20160220:年老いた光へ届け

 寒い季節に変わっていく頃、何十万年ぶりに近づく彗星の話題とともに、そのじいさんは現れた。紅葉の色に染まったような赤い髪にやたらと元気そうな肌色で、サンタみたいに赤い上着でやっぱり赤い鞄を持って。山の社に住み着いたのだ。

 浮浪者だと誰かが言った。

 親も先生もおまわりさんも近づいてはダメの一点張り。通いの神主さんは困り顔。おまわりさんがダメだダメだとどかしても、いつの間にやら戻ってくる。

「ほんの少し、休憩させてもらうだけだから」

 僕の顔見てにやりと笑う。笑い始めて一月が経つ。


 *


 大人たちの目を盗んで石段を駆け上がる。ぽつんと高い山の上のお社は夕日に真っ赤に染まっていた。

 先月買ってもらったばかりの時計を見る。冬の夕暮れはとても早くて、今日は無理かと思ったけど。

「おじーさん!」

 最後の段にぽんと飛び乗る。がさりとビニール袋が音を立てた。

 息をつき昇ってきた石段を振り返れば、山の向こうの空の果て、夕日が落ちる所だった。

「よぅ、ぼーず。今日も来たな」

 横からすっと手が伸びる。上納金、とじいさんはにやりと僕へ笑いかけ、コンビニ袋を手に取った。

「よし、今日も受け取ったぞ。ここに来たことは黙っておいてやるから、明日も来るならもってこい」

 足音が遠ざかる。ビニール袋のがさがさ音も遠ざかる。

「そういうの強請りっていうんだぜ」

 振り向かないで僕は答える。兄ちゃんのベッドの下のあの本を、見つけたときに覚えた言葉だ。『黙っておくからなんかしろってのは、強請りって言うんだぞ』……代わりにおやつ寄越せって言っただけなのに。

 思う間にも夕日が山に差し掛かる。夕日の上に輝く点と尾が見え始める。帚星とか。彗星とか。呼ばれるそれがよく見える時間がやってきた。

「強請か! じゃあ俺は立派な犯罪者だな!」

 んまい! 歓声が聞こえて僕は思わず肩をすくめてみた。……コンビニ袋、中身は冷たいアイスクリーム。

「お願い、お強請り、あら上手ってな。これも一つの世渡り術だな!」

「何言ってるの」

 太陽に照らされて赤々と燃えるようだった町が、今度は闇の支配を受け始める。太陽はすっかり山の向こうに消えていき、帚星の長い尾も見る間に山へと掛かり始める。

 太陽が動くのは地球が回っているから。彗星が太陽と一緒に沈むのも、それだけ地球が動いているから。それだけ時間が経っているから。……随分薄く太陽から遠くなったから、もうすぐ見えなくなるだろう。

 吹き抜けた風に僕は思わず身震いする。雪がないだけでこの季節、じっとしていたらそりゃ、寒い。

「今日も落ちたな。少し暖まってけ」

「……アイス食べてた人でしょ」

「それとコレとは別だ」

 とはいえ、寒いものは寒かった。

 時計を見る。まだ五時を少し過ぎたくらい。母さんが帰るのは六時過ぎ。兄ちゃんは今日は部活とか言いながらデートなのを知っている。

「少しだけ」

 お社の中に暖房なんてあるわけないから少しも期待はしてなかった。それでもじいさんはそこにいるし、風は防げるし、まぁ少しならと思ったんだ。

 少しなら。

「寒いのに毎日だな」

 赤っぽい服、赤っぽい髪、なんだかあったかそうな色したじいさんは。横に並ぶとやっぱりなんだか、あったかいようなそんな気も、する。

「ほうずは星が好きか」

 うん。マフラーに鼻まで埋めて、僕は少しだけ頷いた。息で少しだけ、マフラーの中はあったかい。

「彗星、面白いし」

 お社の山は周囲を森に囲まれていて、少しばかり町の中より星が見えた。あったかい頃だったなら、兄ちゃんと友達と、連れ立って星を見に来ることもあった。

「そうか。星も彗星も好きか」

 じゃあ、コイツを見せてやろう。

 手招きされて覗いてみたら、じいさんの鞄だった。帆布とかいう丈夫そうな布鞄。結構しっかりくたびれて、けれど綺麗な赤色だった。

 開けられた鞄を覗く。入っているものなんて、全く欠片も、思い浮かばない。

 入っていたのは。


 *


 鋭い肉食獣の牙。飛ぶように逃げる草食獣。

 図鑑で見たような恐竜が、もったりと首をもたげている。

 怪獣とでも言いたくなる、見たこともない海洋生物。

 火山の噴火、降り積もる灰。雪と氷に閉ざされた、悠久の砂漠、広い海。

 月よりも大きく見える巨大隕石。


 ……全部どれも赤っぽい色をしていたけれど。


 *


「わしも光も年を取ったな」

 バサリと目の前で鞄がしまって、風景は僕の前から消え失せた。

 目を上げる。じいさんがいる。

「いまの」

 じいさんはにやりと笑う。いたずらが成功でもしたかのように。

「ちょっとばかり遠くで反射した光だな」

 鞄を引いて立ち上がる。よっこらせっと、鞄を背負う。

「わしの暇つぶしに付き合ってくれたからな。強請った分と併せて、礼だ」

「ねぇ、今の、何」

 じいさんはお社を出る。星明かりに広い背中の陰を見せる。

 陰を。陰を?

 僕は慌てて、目をこすった。……じいさんの陰の中、確かに星を見た気がして。

「わしが遠くで反射した、いつかの光だ」


 *


 宇宙を長く旅した光、年老いた光は赤方偏移を起こすという。


 *


 その彗星の軌道は発見されて後、直ちに計算された。

 有史と言われる時代に訪れたことはなく、太陽系を横断するほどの長大な軌道を持つと計算された。

 ……その彗星に生身が追いつくことはとうてい無理な話だけれど。


 最終チェックを追えて、僕は額の汗を大きくぬぐった。

 光の速さであれば、あるいはと。

 兄をベッドの下のあの本で強請り、渋る母に頭を下げ。夢想し続け、ここまできた。

 肉食の同僚の手もかいくぐり、草食とののしられようと知ることか。


 *


 年老いた光に、新たな光を届けるために――。


 *


「そっちはいいか!」

「おう!」

 制御室へと入っていく。カタチになった夢想が、今。


 *


「今年の夏はきっと暑いわ!」



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