20160408:明日に向かって、いざ進め

 雨上がりのとびきりの青空の下、咲きそろう灯台躑躅どうだんつつじの生け垣の前に子供たちの声が響く。

 お菓子とお弁当、雨に降られたときの着替えを詰めた、リュックサックに背負われて。水筒とハンカチ、今日のためにとそろえられた綺麗な服を見せ合いながら、水たまりに映るはとびきりの笑顔たち。

 六歳から十二歳。まだまだ幼い彼らは、初めて街の外へと遠足に行く。

「みんなそろってる? はい、点呼!」

 高月は子供たちへと声を張る。担任思いの『イイコ』から、徐々に声が上がり始めた。

 いち、に、やーだ、さん、し。ねー、みーちゃん!

 目の前にある『初めて』に集中出来ない子供たちを、なだめておだててどうにかこうにか並ばせる。

「みんな、いくよー! 小里先生、後ろよろしくー!」

 大きく手を振る副担任を目に留めて、一番小さな少女の手を引き、ゆっくりゆっくり歩き出す。

 行ってきます!

 見送りに出た父に母に、祖母に祖父に近所のおばちゃんおじちゃんに、てんでに手を振る子供たちを。

 高月は見回し前を向いた。

 くい、と小さな手に引かれ。目元をぬぐって笑顔を作って、見下ろした。

「なぁに、アイカ?」

「痛いの?」

 見上げる瞳へ何でもないよと首を振る。何にもないよと笑顔を深める。

 首を傾げてくるアイカへ。

「そうだなぁ」

 高月は壁に切られた空を仰いで示してみせる。

「あんまり空が青いから、ね」

 少女は更に首を傾げる。高月の言葉の意味など、最年少のアイカが知っているはずもなく。


 年に一度、この日にだけひらく扉をくぐる。

 大人の背よりずっと高い、街で一番高い学校の時計塔より高い塀を、過ぎるその時は歓声が上がるのが常だった。

「ひろい!」

 アイカの弾んだ声が皮切りだった。

 ひろい、すごい、とおい、きれい。歓声と時折駆け出すやんちゃを抑え、高月は思わず苦笑する。

「イサム!」

 小さな影が駆けだして、殿を務める小里の声と足音が。そして扉が閉まる地響きのような音が響く。そして再び、今度は閉じた扉への歓声が。

「しまっちゃった」

「夕方にまた、開くんだよ」

 アイカへと優しく返す。ふぅんと少女は曖昧に返した。


 ♪ しょうねんしょうじょよ、いざすすめ。

 ♪ もてるにもつはひとつだけ。


 誰が歌い出したのか。

 舌足らずな声がワンフレーズを歌い上げると、誰ともなく続けて歌い出した。

 高月は思わず背を伸ばす。そして、子供たちの間で流行るラジオドラマのテーマソングだと思い出した。


 ♪ あしたへむかってどこまでも。

 ♪ きぼうのつまった、にじのむこうへ。


 まだまだ元気な子供たちは、声高らかに続きを歌う。一番を歌いきったら二番へと。二番が終われば再び戻って一番を。

 吹き来る風を正面にうけ、草原にうっすらとわずかに伸びる道を歩きながら、高らかに楽しげに。

 アイカが繋いだ手を振る。声に合わせて高月もまた、少しずつ歌をなぞり始めた。


 ♪ 少年少女よ、いざ進め。

 ♪ 持てる荷物は一つだけ。


 楽しいドラマの、楽しい歌だ。

 小さな街を縦横無尽に駆け巡る、少年少女の冒険ドラマで、冒険の歌だ。

 下水に入っては怪盗が残した謎を解き。壁の切れ間から迷宮に迷い込んでは秘宝を見つけてベッドの上で目を覚まし。教会の秘密の通路を冒険し、墓場から異世界を旅したこともあった。

 そして大冒険の最後には、必ず我が家に帰るのだ。


「せんせ、にじってなぁに?」

「お空に架かる七色の橋のことだよ」

「なないろ」

 ふっと手に重さがかかって、高月はアイカを抱き上げた。

 転び駆けたアイカは、少しばかり上気した頬で、高月をきょとんと見る。

「疲れた?」

 少しばかり、高月も汗ばんで来ていた。

 何度歌を繰り返したろう。振り向けば塀は遠く、太陽は随分高いところに昇っていた。

 見回せば子供たちも。少し疲れた顔をしている。

「小里先生!」

「休憩ですねー!」

 悪ガキの首根っこを捕まえた小里は、大きく手を振り替えした。


 草の上にてんでに座る子供たちは、水筒を傾け、お弁当を口いっぱいに頬張っている。

 初めて見る『広い世界』に目を輝かせ、点ほどになった塀を見る。

 楽しげに、楽しそうに。

 ふと見ればアイカは花を沢山摘んでいた。

「おかあさんにみせるの」

 そうか、と高月は、何度もアイカの頭をなでた。


 日が陰る頃には、アイカは足が痛いと言い始めた。

 アイカの他にも幾人も、遅れ、転び、帰りたいと言い出した。

 ぐいと高月の手を引いたのは、最年長のイサムだった。

 ついに、と高月が思ったのは、笑顔の一つもなかったから。

 ついに。

「先生、帰らないの」

 その目に耐えられなくなる頃。ぱっとイサムの目が離れ。どこからともなく、気のせいのような異音が微かに耳に届いた。

 遠く地平にわずかなわずかな、砂埃。

「きましたね」

 小里の声は、わずかに震えていた。


 *


「遠足に行く日が決まりました」

 校長から聞かされた時、高月の目の前は真っ暗になった。

「いつですか」

 小里の声は、堅かった。


 お知らせのプリントを作るときも、子供たちのはしゃぐ姿を見るときも。

 必死に涙をかみ殺した。

 必死に笑顔を保ち続けた。


 子供たちが寝静まる夜、親たちと面談して回る間も、一人ベッドにいるときも。

 壁を、手を。街に生まれた自分たちの、どうにも出来ない定めを呪った。


 *


「みんなは遠足に行くの」

 巨大なバスが目の前に止まる。高月の胸ほどの高さがある巨大なタイヤを前後に着けた、子供が全員乗れる大型バスだ。

 不安げに車を、もはや見えない壁を交互に見やる子供たちへ。

 高月は不安など何処にもないと笑って見せる。

「みんな遠足にいって勉強するの。大きな街で大きな学校で勉強して大きくなるの」

 嫌だと、幾人もから声が上がる。嫌だと言われても、高月にはどうにもできなかった。

 小里がイサムをバスに追い立てる。どうしてと、イサムは抵抗する。

 アイカは、高月の手を握ったままだ。


 *


 高月は偶然が嫌いだ。


 その街を見つけたのは。見つけてしまったのは、ただの偶然だった。

 立ち入り禁止区域と言われた広大な地域にふらりと入り込み、冒険を決めた高月の前に、塀が、街が、現れた。


 知らなかった。見つけてしまった。

 だからただ、報告した。

 だから、偶然が嫌いだ。


 *


『子供たちはまだ、助かる』

 そう国は、判断した。


 *


 ♪ 『悲しみの園(ブルーガーデン)』から、さぁ行こう。

 ♪ 持てる荷物は一つだけ。


 ♪ 少年少女よ、いざ進め。

 ♪ 明日に向かって、いざ進め。



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