20150809:彼女と人類に幸いあれ

 彼女が世界を救うだなんて誰が言った?


 あらゆる電磁波を閉じ込め増幅させるための部屋の中で。

 あらゆる音波を吸収し解析させるための気の狂いそうな無響室の中で。

 彼女はきょとんと愛らしい笑みを浮かべている。


 *


「愛が減っているんだと」

 頭がどうにかしたのかと思った。体温計を探し出した。氷枕まで引っ張り出した。

 差し出す俺に同僚の太田は、苦い笑いを寄越してくる。

「お国の何ちゃら省のお偉いさんとやらが言いだしたんだよ」

 太田は盛大な溜息をついた。手に持つ書類をバサリと投げる。眉間を揉みつつ目をやる先は熱遮蔽した窓の外。燦々と輝く太陽は雨を忘れた地上を、今日も余すところ無く照らしている。

 この地域で言えば、切実な干魃であり。場所を変えれば、長雨、台風、海面上昇。海流の変化による不漁、何てのもあっただろうか。

 太陽活動の活発化。揺らぐ地磁気に乱れるオーロラ。海流は弱くなり、地上の熱均衡はかつて無いほどに破れている。人間の力だけではどうしようもなかった。一説によれば有史以来始まったとされる温暖化はここに来て深刻さを増し、俺達は切実に解決策を模索していた。

 とはいえ、俺達にはただ、明日を正確に予測することしか出来ないのだが。

「ファンタジーでもあるまいし」

 何気なく太田の放った書類を取る。ずしりとくるその紙束には、写真と経歴、そのほか細かく書き付けがある。──履歴書?

「坊さんが言ってるらしい。で……それを寄越してきた」

 太田の手が伸びる。紙束の先頭の一枚が示される。やや厚めの紙、表紙のような但し書きを。

 ──愛染明王候補者リスト。

「ばかばかしいとしか、思えないだろ?」

 数値計算のスペシャリストさん。

 太田の声が空々しく響いた。


 候補者の中から絞られた女性たちは、皆見事に魅力的だった。

 蠱惑的な声、見事なスタイル。自分を知り、宝石を磨くかのように作り上げた美しさだ。すらりと伸びた脚、なめらかに動く指先。細部にまで気を配り、見られる事を意識した動きだ。……こんな美女たちに誘われたら抗うすべなど有るだろうか。これは恋じゃない錯覚だと自分自身に言い聞かせ、耳を塞がなくてはならないだろう。

 愛染明王だとかそんな存在かどうかなど、俺達に知るすべはない。ただ、見ているだけでも多くの男を虜にし、『愛』を振りまいてきたと知れる。

 そんな女性たちが、マジックミラーの向こう側で質問され、応答し、オーディションか何かのように立ち振る舞い。俺たちはひたすらにデータを取った。声の波長、話す言葉の周波数、音域、強弱、声音の特徴。

 その姿に、音に、彼女達自身の『存在』に『仏』の力を見つけるために。

 生唾を飲みつつ幾人もを見送る。入ってもらい、十数分の質問があり、出てもらう。

 それだけをひたすら繰り返し、いつまでも続くかと夢見た頃。

 候補者選びは、唐突に終わりを告げた。


 *


 まだ幼い顔で物珍しげに部屋の中を見回している。唯一部屋を覗くために設えられたカメラを通し、その様子がうかがえる。

 ヒールなど履いたこともないだろう小さな細い脚をぶらつかせ、無響室が珍しいのだろう時折『あっあっ』と声を出す。

 後を振り返ることもある。あらゆる電磁波を跳ね返し増幅させるそれはまるで合わせ鏡で。合わせ鏡の背中合わせの自分の姿を物珍しげに眺めている。


 *


 綺麗な子だと思った。調った顔立ち、利発そうな瞳、丁寧に編み込まれた長い髪。育ちの良さそうな、けれど、わざとらしさを感じない、子供らしく、けれど綺麗な立ち振る舞い。

 質問に答える声は子供らしい高さはあれど、耳にするりと馴染むもので。笑顔には惹かれ、困り顔には手を延べたくなり、ふいと零した涙には、面接官もマジックミラーの裏の俺等も全員腰を浮かしかけた。

 気を取り直して溜息のようにオシロスコープへ目をやれば。

 見たこともない波長が見えた。


 *


 合図にあわせて彼女は謳う。

 彼女の目の前の高性能マイクは、普段拾わない広帯域まで余すこと無く『音波』を拾う。

 彼女の脇ではX線から紫外線、可視光を除いて紫外線にマイクロ波、ラジオ波まで、ありとあらゆる電波を拾う。

 彼女は謳う。俺達の知らない言葉を、知らない音律で、幼いその唇にそっと載せて。

 彼女の声は郷愁だった。故郷が浮かんだ。祖父母がいた。優しい顔の父母が見えた。いつもは仏頂面の兄がいて、想いを残してきた幼なじみの笑顔があった。

 すでに亡い恩師が笑った。研究室の仲間が浮かび、憧れの図書館の君がいた。

 有り得ないと思いつつも上司はにこやかに微笑みかけ、太田までこれ以上無く笑っていた。

 感謝をしたくなる白昼夢。

 ふと感じた冷たさに、泣いていたことを知った。

 チェックのためにと付けていたヘッドフォンをそっと外す。

 画面の向こう、伸びやかに謳っているだろう彼女がいる。

 太田が不思議そうに俺を見ている。……ふと覚えた、抱きしめたい衝動に。

 片手が動き、生まれたノイズで我に返る。

「……ぜ、ったい、嫌だ」

「あ?」

 間抜けな声が、降ってきた。


 *


 彼女が本物なのかどうか俺たちには分からない。

 俺は極力一人で彼女の歌声、音声データを解析した。

 聞けば必ず幻が見えた。

 全人類を世界全体を宇宙の果てまで愛し感謝したくなった。

 家族を、思い出の恋人を、恩人を、同僚を、愛し抱きしめ……。

「だから、嫌だ!!」

 声に出して音を乱す。乱して俺を取り戻す。

「……これは恋なんかじゃない、錯覚なんだ!!」


 *


 彼女と人類に幸いあれ。

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