20151211:倍音の愚者たち
ラジオというものは、あらゆる電磁波の中に置かれたアンテナが、ある周波数だけを増幅して聞こえるようにしたものだ。
テレビもそう。無線もそう。携帯電話も似たようなもの。
電磁波というものは、『増幅できる』『増幅できずに聞こえない』このどちらか。間はない。響くか響かないか。この二択。
……そう説明してくれた人は、あっけなく運悪くペースメーカーのたった一度の不具合で帰らぬ人となってしまった。
葬式は行われなかった。
本人も望んだりはしなかった。
血縁と名乗る人の誰一人、やろうと言い出したりはしなかった。
ドナーカードの威光のままに彼の身体は切り刻まれ。
彼の意思だと信じるままに、医学部へと運ばれた。
そして随分経った後。誰も引き取らなかった骨壺は彼の唯一の居場所にそっと静かに帰って来た。
彼の意思だったのか。
それとも誰かのいたずらか。
炭よりも夜空よりも黒く昏い、光すらも吸い込みそうな。
*
光を減衰させずに閉じ込めておくことが出来たなら。
あの人は言った。静かに言った。
長くないと言われていた。若くして心機能を煩っていた。
夢だと語った。
長く無いからこそ、永く有り続けることが。
――その中身は一つの宇宙に違いない。
*
「どう?」
先生に問われても、私は首を傾げるしか無かった。
重いヘッドギアを取る。新鮮な空気を吸う。大きく息をついてみれば、自分の吐息ばかりが聞こえた。
「これくらいにしましょうか」
先生の声は落胆の色をしている。淡々としているのに、どこかにそんな気持ちがにじんでいる。
昨日もだめ。一昨日もだめ。明日もだめ。きっと明後日も変わらない。
そう私はどこかで確信していたから。はい、とただ頷いた。
私の目の前には黒箱がある。計器を這わせ、ケーブルにまかれた彼がある。
彼の遺骨を納めたはずの、継ぎ目の無い黒い箱。かざしてもどこにも光の漏れは無く、X線を通しもしない。音波は箱など無いかのごとくすり抜けて、赤外線は『空気』のような値を示した。
私はそっと触れてみる。ぬるく体温が返ってきた。
溜息と衣擦れを連れて先生が立ち上がる。行きましょう、促す手に私は緩く首を振った。
「すこし、残っていて良いですか?」
*
双子というのは時にテレパシーでもあるかのように振る舞うことがあるという。
それは遺伝子のいたずらで起こったことか、テレパシーが通じているのか、今もってわからない。
電磁波のいたずらだと言う人もいる。
全く同じサイズ、形の音波が共鳴し合うように。全く同じ形質の人間であれば、微弱な脳波であったとしても、共鳴することがあるのでは無いか。
全く同じでなかったとしても。
たとえば、倍音――。
*
彼のことをどう思うかと聞かれたら、よくわからないと応えただろう。
今だって、好きとか嫌いとか、思ったこともなければ考えたことも無い。
離れられないような関係は私たちの間にはなく。いつもで離れてしまえる距離感だけが漂っていた。
彼は私を幼いと言った。私は彼をおじさんと思った。
今思えば、小父さんと言われるような歳では無かっただろう。私が幼すぎただけだ。
小学校に上がったばかりのあの頃の私には、二十歳を過ぎるかどうかの彼はそれだけで大人だったし、小父さんだったのは間違いないのだ。
年齢も、性別も、全く違う彼とは、まさにこの場所で出会った。出会わされた、と言った方が正しいだろう。
夜中に降り始めた雪が地面にうっすらと積もる朝。私はすっかり疲れ切った親に手を引かれるままに家を出、車に乗せられ、二度とこの家に帰ることは無いのだと心のどこかで何故か達観しながら、あの日この場所に訪れた。
――倍音。
確かに聞いた気がして目を見張った。親は先生をなにやら難しい話をしていた。
彼は私の反応を見て、驚いたように見返してきた。
「今の、聞こえた?」
「今の?」
意味がわからずきょとんと見返す私には、確かに何かが聞こえていた。
うるさいと単純に思った。
耳鳴りのようでもあり、言葉のようでもあった。今なら、人混みの中で誰に注意を傾けることも無く、耳を澄ますようなと表現することが出来るだろうか。
うるさすぎて顔をしかめたことは覚えている。それまでの『癖』が祟って、耳をふさいだりはしなかったけれど。
「見えるんだね」
見える? この人は何を言っているのか。
まじまじと見上げた私へ、桜の花弁がほころぶように、彼は確かに笑っていた。
*
計器を外した生ぬるい黒い箱へコツンと額をつけてみる。
静まりかえった部屋の中、どこか遠く、耳鳴りのような電子音ばかりが聞こえてくる。
倍音なのだと彼は思った。倍音なのだと私は感じた。先生にはきっと意味がわからなかっただろうと思うし、今もきっとそういう理解はしないのだろう。
ただ、人の脳波は複雑で。人の心は忙しくて。そんな瞬間は数えるほどしか無かったけれど。
……無かったけれど。
「君の宇宙を旅行してみたかったよ」
そっと呟いてみる。
誰に受け取られることも無い言葉という音は、空気を、机を、椅子を、天井を、機器をそっと揺らして吸われて消える。
黒い箱は測定されたそのままに、音を吸収したりはしない。
「今ならきっと、君の肩を抱いたとしても、きっと様になるのにね」
こんなに近くにあったとしても。『彼』は私を受け入れない。私の声を受け取らない。
私は目を閉じてみる。『彼』をそっと抱きしめながら、『彼』の気配を探しながら。
『彼』を。
*
なめらかな肩をそっと包んで、『彼』の首筋に顔を埋める。……そんな感触があった気がした。
雪に交じって薄桃色の桜の花弁を見た気がした。かつて『彼』が見たいと言ったそんな景色、そのままに。
――愚か者のすることだね。
声を聞いた気がした。鼓膜が震えたわけでは無い。音が、言葉が、意味が浮かんだ。
――ごめんね。
と。
彼の宇宙を旅する私が、彼の宇宙から、漏れ出る声を。
肉親でも無く、親戚でも無く、先生の研究のための材料だった私たち。
恋人でも無く、そんな歳でも関係でも無く。
なのに毎日どこかで顔を合わせ、動くのが得意で無い彼のために草を花を雪を雨を届けては、くだらないおしゃべりにつきあわせ。
感じることがわかることもあった。わからないこともあった。言わなくても通じる時があった。言ってもわかってもらえない時もあった。
それでも。
ブラックボックスをかき抱く。ごめんねは、私の言葉。
あなたの宇宙を旅したかった。あなたの宇宙にいたかった。――それを言葉に、出来た、なら。
……多分、私は、この上も無く、愚かなのだ。
*
多分僕は、おかしいのだろう。
殻に閉じこもる雛のように、狭くて広い僕だけしか居ない世界で。
僕は、思う。
まんまるの目でまっすぐに僕を見上げてくるほんの小さな女の子。
他人と共鳴する脳波を持ち、それゆえ実の親にさえ敬遠されてきた女の子。
そんな子が、遠慮も無くてらいも無く、年相応の表情で、僕を見上げてきたときに。
……愚か者の恋だと思った。
――ごめんね、自分の言葉で言えなくて。
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