20150821:水たまりの物語
それはまさしく水たまりだった。
誰が作ったわけでもなく。ただそこにあるだけの。
入る流れがあるわけでなし、出て行く川があるわけでなし。降った雨が土に染みこみ、低地にじわりと湧いて出た。湧き続けるから水が溜まり、何時しか干されも消えもしない、ただの大きな水たまりになった。
水たまりが出来たのが何時なのか水たまり自身も、もう覚えてなどいなかった。ただ幾度も幾度も覚えられないほどの青空を数え、夕日を知り、月影を抱き、朝日を拝んだ。
幾度も雪に埋もれた。草花を萌やし、干上がりそうになりながら、枯れ葉の数を数え続けた。
陽が欠ける事もあった。真っ赤な月を幾度も見た。爆発するほどの流れ星も、尾の長い帚星も知っていた。空が荒れ狂うその中で竜が訪うこともあった。自分よりも大きなものに翻弄されながらも、水たまりはただそこで、水たまりであり続けた。
*
何時の頃からか、小さな生き物を見るようになった。小さな口で水を啜り、小さな喉を潤した。池を縁取る植物が、じわりじわりと種を変えると、生き物も大きくなったり毛が生えたり、形も色も様々に変わって行った。
やがて水たまりのすぐ側には、高低遅速の様々な音を操る生き物が住み着いた。
生き物は何度も何度も水たまりを覗き込んだ。幾度も幾度も音を立て、夜空の星より規則正しく、太陽よりも力強く、暴力的な雨より激しく、流れ込む風より優しく、身体を動かし舞い踊った。
水たまりが、見惚れるほどに。
不思議な舞いの生き物はやわらかく小柄なものと、俊敏そうな大きめのものがあった。小柄なものはサトヤという音で応じ、大きめのものはミズチという音で呼ばれた。
月が水たまりを照らす頃に二つのものは現れて、陽が大空を染め変える頃、どこへともなく、消えていった。
幾晩も幾晩も。草花が芽吹き夏枯れて、荒らしに水たまりが大きくなって、一面に凍り付いたときも。
二つは現れ、水たまりを覗き込み、水面が吸い込むような囁きを交わし、時に波立て、ふたつ重なり合って倒れ込み。
水たまりはそっと二つを包みこんだ。
*
この日だけはと、サトヤは言った。
必ずだと、ミズチは応じた。
細く消えそうな月が陽を追って地平に沈む。
二つの影が重なり合う。
雨だと水たまりは感じている。
満天の星空の下で、塩味の濃い、雨が降る。
陽が昇る。水たまりはさらりと風に面を揺らす。
風に合わせて草が揺れる、雲が流れる。
水たまりは幾度目とも知れないそれを見上げる。じっと待つ。
ふと草を踏む音が風に混じる。一つ、そして、少し重い、もう、一つ。
風が流れる。陽と月が重なり始め、水たまりにも大きな大きな影が落ちる。
駆け寄るミズチの立てる草音。シャラリと硬く響く金の。
なぜと、すまぬと音が交わり。
星々が見下ろす影の中、覆いを払った抜き身の白金が空を高く突いた後に。
*
離さないと誓ったのに。サトヤの声が風に混じる。浚われるほどもささやかに、草を揺らして水面を撫でる。
離さないさと、ミズチの声が風を震わす。サトヤの闇のごとき髪を滑り、水面へと落ちるように。
ぽたりと広がる紅が、輪を描き広がる、幾つも、幾つも。
ミズチの両の瞳から大粒の雨が降ってくる。
雨粒は紅の円を割って広がり、水面を揺らし。水たまりの内に溶け合った。
*
風が渡り、嵐を呼び、雪へと変わり、また再び芽吹きの季節がやってくる。
ミズチとサトヤに似た生き物が、再び。
*
それは、水たまりだけが知っている、生き物のたちの物語。
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