20160212:君の跡を残すために

 閉園とは終演の代名詞だった。

 月光に染まる城の前でとびきりの笑顔を魅せる『君』は、閉園の鐘が鳴り終われば、全ての表情を消すのだろう。ゲストへの溢れんばかりの愛情も陰で零れるその吐息も、全て演技だと誰もが知っているはずなのに。

 江戸の昔、花街と言われた街のように。子供も大人も誰しもが、夢を見る国と知っているのに。

「ヒロトシ様。きっときっと、戻ってきて下さいね」

 少しばかり目尻の下がった大きな目が潤みながら僕を見る。僕だけを。

 豊かな表情を浮かべる頬に手を伸ばす。彼女はふっと僕を見上げ、蕩けるように笑みを深める。――その、笑顔が。

 皆、こうして立ち止まる。名残惜しくて足を止める。

 幻の彼女と理想の彼氏と、別れたくはないのだと。

「また来る」

 僕はようやくの思いで視線をそらして手を下げた。春遠からじとは言うものの。『君』の温もりは吹き抜ける風にすぐに攫われ消え去った。いや、もとから温もりなんてあるはずもない。あるはずがない。

 背を向ける。靴を鳴らして歩み出す。手を大きく振っているだろう『君』の姿が目に浮かぶ。僕がモールに消えるまで。ゲストが全て退去するまで、『君』は僕の君でいる。僕の望んだ『君』で有り続ける。

 時折金色に透ける薄い髪。色素の薄いその瞳。ちょうど良い位置にぽつんと小さな泣きぼくろ。口の端片側に生まれるえくぼ。肩に掛かる柔らかな癖毛。女性でも小柄と言える細い肩。

 ――ひろ、待った!?

 声が聞こえた気がして首を振る。振り返って見れば、『君』はまだ手を振り続けていた。


 帰り着けば、雑然とした生活感しかないオフィスが何も変わらずそこにあった。

 荷物を投げ捨てるようにソファへ置く。上着を放り、定位置へと深く座る。

 かつコツ微かな音を立てるのは、君が置いていったアナログ時計だ。

「お帰りなさい」

「あぁ」

 珈琲でも? 聞かれたからぞんざいに頷いた。暖かいものなら何でも良かった。

 椅子の上で仰向いた。目を閉じて腕を上げ光を遮るとつい、溜息のようなものがもれて出た。伸びた背筋に、首筋に。……力が入っていたのだと知る。

 一日、ゲストライセンスで赴いた。遊び試験と呼ばれていた。僕は単なる僕として。ふらりと園に訪れた単なる一人のゲストとして、総合試験を行うために。

 とはいえ、堅苦しいものでは無いはずなのだが。

「『茜』は如何でした?」

 こつと小さな音に目を開ける。助手は眼鏡の奥の細い目を更に細めて、自分のデスクへ回り込んだ。

「……良い出来だったよ」

 溜息ともにPCを起動する。胸ポケットに忍ばせた、チップのデータをサーバへ転送。僕と『君』の今日一日が、解析チームへ回される。

 リズミカルな心地よい響きが部屋に響く。珈琲を啜る音が後に続いた。

「感情回路の出力は綺麗ですね」

「あぁ」

「今回の試験はパスしそうですね」

 珈琲を啜る、音がする。僕もカップに手を伸ばす。

 一口含む。まだ熱い液体が口中を満たしてのどをゆっくり落ちていく。

「……あぁ」

 苦みだけが後に残った。


 *


 最新型の女性アンドロイド。タイプ『茜』

 パークに訪れるゲストをもてなす永遠の恋人は、今春、新サービスとして投入されることが決定した。


 *


 作業員がキーを叩けば、画面にデータが流れ出す。

 それを横目で眺めながら、にやりと笑みを向けてきた。

「俺らでも、時々錯覚しそうになります」

 やがてマシンが音を立てると、作業員はぽんと『君』の肩を叩く。

「三度も遊び試験だそうで?」

『君』の綺麗な目が開く。皮膚に似せたポリマー素材を内側から柔らかく押し上げて。

「ま、気の済むまでやって下さい。コレは貴方の作品だ」

 モデルそっくりの、微笑みのカタチをつくって見せる。

「おはようございます! 今日のプレミアゲスト、私の恋人は、ササキヒロトシさまです!」

 元気な声が響き渡った。


 *


 終演を迎えるまでは『君』は僕の『君』で有り続ける。

 迎えに行けば君は笑顔で挨拶する。食事をすれば、あれもこれもと幸せそうな笑みを溢す。アトラクションでは悲鳴をあげ。同僚のはずのキャストには可愛い、カッコイイを連発する。

 僕はそんな君をみて、彼氏のように微笑むのだ。

 君は滑稽だと笑うだろうか。ばからしいとあきれるだろうか。

 運命をねじ曲げてでも手に入れたかったこの瞬間を、君は無価値と言い切るだろうか。

「ヒロトシさま。楽しくないですか?」

 設定年齢の二十より『君』は随分若く見える。恋人の設定でも、いくら初期値を与えられていたとしても。僕らはせいぜい、兄妹か、親子か。そんな風にしか見えないだろう。

「辛いですか? 悲しいですか? ウォーターライドは如何でしょう?」

『君』は懸命に僕の手を引く。ゲストに悲しい思いをさせない。それが『君』の役割だ。

 溢れんばかりの愛情が。動かない僕に零れる吐息が。

 僕をまるで、責めるようで。

 ――ひろ。

 ふと聞こえた気がした声に、顔を上げた。

 見回しても、『君』と雑然としたいつものパークがあるばかりだ。……君が此処に居るはずがない。

「ヒロトシさま。お飲み物でも如何ですか? 私買ってきますね!」

 ぱっと背を向けた『君』は、ふいとその足をとめた。

 たっぷりとしたフレアスカートが、なびいて落ち着き、裾を揺らした。

「運命を捻じ曲げてでも、欲しかったんでしょう」

 ――汗腺が干上がったかと、思った。

 一瞬で干上がり、そしてじわりと冷たい汗が背を流れた。

 泣きぼくろを従えた少しばかり下がった目が。

 片頬にえくぼをたたえた口元が。

 冷ややかに。けれどどこか、暖かく。

「そうじゃないかと思っていたわ。私は構わない」

 僕が、知らない表情で。

「……仕込んでいて良かった。あんた、絶対、うじうじ言うし。でも」

 僕を見る。僕が知る、僕だけが知る、表情で。

「これきりよ」

 ――さよなら。


 *


 マスターモジュールの片隅に、今も彼女のハッキングコードは残っている。

 君の遺志すらも僕は捻じ曲げ、『君』の中に君を残す。

 二度と起動することがないとしても。

 春遠からじ頃に消えた、君の跡を残すために。


「さよなら、姉さん」

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