した、
スタッフはそう、断言した。
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